ありがとう。(6)
《 面倒か面倒じゃないかで言えば、それは面倒なのかもしれません 》
それを読んだ彼女は、表情を変えずに二度ほど軽く頷いた。
俺はすぐに、またスマホに文字を打った。
《 でも、それはあなたと会話するために必要な面倒でしょう?口を使って会話できない代わりに、手話やスマホを使って話す。それって、例えば、離れたところに住んでる人と話をしたいときに、直接会って話せない代わりに電話を使うのと同じじゃないですか? 》
俺の言葉に、彼女は驚いたような目を見せた。
何か言いたげだったけど、まだ彼女に訴えたいことがあった俺は、先を急いだ。
《 それに、前にテレビで見たことあるんですけど、話した言葉をそのまま文字にしてくれるアプリやソフトもありますよね?そういうのも、海外の人とコミュニケーションとる時の翻訳機能と変わらないし、それをいちいち面倒とか難癖つけるやつって、もう何やっても面倒くさいって言うズボラ人間なんですよ 》
スマホをくるりと彼女に向け、俺は腕組みした。
そして読み終えた彼女が俺を見るのを待ち、こっくりと首肯してみせる。ちょっとオーバーなくらいに。
イメージするなら、ドラマとかに出てくる ”頑固なおじさん” っぽく。
すると彼女は、おかしそうに笑ってくれた。
《 やっぱり、あなたは優しいね 》
《 そんなことないと思うけど…。でも、今日は本当にこのまま一人で過ごすの?今戻れば、まだオフ会に間に合うんじゃない? 》
まっすぐに褒められた俺は、気恥ずかしさに追いやられるようにして話題を変えた。
まだそんなに遅い時間じゃない。連絡して急いで行けば、待っててくれるかもしれない。
そう思ったのも事実だった。
彼女は返事を打ち込む前に、三度ほど、首を横に振った。
《 音声変換アプリは入れてるけど、私が怖いのは、みんなに迷惑かけることだけじゃなくて… 》
《 他にも不安なことがあるんですか? 》
彼女の指が止まったので、俺が先を促すように問いかける。
わずかに言いにくそうな反応をしたものの、彼女は俯いてスマホを操作した。
《 サイト内のチャットでは、私はおしゃべりで明るいOLだった。でも本当の私は、おしゃべりなんかできないから、みんなを騙してたみたいで、顔を合わせにくい 》
「騙してたって……」
そんなことないだろうと思った俺は、すぐさまスマホで返事した。
《 でも他の人達だって、自分のことをいちいち全部は説明してないと思いますよ?もしかしたら、わざと嘘ついてた人だっているかもしれないじゃないですか。あなたは嘘をついたわけじゃないんでしょう? 》
《 確かに嘘はついてないけど、耳のことを言わなかったのはわざとだから…。本当の私を知ったら、きっとみんなを困らせてしまうだろうし、騙されてたって思う人がいるかもしれない 》
《 そう思う人もいるかもしれないけど、全員が騙されたって思うわけじゃないですよ 》
俺の反論を読んだ彼女がまた返事を打ちはじめて、《 でも、》という書き出しが目に入った俺は、その先が打たれる前に自分のスマホを急いでタップした。
《 さっき俺のことを優しいと言ってくれたけど、本当の俺は、合コンに来てた女子の悪口を言ったりする、全然優しくない人間なんです。それを知って、俺のこと幻滅しますか?騙されてたって思いますか? 》
瞬時に頭に浮かんだのは、今日の合コンに来てた女の子達に対する毒舌だった。
”優しい” とは真逆の俺を曝け出したからといって、彼女の抱える不安と同じレベルにはならないと分かっているけれど、でも、本当の俺は、優しくなんかないのだから。
彼女はさほど間を置かず、返事した。
《 私にとっては優しい人だから、騙されたなんて思わない。だけど、それは、私はあなたのそういう面をまだ見てないからかもしれない。 》
《 じゃあ、俺の嫌な一面を見たら、騙されてた!って怒るですか? 》
間髪入れずに質問を重ねた俺に、彼女の指ははっきりと止まってしまった。
10秒以上は空いただろうか。
やがて、迷いを匂わせる動きで、彼女はスマホに文字を打った。
《それは、わかりません。でも、大切なキーホルダーをわざわざ届けてくれたり、その時の私が落ち込んでる様子だったのを心配してくれたり、あなたの優しい面を知っているから、よっぽどのことがない限りは、騙されたとは思わないような気がします。 》
それを受け取った俺はどこかホッとして、その安堵を頼りに、また彼女にメッセージを打った。
《 俺もそうですよ。いつもお世話になってる先輩がいるんですけど、その先輩の裏の一面を見かけても、意外には思ったけど騙されたとは思わなかったし、嫌いになったりもしたりしませんでした。だからきっと、オフ会の人達だって、それまでのあなたとのやり取りを知ってる人なら、騙されたなんて思わないと思います 》
急いで作成したせいで、ちょっと雑な文章になってしまったが、伝えたい想いは届けられたはずだ。
すると彼女は一文字も漏らさないような真剣な眼差しで、その画面の隅々までをじっと読んでいた。
そしてふっと俺に顔を上げると、また自分のスマホに言葉を書いた。
《 本当にそう思う? 》
短い文に、彼女の揺れる気持ちが滲んでいるようだった。
《 もちろん。だから、今からでも間に合うなら、会いに行った方がいいよ。もしまだ不安なら、俺が一緒に行ってもいいし 》
彼女の迷いを払拭してやりたくて、気付いたときには俺はそう提案していた。
もうほとんど無意識のうちだ。
その申し出に、彼女は小さく小さく首を振った。
《 ありがとう。でも、そこまでご迷惑をかけるわけにはいかないので… 》
《 俺は暇だから大丈夫ですよ?遠慮しないでください。だって俺、もう友達のつもりですから 》
スラスラと出てくるセリフに、俺自身、少々驚いていた。
”友達” だなんて、そんな言葉を使うタイプではなかったからだ。
だが今日は、というよりこの彼女を相手にすると、どうもいつもとは違う俺が現れてしまうように感じた。
俺のスマホ画面を読んだ彼女は、急に自分の両方の手を握り、胸の前でぎゅっと力をこめた。
手話だろうか?
