5話 根本的な問題を解決しよう
モニカによって窓際のテーブルに料理が並べられていく。
手伝うことを申し出たアレスだったが、「アレスさまにそんなことをしていただくなんて!」などと、やたらと恐縮されてしまったので大人しく席に着いて待っていることにした。
パンの詰められたバスケットが中央に置かれ、それぞれの席の前には木製の皿とお椀が並べられていく。
皿には何かの肉を豆と一緒に煮込んだ料理が盛られていて、お椀には素揚げされた根菜を浸したスープが入っている。
立ち上る湯気と一緒に部屋に広がっていくのは、やさしげな家庭料理の温もりと香草のさわやかな香り。
アレスは思わず喉を鳴らす。
「わたしの手料理なのでアレスさまのお口に合うかどうか……こんな質素なものしか出せなくて申し訳ないです……」
確かに、どこか田舎料理といったイメージを抱く見た目の品々だ。
だが、それはそれで素朴な魅力があることをアレスは知っている。
「いえいえ、料理は高級ならばそれでいいという訳ではないですから。それに、手間をかけてしっかりと作ってくれた料理だということは見れば分かります。すごく美味しそうじゃないですか」
アレスが率直な意見を言うと、不安げな様子だったモニカの表情がぱっと明るくなる。
「ホントですか!? じゃあ、あたたかいうちにいただきましょう!」
モニカは嬉しそうにニコニコと笑みを浮かべながら、アレスの向かいの席に座った。
それを確認して、アレスは前世の癖で「いただきます」と言いそうになってしまったが、寸前で言葉を飲み込む。
目の前のモニカが胸に両手を当て、真剣な表情で目を閉じていたからだ。
窓から差し込む一条の光がひたむきに祈りを捧げる少女を照らし、そのつやつやとしたライトブラウンの髪をまるで金糸のようにキラキラと輝かせていた。
どこか神秘的で絵になる光景だな、と少し心を動かされる。
おそらく、この国での食前の祈りなのだろう。
そこで、アレスもモニカの見よう見まねで祈ることにする。
郷に入りては郷に従え。
そんな前世での考え方が、異界の地に馴染むためには最適だと考えたからだ。
その作法が何に祈るためのものなのかは分からなかったが、そういった細かい文化は追々と知っていけばいいだろう。
とりあえず、アレスは前世のときと同様に、食材への感謝と料理を作ってくれたモニカへのお礼の気持ちを込めておく。
十数秒程度の祈りを終えると、さっそくアレスは木製のスプーンを手に取り、料理に手を付ける。
まずはメインディッシュと思われる肉と豆の煮込み。
彩は地味で、肉と豆で茶色の濃淡が違う程度だが、大事なのは味だ。
一口食べてみると、口の中に広がるのは牛肉のようにジューシーな肉汁と獣臭さを消し去るサッパリとした香草の香り。
煮込まれた豆は柔らかく、肉の味を絶妙に引き立てながらホロホロと崩れていく。
対照的に肉にはしっかりとした歯ごたえがあって、食感に飽きがこない。
じっくりと煮込まれていても結構な硬さがある肉は、どうやら安っぽいすじ肉のようだ。
だが、決してそれが悪い訳ではない。
すじ肉にはすじ肉の良さがあり、高級感のある柔らかい肉より劣るとは一概には言えないからだ。
すじ張っていてなかなか噛み切れないが、その分、噛みしめるごとにすじ肉の深みあるうまみがジワジワと口の中に広がってく。
ウマい。
病みつきになりそうな美味しさだ。
今度は素揚げされた根菜入りスープの味を見る。
芋と人参が入ったスープは塩味の素朴な味わいだが、具材の出汁が溶け出していて野菜の甘みを感じられる。
肉類が入っていないので淡泊な味を想像していたが、素揚げされた根菜の油がそれを十分に補っていた。
具の芋や人参を食べてみると、じっくりと煮込まれていて柔らかく、丁寧に隠し包丁を入れられているためか、しっかりとスープの塩味がしみ込んでいて美味しい。
続いてパンに手を伸ばす。
ライ麦で作られた黒パンはかなり硬かったが、スープに浸せば柔らかくなり、ライ麦の濃い香りが楽しめた。
モニカの手料理はとにかく丁寧に作られていて、まるで彼女の気立てのよい性格を表しているかのようであった。
全ての料理が美味しく、アレスは食べるのに夢中になってしまった。
ただ、それも仕方のないことだろう。
