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またね。(4)






重厚な扉をくぐると、男の人は扉を開けっぱなしにしたまま奥に進んでいった。

中はやっぱりラグジュアリー感たっぷりな大人の隠れ家的バーみたいな内装だった。

よくネットや雑誌で見かけるだけで、高校生の私なんかは一度も体験したことのない場所だ。


アンティークっぽいソファが並び、その一角にはグランドピアノが置かれている。

そしてそのそばに、数本のギターと譜面台、おそらくギターを弾くためによそから持って来られた椅子があり、近くの丸いテーブルにはノートパソコンと書類が散らばっていた。


見るからに、素人さんではなさそうな光景だ。

私は今一度、記憶の中の記憶を掘り返してみる。

………でも、やっぱりこの男の人の顔に見覚えはなかった。



「散らかってて悪いけど、好きなとこ座って?」

「……ありがとうございます」


男の人はさっさとギター用の椅子に腰かけてしまう。

私はきょろきょろ見まわし、無難に男の人と丸テーブルを挟んだソファにおずおずと座った。

ふわりと柔らかなのに柔らかすぎない、不思議な座り心地のソファだった。


ふと見ると、丸テーブルの上、パソコンの横には複数の手紙が広がっている。

その封筒の宛名が目に入ってしまい、慌てて気付かなかったフリをした。

勝手に盗み見なんて行儀が悪い。

ただ、そこに記されていた名前には、なんだか聞き覚えもあった。

………いやいや、知らないフリ、知らないフリ。



「何かリクエストある?」

「え?あ、ええと………それなら、古い洋楽のクリスマスの曲なんですけど、いいですか?」

「構わないよ。俺が知ってる曲ならね」

「じゃあ………」


私はクリスマスのジャズバラードをリクエストした。

このチョイスに男の人は「いいね、なかなか渋い選曲だ」と歓迎してくれた。


「きみみたいな若い子が知ってるなんて驚きだ」


感心したように言いながら、ギターの調整をする。

私はズキン、と胸のあたりが軋んだ気がした。



「………ママが好きだったから」

「好きだった(・・・)?」


男の人がギターの弦から顔を上げた。


「死んじゃったんです。私が10歳のときに。今日はママの命日なんです」


男の人は一呼吸ほど置いてから、「そうか」と言った。


「それで制服なんだな。じゃあ今日は目一杯お母さんを思い出す日だ」


優しい表情でそんなこと言うものだから、私はそれだけで胸が熱くなってしまう。



やがて流れ出したギターは、まるで感情を持っているかのように切なく歌う。

途中から重なってきた男の人の歌声もギターの音色以上に切なくて。

その歌声に、あの頃のママの姿が蘇ってくるようだった。



ママ…………



胸が苦しくなって、いっぱいになって、痛くて………

ママのことしか考えられなくなっているうちに、ギターの音が鳴り止んだ。


その直後、男の人が小さく叫んだのだった



「ストップ!泣くなって。こんなとこで泣かれたら困る。制服着た女子高校生を泣かせてるなんて、誰かに見られたら誤解しかされないだろ?」



焦りを隠しもしない男の人は、ギターを置いて立ち上がる。


「ちょっと待てくれ」


そう言うと、丸テーブルの足元にあるバッグを漁り、タオルハンカチを私に差し出してくれた。


「これ洗い立てでまだ使ってないから」

「………ありがとう、ございます………」


私は遠慮なくそれを受け取り、グズン、と鼻をすすった。


自分がこんなにぽろぽろ涙をこぼすなんて、自分でも信じられない。

ママがいなくなってからもう8年。

毎日思い出さない日はないし、時には涙ぐむ日もあったけど、ここまでの号泣はなかなかなかった。

今日が命日だからなのか、親戚との会食の影響なのか、それとも義母の存在が関係してるのか…………いや単純に、この男性のギターと歌声が心に響いたのだろう。

ママの好きだった歌を聴いて、ママとの思い出がよみがえってきて、まるでママがここにいるように感じたせいだ。



「ま、今日が命日なら仕方ないか」


男の人は諦め口調で言いながら椅子に戻り、ギターを軽くはじく。

その音がなんだか困っているようにも聞こえると、とたんに私は申し訳なく思えてきた。

勝手に迷い込んで邪魔をしてしまったあげく、突然泣き出してしまうなんて、迷惑この上ない。


「……すみません」