でもその意味を知らない俺が反応に困っていると、彼女は慌てて《 友達という意味の手話です 》と文字を打って教えてくれた。
「友達……。これが ”友達” なんですね」
言いながら、俺も同じように両手を握りしめた。
大きく頷く彼女。
「友達か……」
俺は、今日知った二つ目の手話を、体に染み込ませるようにもう一度だけ握った。
そして、
《 じゃあ、もう俺達は友達ってことでいいですよね? 》
拒否感を示さなかった彼女に気をよくしつつ、再確認した。
彼女はまた頷いてくれた。今度は二度も。
そしてそれに煽られでもしたのか、俺は、スマホを手に取り、またもやらしくないことを彼女に語ったのだった。
《 だったら、もしこの後オフ会の人とぎくしゃくしたとしても、俺という新しい友達が増えたのだから、結果的にプラスマイナスゼロじゃないですか?俺は、あなたの耳が聞こえなくても、話せなくても、友達やめたりしませんから 》
”友達……”
彼女は両手を握りしめ、まるでそう呟いてるようだった。
噛み締めるように、味わうように。
それから自分のスマホに書き込むと、俺にスッとその画面を見せた。
《 今年の一番のクリスマスプレゼントは、もしかしたら、あなたとの出会いだったのかも 》
映画や小説に出てきそうな、聞きようによっては気障にも感じてしまいそうなセリフに、俺は、思わずドキリとした。
いや、普段の俺なら、こんなロマンチックな言い回しは嫌悪の対象にしかならないだろう。
なのに彼女からそんなこと言われて、しかも、見返した彼女があまりにも幸せそうに笑っているものだから、尚心臓が跳ね上がってしまう。
だって、今の彼女の笑い顔は、今日一番のビッグスマイルだったのだから。
そのせいで、
《 俺にとっても最高のクリスマスプレゼントですよ 》
そう返事を打つとき、かすかに指先が震えてしまったのだった。
そのあと、彼女はオフ会のメンバーの一人と連絡を取り合い、遅れて参加することになった。
俺は《 念の為、俺の連絡先を教えておくよ 》と言って、さりげなく連絡先の交換に成功した。
これは、合コンでの先輩の姿から学んだ技術だ。付き合いで顔を出していた合コンにも、役立つことはあったのだ。
オフ会に向かう彼女と一緒にホテルを出ようとした俺だったが、ラウンジを出ると、彼女が素早くスマホに文章を作成した。
《 それじゃ、私、急いで行ってくるね。今日は本当にありがとう。また連絡するね。 》
そして俺が頷くと、俺の別れの言葉は待たずに、手を振って、小走りでホテル正面出入り口に向かったのだった。
黒いリュックが、小刻みに揺れるのを、俺はその場に立ったまま見送っていた。
その姿が、見えなくなってしまうまで。
やがて、彼女が退場したクリスマスのエントランスで、俺は最後の一目とばかりにクリスマスツリーを見上げた。
願いを叶えてくれるというクリスマスツリー。
俺がさっき願ったことは、あっという間に叶ってしまった。
クリスマスの賑わいに満ちたホテルで、俺は、静かに両手を動かした。
左手を胸の前で横向きに寝かせて、右手で左手の甲を切るように軽く叩く。
今日、はじめて覚えた手話だ。
俺の願いを叶えてくれたクリスマスツリーに――――――
”ありがとう”
ありがとう。(完)