食事の必要ない精霊界ではまともな料理を食べられなかったので、久々に食べるしっかりとした食事に感動して、余計にモニカの料理がおいしく感じられてしまうのだ。
「そ、その……どうですか?」
気づけば、目の前のモニカが期待と不安が入り混じったような表情でこちらを窺っていた。
モニカはまだ料理にも手をつけてないようだ。
料理を食べたアレスの感想が気になって仕方がない、といった様子なので、先ほどからずっとアレスが食べる様子を見つめていたのかもしれない。
「すごく美味しいです。素材が素朴でも、それを生かしたり補ったりする工夫が凝らされていることがすぐに分かりました。モニカさんはとても料理上手なんですね」
「ホントですかっ!? ありがとうございますっ!!」
アレスが感心したように心よりの称賛を送ると、モニカは大輪の花が咲いたようにぱあっと笑顔になり、大喜びし始めた。
嬉しくて嬉しくてたまらないといったように笑うモニカを微笑ましく思いながら、アレスは食事を続ける。
ただ、モニカはいつまでもこちらを眺めてニコニコしているだけだ。
「食べないんですか? 早くしないと冷めてしまいますよ?」
「あっ! そ、そうですよね! えへへ……」
アレスが苦笑しながら声をかけると、モニカは我に返ったようにハッとすると、頬を染めて照れ笑いしながら料理を食べ始めた。
「ふふふっ、誰かといっしょにご飯を食べるって幸せなことですね」
アレスが夢中で料理を味わっていると、モニカが微笑みながらポツリとつぶやく。
誰かと一緒に食事をする程度のことで幸せを感じてしまう生活を想像して、アレスはモニカに憐みの視線を向けてしまう。
「……あれ? どうかしましたか?」
モニカはアレスの視線の意味が全く分かっていないようで、きょとんとした顔で不思議そうに見つめ返してきた。
その純粋そうな様子がよりいっそう同情を誘う。
「……いえ、なんでもないです」
だが、今のモニカは楽しそうな様子なので、余計な気を使うよりも普通に接した方がいいだろう。
「ああ、そういえば、少し気になってしまうので提案があるのですが……」
「はい、なんでしょうか?」
モニカが自然な表情を見せるようになってきたことを確認して、アレスは食事を続けながら切り出した。
「お互いに敬語はやめにしませんか?」
「えっ!? そんな、アレスさまに失礼じゃ――」
「召喚主と召喚獣の関係は対等なパートナーといったものが望ましいと私は考えています。ですので、気兼のないやり取りができた方がいいと思うのですが……」
恐縮されることは分かり切っていたので、アレスはモニカの言葉を遮って理由を話した。
「そ、そうなんですか……? でも、わたし、小さいころからずっとこの話し方だったので……」
「……では、せめて名前を様づけで呼ぶのはやめてもらえませんか?」
「えっと……いいんでしょうか……?」
「全然問題ないです。じゃあ、俺も敬語はやめにするけど、あまり気を使い過ぎないでいてくれると嬉しいかな」
「は、はい、分かりました! がんばってみます!」
「ははは……頑張るようなことではない気が……いや、なんでもない。長い付き合いになりそうだし、これからよろしくね」
「はい! よろしくお願いしますね、アレスさん!」
モニカの気を使いすぎるところは、おそらく丁寧な口調と一緒で幼い頃からの性分なのだろう。
だとすれば、いくら気を使うなと言っても効果はないのかもしれない。
だが、とりあえず、一番気になっていた様づけで呼ばれることは改善されたので良かった、と安心するアレスだった。
「それじゃあ、少しモニカの事情を教えてもらえるかい? 見るからに立派な制服を着てるから、どこかの学校の生徒なんだろうけど」
「あっ……ごめんなさい、そういえば全然お話できていませんでした。わたしは魔導師見習いとしてこの街にあるアッドワード魔法学院で勉強させてもらっています。あっ、えっと、アッドワード魔法学院っていうのは、セントラーダ帝国にある魔法学院で、今いるこの街の名前でもあるんです」
「つまり、ここは魔法学院を中心にしてできた学園都市で、学院関係者が生活するための街っていうことか」
「はい、そういうことになりますね。この部屋も学院の平民用学生寮の一室なんです」
