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ごめんなさい。(4)





「それでね、来年こそはクリスマスの受付がはじまったらすぐに予約しようって、私は固く誓ったの。だから今年は夏に予約を押さえたのよ?」


「すごい、そんなに早くにですか?」


「そうなの。だけどちょっぴり早すぎたから、夫の予定がもしかしたら変更になってしまう可能性もあったのよ。でもね、ずいぶん長いこと、私は、夫と二人揃わなくちゃこのホテルを訪れるべきではないと思っていたんだけれど、去年、夫が約束のことをずっと気にしてくれてたのだと知って、なんだか自分の考えが変わった気がしたの。そうね……うまくは説明できないのだけど、私はずっと、約束が叶わないのは夫のスケジュールが理由だと思っていたのね。でも去年、夫がずっとそれを申し訳なく思ってくれていたと知って、だったら私にできることをしてみようかしら…という風に変わったのだと思うの。たぶんだけど」


私はいつの間にか、約束が叶っても叶わなくてもどっちでもいいと思っていたのでしょう。

それは、夫の忙しさを知っているからこその、諦めでした。

と同時に、その約束が叶うように頑張ろう、そう思うことで、日々の励みにもなっておりました。

ですが、夫に対し、具体的な働きかけは何も行ってはいなかったのです。

そんな私の受け身の心持ちを動かしてくれたのが、夫だったのです。



「だから、クリスマスの予約をした段階ではまだ夫の都合は確定していなかったのだけど、それならそれで、夫との約束を叶える前に私が一人で下見で行っておけばいいと思うようになったの。でも夫に変に気を遣わせるのも嫌だから、予約したことは夫には内緒にしたの。もちろんホテルにご迷惑おかけするわけにはいかないから、予約の際、当日はもしかしたら人数が変わって私一人になってしまうかもしれませんと正直にお伝えしたわ。それでもいいですか?ってね。そうしたら予約の電話を受けてくださった方が、『もちろんです』と答えてくださったの。人数がものすごく増えてしまった場合はお席を用意できないかもしれないけれど、減る分には問題ありません、お一人だからとご遠慮なさらずにどうぞお越しくださいと言われて、私、とっても嬉しかったの。素敵なホテルよね」


「そうですね。私も彼も、お気に入りのホテルです。でも……それで、今日はお一人でいらしたんですね?」


残念そうに尋ねた彼女に、私は静かに微笑みました。


「二人で来られたらよかったのだけど、なかなかうまくいかないわね」


「あ!それなら、ここのホテルの紅茶をご主人にお土産にされたらいかがですか?」


「まあ、紅茶を?」


「あ……もしかして、紅茶はあまりお好きではありませんでした?」


「いいえ、そんなことないわ。そういえば、あなたのお気に入りの紅茶があるのよね?」


「そうなんです。ホテルのオリジナルブレンドとイングリッシュ ブレックファスト ティーがおすすめです」


「オリジナルブレンドとイングリッシュ ブレックファスト ティーね。帰りにホテルショップで購入していくわ。どうもありがとう」


「いえいえ。ぜひ、ご夫婦で召し上がってください」


「それじゃあ、あなたも彼氏さんへのお土産にどうかしら?」


「え、あの人にですか…?」


彼女は苦々しそうに眉間に皺を走らせました。


「だけどお仕事で有給休暇が潰れてしまったのでしょう?差し入れにどう?」


「別にいいですよ。デートをドタキャンされた上に差し入れなんて、甘やかしすぎです」


まるで ”プンプン” という音さえ聞こえてくるように可愛らしく、彼女は不服を表明しました。

なるほど、確かに彼女の意見も正しく聞こえます。

ですが、私は、どうしても彼女に聞いてもらいたいことがあったのです。



「”差し入れ” がダメなら、”お礼” なんてどうかしら?」

「え? ”お礼” ですか?」


訊き返してきた彼女からは、驚きと、ほんの少しの怪訝が見え隠れしていました。

ですが、食後の飲み物が運ばれてきましたので、しばしの間、私達の会話はストップです。



「どうぞごゆっくりお寛ぎくださいませ」

「どうもありがとう」

「ありがとうございます」



スタッフの丁寧なサーブに私も彼女も礼を伝えましたが、くるりと私を向き戻った彼女の表情からは、デートをキャンセルされた私がどうして ”お礼” をしなくちゃいけないのか、そんな不満色がありありと濃くなっていました。

その彼女の反応があまりにも素直でしたから、私はつい笑ってしまいそうになり、誤魔化すためにちょうど手元にあったシュガースティックで紅茶をくるりくるりとかき混ぜました。

