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ただいま。





数か月ぶりの日本は、すっかりクリスマス景色に包まれていた。

赴任先のロンドンでもそろそろクリスマスデコレーションが披露されはじめる頃だが、ここ最近の日本はかなり早めだと思う。

経済的効果を狙ってのことか、単なる日本人のクリスマス好きが高じてのことかは定かではないが、おそらく、その両方なのだろう。


俺はターミナル駅の改札を出ると、賑やかなイルミネーションを横目にタクシー乗り場に急いだ。

帰国した際は必ず宿泊する馴染みのホテルに向かうためだ。


予定より二十分ほど飛行機が遅れて到着したせいで、その後の乗り換えもズレてしまい、結局約束の時間を一時間以上も遅れてしまっている。


一応空港で遅れると連絡はしておいたが、オレはタクシーの中からもう一度メールを送った。

するとすぐに返信が届く。


俺はその内容に、思わず笑みを溢していた。



もうすぐ、会えるのだ。



数ヶ月ぶりの、妻と息子に。






「パパ―――――ッ!!」


ドアマンからベルマンへ、スーツケースと機内持ち込み用のキャリーバッグがバトンタッチされるのを見届けていると、ロビーから甲高い声が届いた。


「こら、走っちゃダメでしょ」


その後ろからは妻の焦ったような叱り声も聞こえてくる。


たったそれだけで、俺はこの数ヶ月分の疲れがどこかへ飛んで行ってしまうような気がした。


ベルマンが横でスーツケースを手にしたまま立ち止まってくれているのは承知していたのだが、どうしても今すぐ息子を抱きしめたかった俺は、その場で膝をつき、両腕を広げた。


「パパ!!おかえりなさい!!」


俺の胸にまっすぐ飛び込んでくる息子を、ぎゅっと抱きしめた。


「ただいま」


息子の思いっきり全力の笑い顔に、胸が熱くなってしまう。


こんな再会はもう何度も経験しているのに、俺はその都度、涙腺が弱まっていくのを実感していた。


「あなた、お帰りなさい。お疲れさま」


息子を追うような形で俺の前に立った妻は、わずかながら、照れくさそうにも見えた。

これも、毎度のことである。


「ああ、ただいま。お前も、留守を預かってくれてありがとうな」


俺は息子を抱き上げながらも、数ヶ月ぶりの妻の姿をしっかり見つめた。


インターネットのテレビ電話で毎日のように顔を見て会話していたおかげで、さほどの変化は見受けられないが、若干、前に会った時よりも痩せているような気がする。


息子にしたように、妻も抱きしめてやりたかったけれど、そんなことをすれば妻が恥ずかしがって機嫌を損ねてしまうかもしれないので、どうにか堪えた。

せっかくの家族との再会が気まずくなるなんてご免だ。


仕方なく、俺は息子を左腕で抱いて、右手でぽんぽん、と妻の背中を小さく叩いた。

これだけで、きっと妻には俺の気持ちが伝わるはずだから。


そして俺は、待っていてくれたベルマンに合図してレセプションに向かったのだった。






「先にチェックインしてくれても構わないって、いつも言ってるのに」


案内を待つ間、ロビーのソファに腰をおろしながら妻に言った。


「だって、ここの宿泊代は会社が負担してくれてるんでしょう?だったら、あなたがいないのに私達だけで勝手にお部屋に入るのは気が引けるのよ。・・・・これも、いつも言ってることだけど」