「平民でも魔法学院に通えるの? 精霊界で読んだ本には魔法は貴族だけの特権と書いてあったんだけど」
「え? あっ、百年くらい前はそうだったって習いましたけど……」
「……情報が古すぎたか」
精霊界にある人間界の情報は、数百年前の情報が最新情報だったりする困った事態がよくあるのだ。
精霊界で調べたこの世界の情報は、あまり当てにならないかもしれない。
「でも、魔法は貴族さまのものっていうのは間違ってないかもしれません。普通だと、わたしたち平民は貴族さまに才能を認められたごく一部の人しか魔法を学べないんです。魔法学院に通うにはいっぱいお金が必要なので……」
「なるほど、学費の支援の代わりに、卒業後は出資者の貴族のために働かなくてはならない、って訳だ。……でも、金銭的な支援を受けているなら、モニカはもう少し生活環境をよくできるはずなんじゃない? この部屋、直す前は相当ひどかったけど……」
「……そうですね」
俯いてしまったモニカに、アレスは少し罪悪感を覚えてしまう。
だが、これはモニカの召喚獣であるアレスにも影響するだろう問題なので、聞いておかなくてはならないことだった。
「わたし、魔法学院ではひどい落ちこぼれですから……その、いただけるはずのお金を減らされてしまっていて……」
「落ちこぼれ……か。さっきも言ったけど、龍王を召喚できてる時点でそれはあり得ないと思うんだけどなあ」
「で、でも、わたし、魔法をちゃんと使うことができないんですよ?」
「どういう感じで?」
「えっと、その、効果がすごく小さかったり、逆に大きすぎて扱い切れなかったり……それに、魔法が出る方向も滅茶苦茶なので、周りのみなさんにもとても迷惑をかけてしまうんです……」
「なるほど、制御ができない訳ね」
「はい……」
しょんぼりとするモニカに、アレスはなにか助けになれないかと考えを巡らせる。
ひとまず、アレスは精霊界で身に着けた魔法の知識から、モニカの問題の原因を探った。
その魔法の知識は、先ほどの人間界の知識のように情報が古い、などということは基本的にない。
精霊界の魔法は人間界のものよりもずっと進んでいるからだ。
「もしかして、魔法の訓練を小さい頃からやってなかったとか……?」
「え? あ、はい、そうですけど……」
「なんだ、じゃあ原因はそれしかないじゃないか」
「えっ!? で、でも、わたしと同じくらいの歳から魔法を習いはじめた子も学院にはいますけど、ちゃんと魔法を使えてますよ」
「それは大して魔力が高くない人だからじゃない?」
「えっと、それってどういう……」
「高い魔力を持つ人ほど、そのコントロールには苦労するものなんだ。だから、極端に高い魔力の才能を持った人は、まだ魔力が成長し切ってない幼い頃から制御に慣れていかないと、まともに魔法が使えなくなるってこと。モニカは龍王を召喚できるほど人間としては規格外な魔力を持ってるから、そのせいだろうね」
「そ、そうなんですか……!?」
それは精霊界では基本的な知識だったが、ここでは違うようだ。
貴族は当然、幼少期から魔法を習えるはずなので高い才能があっても問題は起きず、魔力は高いくせに出来損ないの平民魔導士のためにわざわざ研究をすることもない。
幼小期での魔力制御に関する研究が遅れていても仕方のない話だ
今まで、モニカのような魔導士は切り捨てられてきたのだろう。
「じゃあ、わたし……これからどんなに頑張っても、ちゃんと魔法を使えるようにはなれないんですね……ああっ! でも、前向きに考えないといけませんよね! だって、そのおかげでアレスさんに会えたんですから」
沈み込んだ表情から一転して、笑みを浮かべるモニカ。
だが、その笑顔はどこかつらそうで、無理をしている様子が隠しきれていなかった。
魔法をまともに使えないということは、彼女にとってそれだけ大きな障害だったのだろう。
「いや、今からでも魔力の制御に慣れる方法はあるから」
「……え?」
アレスがなにを言っているのか分からない、とでも言うように、モニカはポカンとした表情になってしまった。
「普通に使えるようになるよ、魔法。大して時間もかからないし」
「……は、はい? その、えっと……? ……え?」