お紅茶のとってもいい香りが鼻先をくすぐります。

彼女おすすめのホテルオリジナルブレンドです。


「いい香りね」

「そのシュガースティックもおすすめですよ。ホテルショップで紅茶と一緒に売られてます」

「まあそうなの?だったらこちらも夫へのお土産にするわ」

「あの、それなんですけど……、さっき言ってらした、彼への ”お礼” って、どういう意味なんですか?」


よほど気になっていたのでしょう、彼女は紅茶に手を付けないまま、私に疑問をぶつけてきました。

そのまっすぐな性格は、ちょっぴり羨ましくも感じます。



「もしあなたの考えにそぐわなかったら、ごめんなさいね。その時は、おしゃべりでお節介なおばさんの余計な一言だと聞き流してもらいたいのだけど……。私はね、さっきもお話ししたように、夫とのクリスマスの約束がずっと叶わないまま今に至るわけで、毎年この季節になると、ああ、今年もまた約束が叶わなかったな……って残念に思う瞬間もあったわ。だけどね、ある時ふと気付いたの。夫との約束は、例え叶えられなかったとしても、”約束をしている” というだけで、私を幸せな気持ちにさせてくれてたんだって」


私の話に耳を傾けてくれている彼女から、怪訝の気配が薄くなりました。


「私は、夫といつかクリスマスにこのホテルに来るのが楽しみだったの。今年は叶うかな?……ああ、ダメだった。じゃあ来年かな?来年は叶うかな?今年は叶うといいな………楽しみに思う気持ちは、私が時々人生にへこたれそうになったとき、とても支えになってくれたのよ。嫌だなって後ろ向きに思うことがあっても、夫との約束が前を向かせてくれて、楽しい気持ちにさせてくれたわ。ねえ、あなたも、今日ここに来るとき、気持ちがわくわくしてなかった?彼とのデート、楽しみだったのではないかしら?」

「それは………ですね、確かに。否定はできません」


彼女は納得顔と腑に落ちない顔、半々ほどでティーカップを手に取りました。

ですが、紅茶をひと口含む際には唇がフッと柔らかく上がったのを、私は見逃しませんでした。



「……でも楽しみは半分くらいで、残り半分は、”今日こそはちゃんと約束守ってくれるんでしょうね?” っていう不信感ですけど」


フフッと思い出すように笑った彼女は、口ではそんなことを言いながらも、もう彼のことでネガティブな感情は残っていないように見えました。

ですから私も、「それはしょうがないかもしれないわね」と笑い返しました。


「楽しみにしてた分、叶わなかったら悲しいものね……」


それは、よくわかります。

私はシュガースティックをカップの中で泳がせました。


「それでも、約束があるということは、未来で待ち合わせしているということじゃないかしら?決して一人ではできないことですもの。だから……、もちろん、はじめから守るつもりのない軽薄な約束は別だけど、そうじゃなくて、本当に叶えたいと思い合えてたなら、それって、素敵だと思わない?綺麗事に聞こえてしまうかもしれないけど、私は心から、そういう相手がいることに感謝してるの。今年がだめならまた来年、今日がだめならまた今度、そうやって未来の待ち合わせが延長されるのも、ずっと一緒にいる人とだからできることなのよね。綺麗事かもしれないけれど」


つらつらと説明した私に、彼女は突然プッと吹き出してしまいました。

何事かと思いましたが、


「綺麗事って2回も言わなくていいですよ。そんな風に思ったりしてませんから。でも例えそう思ってても、2回も先回りして言われてしまったら、もう口には出せませんよね」


破顔しながら言った彼女は、とても愉しげでした。


「でも、確かに今のお話を聞いて、ハッとしました。さっきまではめちゃくちゃ腹が立ってたんですけど、ランチをご一緒して、ああそうだなって納得できることもありました。どうやら私も、綺麗事を信じたいタイプみたいです」

「まあ、それじゃあ私達は似た者同士なのね」

「そうですね。でも、ここのホテルの紅茶は買って帰りませんけど」

「あら、どうして?」


ランチのあと、一緒にホテルショップに立ち寄ろうと思っていたのですが……


「ここのホテルの紅茶は、付き合いだして以来ずっと、彼が買って来てくれる担当になってるんですよ」

「まあそうなの?二人だけの決まり事なのね。それも素敵だわ」


私は思ったことを正直に伝えました。

すると彼女は、照れるわけでも恥ずかしがるわけでもなく、けれどとてもナチュラルに言ったのです。



「ありがとうございます。実は自分でもちょっとそう思ってたんです」


そこには、恋する人の可愛らしさとしなやかさが混在していました。











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