8話 寝床が決まりました
学舎を後にしたアレスとモニカは、二人で少し街中を見て回る。
ただ、生活に余裕のないモニカに余計な出費はさせられないので、街の通りを歩くだけにして、夕飯の材料の買う以外で店などには入らなかった。
そのため二人は早々にモニカの住む寮へと帰ることになり、アレスは夕食までの余った時間をモニカの魔法の練習に助言したりしながらのんびりと過ごす。
そして、夕暮れ時になると二人で食卓を囲み、食前の祈りを済ませてモニカの作った夕食を食べ始めた。
「今日はお買い物にお付き合いしてくれてありがとうございました。とっても楽しかったです!」
「いやいや、俺がモニカに街を案内してもらってたんじゃないか。夕飯の買い物はそのついでだったんだし、モニカがお礼を言うようなことじゃないよ」
「あっ、そう言えばそうだったんでしたっけ……えへへ、いつの間にか勘違いしちゃってました。案内してたはずなのに、わたしがの方がはしゃいじゃってたので、つい」
モニカははにかみながら頬を染める。
アレスが街を案内してもらったとき、彼女はただ二人で並んで歩いていただけでも鼻歌を歌いだしそうなほど楽しそうにしていたので、そんな分かりやすく浮ついていた自分の振る舞いを思い出して、気恥ずかしく感じてしまったのだろう。
「まあ、むしろこっちがお礼を言いたいくらいだから。ありがとね、モニカが案内してくれたから、なにげない探索でもかなり楽しかったよ」
「ホントですか!? えっと、じゃあもしかして……これからもお買い物に行くとき、アレスさんについて来て欲しいってお願いしても迷惑じゃないですか?」
「それぐらい頼むほどのことでもないじゃないか。もちろん付いて行くから、気軽に誘ってくれていいよ」
「やった! ありがとうございます!」
やたらと嬉しそうにお礼を言うモニカは、アレスからすれば少し大げさなくらい喜んでいるように見えた。
おそらくそれは、彼女がいつも一人で買い物をしていたせいだろう。
他の学生が友達と楽しそうに買い物をしている様子を見ながら、彼女がかなりの寂しさと疎外感を感じていたことは想像に難くなかった。
ニコニコと笑うモニカは、いつでも傍にいてくれる召喚獣を得て寂しさを紛らわすことができたようだ。
だが、召喚獣はあくまで契約として、対価を貰って傍にいるだけの存在だ。
彼女に本当に必要なのは召喚獣ではなく、同年代の友達なのかもしれない。
そんなことを考えるアレスだったが、それはモニカがどうにかしなくてはいけない問題で、アレスにはどうしようもなかった。
とりあえず、今は目の前にあるモニカの作ってくれた料理を食べることに集中することにする。
テーブルの上に並ぶ夕食は、羊肉のシチューと葉物野菜のサラダだ。
ブラウンソースのシチューを口にすると、多くの香味野菜が煮込まれた深みのある味わいが広がる。
風味こそ少し違うが、日本の洋食屋で出てくるようなビーフシチューに劣らないほどの美味しさだった。
具の羊肉は、昼食のとき食べたすじ肉とは違ってかなり柔らかい。
サラダの野菜も新鮮でみずみずしく、パンも柔らかい白パンだ。
料理に使われている素材が全て、そこそこ値の張るものだということは明らかだ。
「おお、すごく美味しい。それに、昼のときよりも豪勢だね」
「えへへ、分かりました? 今日はホントにいろいろとお世話になったので、お礼の気持ちを込めてできる限り奮発させてもらったんです!」
気づいてもらえてえて嬉しい、とでも言うように天真爛漫な笑みを浮かべるモニカは、アレスと出会った当初のおどおどした雰囲気など全く感じられなかった。
おそらく、今のモニカこそが素の彼女なのだろう。
「それはありがたい。でも、お金は大丈夫なの? あんまり贅沢はできないんでしょ?」
「えっと、ちょっとくらいなら大丈夫……だと思います。明日と明後日は授業のない日なので、冒険者としてのお仕事ができますから」
「ああ、さっき説明してもらった学院の制度の奴か」
「はい、それですね。わたし、なんとかですけど魔法が使えるようになったので、今までよりも報酬のいい依頼を受けられると思います。だから、毎日アレスさんに美味しいものを作ってあげられるだけの余裕も作れるかもしれません。わたし、がんばりますね!」