そんな都合のいい話を受け入れることに戸惑っているのか、モニカは呆けたように固まってしまった。
「まあ、とりあえず試してみようか? 実際に魔法を普通に使えるようになれば信じられるだろうし」
「……え……あ、はい……そ、そうですね」
混乱し切った様子のモニカに、アレスは思わず苦笑を漏らす。
二人は料理を食べ終えると、魔力制御の訓練をするため席を立った。
そして、アレスはおもむろにモニカのサラサラな髪の上に軽く手を添える。
「……え? えっ?」
「目を閉じて、リラックスして」
「……へっ!? えと、その……は、はい、分かりました……」
動揺し頬を染めるモニカだったが、状況に流されたのかアレスの言葉に素直に従う。
「【魔力封印】」
アレスの手のひらからあふれ出した魔力光がモニカを包む。
「……ひゃぁ!?」
モニカは少々くすぐったそうにしていたが、抵抗しようとはせずに、戸惑いながらもアレスの魔法を受け入れたようだ。
【魔力封印】はその名の通り、相手の魔力を封印する魔法である。
対象が抵抗しようと思えば簡単に防がれてしまう使い道の少ない魔法だが、相手が受け入れているのならば問題はなかった。
ただ、それをそのまま使ってモニカの魔力を封印し、魔法を使えなくさせる訳ではない。
アレスは【魔力封印】の効果を細かく調整し、ちょうど彼女の魔力の出力部分だけに制限がかかるように使用していた。
光が収まると、どこか心ここにあらずといった様子のモニカがこちらを見つめていた。
「あの……アレスさん、今のは……?」
「魔力が制御しやすいように、その出力を大幅に制限したんだ。もう普通に魔法が使えると思うよ。ああ、魔力はいつで戻せるから心配しなくても大丈夫。段階的に出力を開放していけば、君は規格外に高い才能に見合った実力者になれるだろうね。もちろん、そうなるための努力は必要だけど」
「……」
アレスが少しだけ得意げに説明すると、モニカはポカンと口を開けたまま固まってしまった。
説明の内容が衝撃的過ぎたのかもしれない。
「……まあ、とにかく、なにか簡単な魔法を使ってみなよ」
アレスは苦笑しながら、呆然としているモニカに促す。
すると、モニカはゆっくりとポケットからタクトのような杖を取り出し、恐る恐るといったように魔法の詠唱を始めた。
「……そらにたゆたう火片の精よ わが手に集いてその身を灯せ――【種火】」
杖の先に灯る小さな炎。
ごくわずかに揺らめくその火種は、とても安定しているように見えた。
目を真ん丸にしたモニカがその静かな火をまじまじと見つめている。
「う、うそ……できた!? ほ、本当にできましたよアレスさん!! 見てください! ほら! ちゃんとろうそくの火みたいに綺麗な形してます!!」
「問題なく使えるみたいでよかったよ」
そして、やっと実感が持てたのか、瞳を輝かせ言い募ってくるモニカに、アレスは思わず微笑む。
「すごい、夢みたい……あ、あれ……?」
大喜びしていたモニカだったが、突然その声がトーンダウンする。
いつの間にか、彼女の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちていたのだ。
「ご、ごめんなさい、うれしいのに、なんで泣いちゃってるんでしょうね、わたし……あはは……」
モニカは慌てて指で涙をぬぐうと、なんでもないとでも言うように気丈に振る舞った。
そして、すぐに魔法の使用に集中し始める。
できるだけ早く魔力制御の感覚をつかもうと必死なのだろう。
アレスはそれを邪魔しないように、モニカの一生懸命に頑張る姿をただ優しく見守るのだった。
だが、魔法の練習はすぐに中断されることになる。
――ガーンゴーン……ガーンゴーン……
街に鳴り響く鐘の音を聞いて、モニカが何かを思い出したかのようにハッとする。
「ああ!? いけない! 次の授業がっ!! ご、ごめんなさい、すぐに行かなきゃいけないんです!!」
そう言うやいなや、モニカは大慌てで部屋を飛び出していく。
一人取り残されたアレスは、これからどうするか少し悩んでしまう。
街を探索しに出かけることも考えたが、それは彼女に案内してもらった方が楽しめそうだ。
魔法学院の授業にも少しだけ興味がある。
結局、アレスはモニカを追いかけることにするのだった。