妻の言う通り、確かにこのホテルの滞在費は会社持ちとなっている。

俺が勤めているのは総合商社で、海外単身赴任中の社員が帰国する際、地方、郊外に自宅のある者は、家族全員分の一泊分のホテル宿泊費を出してもらえるのだ。

ホテルに関してはある程度は社員の希望を聞いてくれることもあり、おおむね奥様方からは好評らしい。


もちろん妻もその一人で、嬉々としてこのホテルを選んでいた。

このホテルにあるレストランで、結婚前のオレ達はよくデートしていたのだ。


七年前に結婚し、翌年妻が妊娠したのを機に通勤可能な郊外に家を建て、息子が生まれてすぐに海外赴任となってしまったのだが、妻からは一度も不満の類を聞いたことはない。

控えめで、”内助の功” という言葉以上に、俺を支え続けてくれていた。


そんな妻だから、俺よりに先にチェックインしないというのも彼女らしいといえるだろう。

けれどこの時季はインフルエンザも流行っているだろうし、小さな息子も一緒なのだから、部屋で寛ぎながら待っていてほしいというのが本心ではある。


「それに、ここに座ってあのツリーを眺めるのが毎年楽しみなのよ」


妻が視線で指した先には、大きく見事なクリスマスツリーが飾られていた。


このホテルのツリーは本物のもみの木が使われていて、クラシックでもあり、華やかでもあり、ホテルだけでなくこの界隈でのクリスマス名物となっている。


独身時代、妻とも何度か見にきたものだ。


そのツリーを今こうやって息子を交えて三人で眺められるなんて、大袈裟でなく、胸を震わせるほどの幸せだと思った。

遠く離れて暮らしているから、余計にそう感じてしまうのかもしれない。


俺は思わず愛おしさがあふれてしまいそうになり、膝の上にちょこんと座る息子の頭を、優しく撫でてやった。


「そういえば、さっきツリーの前で女の人とぶつかったんだって?」


タクシーの中で受信した妻からのメールを思い出して、俺は息子に尋ねた。


妻のメールによると、ツリーに向かって走っていった息子が見知らぬ女性に体当たりをするようにぶつかってしまったらしい。

幸いどちらにもケガはなく、相手の女性も笑って許してくれたそうだが。


”どうして知ってるの?” と言わんばかりの表情で俺を振り向いた息子は、次に妻を見て、


「ママが話したの?」


と、クレーム調子で言った。


俺はその口調が可愛らしくて口元が緩んでしまうが、ここは父親として注意すべきと軽く咳払いをした。



「ダメだぞ。その女の人は大丈夫だったそうだけど、もしお前がぶつかった拍子に倒れたり、どこかケガでもしてたらどうするんだ?今日はぶつかった相手が大人だったから大丈夫かもしれないけど、もしぶつかったのがお前より小さな子供だったら?反対に、おじいさんやおばあさんだったら?もう何度も ”歩く時はちゃんと前を見なさい” って言ってるだろう?前に会った時にパパと約束したよな? ”勝手に一人で走り出しません” って。約束を守れない子はサンタさんのプレゼントが届かないかもしれないぞ?」


すると、みるみる瞳を揺らして今にも泣きだしそうになる息子。

それでも泣くまいと堪えて、俺の上着を小っちゃな手で掴んでくる。


毎日テレビ電話で顔を見ていたとはいえ、こうやって直接触れる我が子は、やはり以前会った時よりも成長しているのだなと、強く感じた。


「ごめんなさい・・・・」


そう言って唇を噛む息子に、俺は「よし」と笑いかけてやる。


「今度から気を付けるんだぞ?」


途端に、息子が笑顔に変わった。


「うん!ぼく、気をつけるよ!」


息子は百点満点の返事をしたが、ちょうどベルマンの俺を呼ぶ声と重なってしまい、そのタイミングの良さに、俺達家族は顔を見合わせて笑ったのだった。






部屋に案内された後、息子はスイッチが切れたように眠ってしまった。


俺の帰国が嬉しくて昨夜もなかなか寝付けなかったみたいだから仕方ないだろう。

生まれてから一緒に過ごした時間は圧倒的に少ないが、こうやって毎回帰国の度に大喜びしてくれる息子に、俺がどれほど癒されていることか。


もちろん、すべてを支えてくれている妻にも・・・・


「夕飯まだだったんじゃないのか?」


「出る前にお義母さんが簡単なものを作ってくれたし、実はさっきラウンジであなたを待ってる間にケーキセットも頼んじゃったの。だからお腹は空いてないと思うわ。・・・・たまには、いいわよね?」