細く謝ると、少しは冷静を取り戻せたようだ。


「落ち着いてきた?」


トロン、そんな感じにギターが鳴る。


「はい……すみませんでした」


私は最後にズッ、と鼻を鳴らした。


「謝らなくていい。今日はお母さんのことをいっぱい思い出してあげな」


男の人が優しさでそう言ってくれたのはわかっていたけど、それが少しだけ複雑でもあった私は、つい、口からぽとりと本音を落としてしまった。


「でも、新しいお義母さんがいるから………」


すると、ギターの音が途切れた。

でもそう間を置かずに、男の人が「なるほど」と呟くと、また弦がはじかれる。



「だったら、今ここで、きみが思ってることを吐き出していけばいい。ここには新しいお母さんも含めて君の家族は誰もいないよ」


さらりとそう言って、私がリクエストしたのとは違うクリスマスジャズナンバーを、ごく小さめに弾きはじめた。


「好きなだけ、お母さんとの思い出話でも新しいお母さんの愚痴でも吐き出せばいい。俺は出番までまだ時間があるし、こうしてクリスマスに出会ったのも何かの縁だろうし」


男の人はギターに視線を落としたまま、私を見ずにそう言った。

目線が重ならないことが安堵を運んでくれたのか、私は素直にその提案を受け入れられたのである。



それから、ぽつりぽつりと、ママのこと、ママとの思い出、義母のこと、父と義母の再婚なんかを話していった。

私は大学進学後も実家から通う予定で、父と義母との三人暮らしが、母の思い出残る家ではじまったということも。



すると男の人は指を弦の上で滑らせ、「それは気を遣うだろうな」と同情をくれた。


「そうですね……。私も向こうも、お互い様だとは思いますけど。その証拠に……義母は、父と母が使っていた寝室には、滅多に入りませんから」

「じゃあ、新しいお母さんはどこで寝てるわけ?」

「もともと、私に弟か妹ができたときに使う予定だった子供部屋がもう一室あるんです。そこが義母の部屋になってます」

「へえ……。ま、微妙な年頃の子供がいるなら、それも妥当か。きみだっていつかは自立するんだろうし、その後で二人の結婚生活をスタートさせるつもりなのかもしれない」


男の人の解釈はほとんど正しいと思う。

父と義母は、私が家を出てから本当の意味で新婚生活を送るつもりなのかもしれない。

でも私は、再婚後、一緒に暮らすことになった義母から、思いもよらぬことを告げられていたのだ。



「でもあの人………」

「うん?」

「パパの再婚相手のあの人、私に言ったんです」

「何を?」

「子供部屋を使ってたら、私に弟か妹ができたときに困るんじゃないの?って訊いたんです。私が出ていった後で私の部屋を使ってもいいけど、それは帰る部屋がなくなるみたいな気がしてちょっと寂しいかな………冗談っぽくそう言ったら、あの人、そんなことにはならないから心配ないって答えたんです」


ゆっくりと、ギターが止まった。


「……そんなことにはならないから?」

「そうです。私がどういう意味か尋ねたら、あの人…………自分は、この先子供を産むことはないって」

「へえ……まあ、人にはいろんな事情があるから」


男の人は大人らしい意見を述べた。


「………私も、はじめはあまり踏み込んじゃいけない事情があるのかもしれないと思ったんです。体のこととか、そういう主義なのかな…とか。でもその後、パパにその話をしたら、パパが教えてくれたんです。あの人は健康な体なのに、私のことを考えて、父と結婚しても自分は子供を産まないと決めたんだそうです」


私は、そんなこと望んでいないのに。


「それを聞いた私は、父と義母の前ではっきりと、私のことを思うならそんなおかしな気遣いはやめてと言いました。でも、義母は、私が気にすることじゃないからって………。でも普通、好きな人と結婚して、体に問題がないなら、その好きな人との子供が欲しいって思いますよね?なのにあの人は、そんな自分の気持ちを封印してまで、私のために自分の子供を諦めるつもりなんです。それがとにかく、モヤモヤしちゃって………私はそんなことされても全然嬉しくないのに」


正直がすぎる吐露は、半ば愚痴のようにも聞こえただろう。

でも男の人は嫌な顔一つせず、「そうか……」と言い、またギターを弾きはじめた。



切ないメロディのバラードが、私の憂いを歌っているようだった。











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