「……」
無垢な笑顔を見せるモニカに、アレスは苦い表情で押し黙る。
上げ膳据え膳の生活を提供してもらう上、生活費まで稼いでもらうという状況に強い危機感を覚えたからだ。
まるでヒモ男のようではないか。
それも、相手はまだあどけない少女である。
そのことに気がついた瞬間、アレスは自分の食い扶持は自分で稼ごうと決心をした。
アレスにもプライドというものがある。
ロリのヒモ――そんな業の深い存在になどなりたくはないのだ。
「冒険者の仕事か……少し面白そうだな。やっぱり街の外に行ったりするの?」
「そうですね、魔法を使えないとなかなか見つけられない珍しい薬草の採取依頼とかを受けたいと思ってます」
「へえ、それ、ついて行ってもいい?」
「え? 大丈夫ですけど……もしかして手伝ってくれるんですか? でも、冒険者としてのお仕事は学院の授業の一環なので、アレスさんを頼りにするのは悪い気がするんですけど……」
「ああ、気にしなくていいよ。俺は自分のやりたいことを勝手にやるだけのつもりだから、モニカの仕事の手伝いにはならないかもしれないし」
「なにか街の外でやりたいことがあるんですか?」
「そういうことだね。自然の中を散策しながら食材を現地調達して料理する、みたいなことに少し憧れてたんだ」
「あ! それ、なんだかちょっと楽しそうですね!」
ついでに、換金できる薬草などを採取すれば生活費を少しは稼ぐこともできるだろう。
ヒモ生活回避のめどが立ち、アレスは少し安堵した。
実際のところ、資金などアレスが本気で魔法を使えばいくらでも調達できる。
だが、単にお金を稼ぐだけの目的でなにかをするつもりはない。
お金稼ぎは、アレスのやりたいことではないからだ。
やりたいことをやる、ということがアレスにとっては重要なことなので、稼ぐことはやりたいことのついで程度が理想的なのだ。
「じゃあ、明日は二人でピクニックですね! ふふっ、今日は早く寝なきゃ――あっ……」
明日が楽しみで仕方がない、といったように瞳を輝かせるモニカだったが、なにかに気づいたように部屋の中を見渡す。
そして突然、顔を真っ赤に染め上げて慌て出した。
「も、もっ、もしかして、その……そ、そういうことなんでしょうか……!?」
「……いったいなんの話をしてるんだ?」
「……へ? えと、そ、それは……」
モニカの問いかけの意味がよく分からず、アレスがその理由を尋ねると、モニカは恥じ入るように言いよどむ。
そして、どことなく悲壮感のある表情でなにかを決心したように口を開く。
「も、もちろん、こ、今夜の話です!!」
モニカがなにか盛大な勘違いをしていそうで、アレスは妙に嫌な予感を覚えた。
「……今夜はもう寝るだけだよね?」
「は、はい……えっと、そ、その……ベッドがひとつしかないのは……そういうことなんですよね……? あ、あの……アレスさんなら、わたし、どんなことでもちゃんと我慢しますけど……その……よくわからないし……はじめてなので……できれば、あんまりひどいことはしないでほしいです……」
俯きながら湯気が出そうなほど顔を真っ赤にしモニカが、怯えるように震えながら消え入るようなか細い声で呟く。
「……はあっ!? いやいやいやいや!! 誤解だから!! 完全な誤解だから!!」
冷や汗を流しながら大慌てで否定するアレスだったが、モニカは熱に浮かされたようにそのまま暴走を続ける。
「ああっ! で、でも、わ、わたしなんかでホントにいいんでしょうか……!? その……わたし、背も低いし……胸も小さいし……」
「話を聞いて!? というかどうしてそんな勘違いしちゃってるの!?」
「……え? えっ!? だ、だって、アレスさんほどの方を召喚したのに、なんの代償もないなんてやっぱりおかしいと思うんです!! 昔話とかでも、召喚された強大な精霊は生贄を求めたりするのが普通ですよね? その……年若い生娘……とか……。アレスさんはわたしに、ここで暮らすお世話をする以外なにもしなくていい、って言ってましたけど……それってつまり、アレスさんの方がわたしに……その……やりたいことをするから、私はなにもしないでそれを受け入れるだけでいい、っていう意味じゃないんですか……?」