今日は特別な日だし。


そう言って息子に毛布を掛けてやる妻。


俺が帰ってくる日を ”特別な日” としてくれることが、また嬉しい。


「お袋はどう?空港に着いた時に電話はしておいたけど」


俺達の家と俺の母が一人で住む実家は歩いて数分だ。

妻が日本に残った理由の一つは生まれたばかりの息子がいることだったが、もう一つの理由が、父亡き後一人で暮らしていた母だった。

俺達が結婚した直後に父が亡くなり、一人っ子だった俺は当然母のことが気になったけれど、俺よりも心配してくれたのが妻である。


家を建てるなら俺の実家の近くにしようと提案してくれたのも妻だった。


夫の俺が言うのもなんだが、本当に、できた嫁なのだ。


海外暮らしが長いと、こうやって身内を褒めることに抵抗はなくなってくるのだが、それを口に出して伝えるのは、やはりまだ少し照れ臭い。


俺はコートと上着をハンガーに掛けながら、普段通りの会話を心掛けた。


「変わらずお元気よ。一昨日も話したけど、最近ウォーキングをはじめたのよ?時々ね、私もご一緒するの」


「もっと暖かくなってからはじめたらいいのに」


「お義母さんは思い立ったらすぐ、の人でしょう?」


そう言いながら、妻も、部屋に入ってすぐベッドの上に無造作に置いていたコートをクローゼットに掛ける。

有名ブランドの、ベージュのトレンチコートだ。


赴任先のロンドンでもそのコートはよく見かけていて、その度に、俺は妻に会いたくなってしまった。


家族と離れての異国暮らしは、気を張っていないと ”孤独” に付け込まれてしまいそうになる瞬間が、そこかしこに転がっていたのだ。



俺は妻より先に窓辺のソファに移動して、妻を呼んだ。


いつもなら、カーテンを開いて都会の夜景を楽しむところだが、今夜はいつもと少し違う。


「ちょっと話があるんだ」


緊張しているのか、俺は自分の声が硬い気がした。


「何かしら?あ、お土産のこと?」


妻がニコニコして俺の隣に座る。

その距離は昨日までとは大違いで、俺はいい歳してドキリとしてしまい、妻から目を逸らした。


「土産はちゃんと用意してあるけど、そうじゃないんだ。実は、・・・また異動が決まったんだ」


初めはデュッセルドルフ、次はアムステルダム、そしてロンドン。

欧州を転々としているオレに、妻も「そうなの?次はパリ辺り?」なんて軽く言ってくる。けれど


「この辺りだよ」



「・・・・・え?」



俺の返事に、ぴたりと表情が止まってしまった。


このホテルとうちの会社の本社はすぐ傍なのだ。


次の瞬間、妻は両手で顔を覆い、その腕だけでなく、肩も、背も、これでもかというほどに大きく震わせていた。


まるで堰を切ったように溢れ出した感情。

それでも妻は、声を堪えて泣いていた。


その泣き方が、妻がずっと隠し持っていた寂しさを表しているようで、オレは気が付いた時には妻を力いっぱい抱きしめていた。


「今まで寂しい思いをさせてごめんな」


すると妻は俺の腕の中で頭を振り、鼻をすすった。

その音までもが、妻が傍にいるという証拠に感じられて、とても愛おしい。



やがて落ち着いた妻はそっと俺の胸を押し、片手は顔に当てたまま、何かを探すように体を捻った。

けれど妻よりも先に俺がデスクから木製のティッシュボックスを取り、渡す。


眠っている息子を起こさないように遠慮しながら鼻をかんだ妻は、丸めたティッシュを手の中に隠しながら言った。


「でも、あなたが帰ってきてくれるのは嬉しいんだけど、ここに来る機会がなくなっちゃうのはちょっと残念かも・・・」


目を潤ませて鼻のアタマを赤くしたままそんなことを言った妻は、もう茶目っ気いっぱいの表情だった。


「このホテルは思い出が多いからな・・。ま、それくらいの甲斐性、見せてやるよ。クリスマス時期は難しかったとしても年一くらいで連れて来てやる」


「本当に?期待しちゃうわよ?」


「ああ、期待してろよ。そうだ、今年のクリスマスもここで食事するか?明日チェックアウトの時に今からでも予約できるか訊いてみよう」


「それじゃあ、お義母さんも誘って、家族みんなでお祝いしましょうよ」


「そうだな。・・・・なあ、それより、こっち向いて?」


ん?と俺と目を合わせた妻を、そっと抱き寄せた。


久しぶりの感触と体温に、妻というよりも、愛おしい恋人に触れている感覚になる。


もう少しこのままでいたいけれど、俺は今、彼女に伝えたい言葉があった。



「ただいま」



妻の耳元で告げると、彼女は小さく笑う。


「さっきも聞いたわよ?」


「違うよ。さっきのとは別の・・・・」



数年分の、想いを込めて





「・・・ただいま」










ただいま。(完)












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