またね。(2)
「――?―――ちゃん?」
自分でもとりとめのない感情を抱えながらの会食中、母のことを思い出していると、隣の義母からこっそり呼びかけられていたようだ。
「あ……ごめんなさい、ぼーっとしてて。何か言った?」
「このシャリアピンステーキって、前にとっても美味しいって教えてくれたお料理よね?って訊きたかったの」
義母は黒いワンピースを纏いながらも、明るく微笑んだ。
テーブルの上には、このホテルで最も有名なメニューだと言われるシャリアピンステーキ。
コース料理のメインは各々が選べるようになっていたけど、私は毎年この料理をオーダーするほどにお気に入りだった。
「うん、そうよ。私とママのお気に入りで……」
自然にそう言ってしまってから、ハッと口籠ってしまった。
ところが、義母は「そうなのね?わかるわ。とっても柔らかくて美味しいもの」と、幸せそうに笑ったのだ。
義母は、こういう人だった。
物事をごくナチュラルに受け入れて、変に気を遣ったり遠慮したりせず、でも実際はそういう風に見せないだけで、実は周囲に配慮は欠かさない、非常に出来た女性。
パパとは仕事の取引関係で数年前に出会っており、親しい関係になったのはここ一年半ほど。
おそらく結婚に踏み切ったのは、私が推薦で大学進学が決まったからだろう。
パパは私に大学進学を機に家を出てもいいと言ったけど、私はママがいなくなってからもずっと思い出の詰まった家で暮らすパパを一人にはできないからと、断固として頷かなかった。
そのせいで、たぶん、パパは私がずっとこのまま実家から離れられないんじゃないかと心配したのだろう。
お前は一生ここで暮らすつもりなのかと訊かれたこともあったから。
そのときは笑って『それもいいかもね』なんて返事して、冗談風に終わらせたものの、パパはやっぱり気になっていたのかもしれない。
そのやり取りがあったのは今年の春先、受験先を相談してるときだったので、そのあたりから、もしかしたらパパと義母は結婚に向けて話し合っていたのかもしれない。
「本当にとっても美味しいわね」
私のお気に入りに舌鼓を打つ義母は、とてもいい人だと思う。
パパと付き合う前にもちゃんと挨拶しに来てくれたし、控えめだけど何かにつけては私を気にかけてくれて、でも出しゃばったりはしなかった。
そんな彼女に、私は確かに好感を持って接していた。
だからこのたびの結婚も、反対する気持ちはそれほどなかったのだ。
もちろん、ママのことを思えば、100%大賛成というわけでもなかった。
でもこの人なら、ママも許してくれるんじゃないか、ななか人を見る目があるじゃないと、そんなことをパパに言いそうな気がしたから。
だから、再婚に関しては一言も反対しなかった。
私も義母ときっとうまくいやっていける、そう信じて疑わなかった。
12月に入って、一緒に暮らしはじめるまでは。
「それにしても、いつ来てもいいホテルだなあ、ここは」
向かいの席から聞こえた感嘆にハッとし、回想から引き戻された。
「本当にね。さすがは日本を代表する老舗ホテルよね。さっき写真撮影してる花嫁さんがいたけど、こんなところで結婚式挙げられたら素敵よねえ」
「そういや、お義兄さん達は式は挙げないんですか?こんなに若いお嫁さんだったら、もしかしたらおめでたの知らせも近いかもしれないし、早めに挙げておいた方がいいんじゃないですか?」
「ちょっとやめなさいよ。今日はお義姉さんの日なのよ?」
「大丈夫だって。姉貴は器のでかい人だったから、こんなことで怒ったりしないって。むしろ自分が残した家族を支えてくれる人ができたっつって、ホッとしてるかもしれないだろ?」
「そうかしらねえ……?」
ママの弟とその奥さんの会話に、どことなく親戚一同の雰囲気が硬くなった気がした。
彼はママとよく似た良い人で、だから悪気があるわけじゃなしいし、お酒の影響で口が軽くなっただけなのだろう。
それに、きっとママがここに現れたって同じことを言うんだと思う。
よく似た姉弟だったから。
だけど他の親戚が私に気を遣いはじめるのがありありと見て取れてしまい、私はとたんに居心地を失っていったのだ。
「まあまあ、それよりもこのシャリアピンステーキ、あいつの大好物だって知ってたかい?」
パパが和やかに話題を誘導したけれど、私の居心地は戻ってこなくて。
ちょうどメイン料理を食べ終えた私は、ナプキンをテーブルに置いて立ち上がった。
そして、隣から心配げな視線を受け止めつつも告げた。
「もうお腹いっぱいになっちゃった。デザート、私の分も食べておいてくれる?私、クリスマスツリー見てくるから」
初対面時からお互いに敬語はなし、年の離れた友達みたいな感じでいこうねと交わした約束通り、私はフランクに伝えた。
うまく笑えたはずだ………と思いたい。
すると義母もふっと微笑んでくれた。
「そう………。じゃあ、私もデザートをいただいたらツリーを見に行くわね。ロビーにあるあの大きなツリーのことよね?」
「うん、そう。本物の木を使ってて、毎年あれを見るのが楽しみなんだよね」
「私ははじめてだから、楽しみだわ。それじゃ後でね」
「うん、後で」
「気をつけて行けよ」
「同じホテルの中なんだし、何心配してるのよ。じゃあね」
私は義母とパパに手を振って、親戚が大集合してるレストランの個室を脱出した。
店を出ると、ようやく一息つけた感覚があった。
今日の集まりには父方母方両方の親戚が来ており、義母との再婚後はじめてということもあって、いつもより出席人数は多かった。
みんな、悪い人達じゃない。
でも、私は少し息が詰まる思いがした。
だから、叔父と叔母の会話をいい口実に使わせてもらったのだ。
それに、クリスマスツリーをゆっくり見たかったのは事実だから。
幼い頃から毎年のように訪れていたこのホテルは、各エレベーターの配置から化粧室への最短距離に至るまで、だいたいは把握している。
だから高層階の馴染みのレストランを出てロビーに降りるまでの道順なんて、迷うはずなかった。
ところがエレベーターで一階に着いたとき、ほんのかすかにギターの音色が聞こえてきたせいで、不本意ながら迷子になってしまったのだ。