「深読みし過ぎでしょ!? 俺はモニカにそんなこと一切求めてないから!?」
戸惑うように理由を説明するモニカに、アレスは狼狽しながらも必死になって否定する。
その甲斐があったのか、モニカはハッとした表情になり、直後、わたわたと目を回しそうなほど忙しない仕草で焦り始める。
「……え!? ええっ!? そ、そ、そうなんですか!?」
「そもそも、俺とモニカは種族が違うじゃないか!? 精霊は普通、人間をそういう目で見ないから安心して!?」
精霊は人間を低レベルな存在だと考えているため異性としては認識しない。
アレスは前世が人間のためその限りではないが、そもそも龍王という種族は長命のためか異性に対する欲求が極端に弱い。
そして、アレスは中学生程度の少女を恋愛対象にするような価値観は持っていなかった。
モニカのことをかわいいとは思っている。
だが、それは異性に対する感情ではなく、仲の良い親戚の子供に感じるような保護者に近い目線での話なのだ。
「……へ!? え、そ、そんな……あっ!? ご、ごめんなさい!! わたし、へ、変な早とちりしちゃってました!! さ、さ、さっき言ったことは忘れてくださいっ!!」
「ああ、うん……そうだね、そうしておくよ……」
大慌てで取り繕うように声を上げるモニカに、疲れ切った様子のアレスは安堵の気持ちを滲ませながら返事を返した。
モニカはそれきり何も話さず、そわそわと落ち着きのない様子で夕食に手をつける。
完全にいっぱいいっぱいといった様子だ。
今はそっとしておいた方がいいだろうと考えたアレスは、どこか気まずく感じながらも余計なことは話さずに黙々と食事を済ませた。
「じゃあ、朝になったらまた来るから」
「……え? どこに行くんですか? もしかして……帰っちゃうんですか!?」
「ああ、大丈夫、俺はもう精霊界に帰るつもりなんてないよ」
どこか不安そうなモニカに、アレスは苦笑しながら答える。
既にアレスは人間界に根を下ろす気でいた。
召喚獣が人間界に滞在するための魔力的な負担は召喚者にないため、帰る必要性もない。
精霊が人間界に行く場合は呼び水となる召喚者の魔力が必要だったが、一度人間界に来てしまえばもう必要ないのだ。
「どこかいい寝場所を探しに行くだけ。星空でも眺めながら寝てくるよ」
精霊であるアレスは寝る必要などないのだが、前世の記憶から、寝るということ自体に楽しみを見出していた。
キャンプにでも行く気分で少しワクワクしながら部屋を出ようとするアレスだったが、 それをモニカが慌てて引きとめる。
「ええ!? だ、ダメですよそんなの!? 風邪ひいちゃいます!」
「ああいや、龍王の体はそんなに軟じゃないから大丈夫」
「でも、寝泊まりできるきれいなお部屋があるのに、アレスさんだけ外で寝てもらうなんてできませんよ! だって、わたし、ちゃんとお世話します、って契約文にも書いたのに……寝る場所も用意できないだなんて召喚者として失格じゃないですか……」
召喚者としての責任感からか、モニカはしょんぼりとうつむいた。
アレスは落ち込むモニカの様子を見て、渋い表情で思案する。
「でも、俺が同じ部屋で寝てたらモニカは落ち着いて休めないでしょ?」
「わ、わたしのことなら大丈夫です! き、気にしませんからっ!!」
頬を赤くしながら上ずった声で断言するモニカ。
明らかに大丈夫ではなさそうだ。
間違いなく、これでもかというほど気にしてしまうのだろう。
「やっぱり、俺は外で――」
「あ、あの! わたしはソファーで寝るので、アレスさんはどうぞベッドを使って下さい!」
「いやいや、さすがに部屋主を差し置いてベッドで寝るなんてことはできないから」
「あ……ごめんなさい、わたしがソファーで寝てたら、アレスさんは気が引けて落ち着けませんよね。じゃあ、わたしは外で寝ますから、アレスさんはこの部屋を使って下さい」
「いやいやいや、そんなことはもっとできないから! それにそういう意味で言った訳じゃないよ!?」
その後も二人の少しずれた押し問答は続き、結局はアレスが折れて、魔法でベッドをもう一つ作ってモニカの部屋で寝る、という案で落ち着くことになる。
ドタバタ騒ぎの末、アレスが召喚獣になった初日の夜はぎこちなく更けていくのだった。