4話 居住環境を改善しよう
モニカの部屋に置かれているボロボロの家具はやたらと数が多く、似たようなものが何個もあった。
ただ、実際に使われている様子の家具は、机と椅子、ベッドに洋タンスの四つだけだ。
それ以外の家具は状態も悪く、部屋のスペースを占拠するだけのガラクタに見える。
まるで、倉庫の片隅を居住スペースにしたかのような部屋だ。
だが、そんなひどい環境でも掃除だけは行き届いているようで、部屋の主であるモニカの健気な性格が見て取れる。
どこを探しても埃ひとつ見当たらないのだ。
使われている家具はもちろんのこと、壊れて放置されているのだろう家具までもが、全て丁寧に拭き掃除されているようだ。
一通り部屋の確認を終えたアレスは、手始めに近くにある木製の机に手をかける。
歪んでいるのか、ひどくガタついて安定しない。
木製の表面は擦れてニスが剥がれ落ち、ささくれ立ってしまっていて手に刺さりそうで危ない。
「今までよくこんなものを使ってられたな……」
この机で勉強しているのだろうモニカに同情してしまう。
そこで、アレスは彼女が快適に使えるように机の修理を始める。
「【物質加工】」
それは名前の通り物質を加工するための魔法であり、大工や細工師、鍛冶師などの職人がこなす作業を魔力の消費で代替できる。
ただ、扱いが難しく、大抵の魔導士は職人の足元にも及ばない粗悪な加工精度しか出せないため、一般的にはあまり使われていない。
しかし、龍王として生まれつき備わった魔法の資質と精霊界での二十年の鍛錬により、どんな魔法も完璧に使いこなせるアレスにかかれば、超精密加工といったことさえ可能な非常に便利な魔法となる。
通常なら魔法を使う前に詠唱が必要なのだが、アレスはそれを省略する技術も身に着けているので、手早く魔法を行使した。
魔法の対象を指定すると、机が淡い光に包まれ、アレスの意のままに加工が進む。
机の脚を削って均等な長さに調整し、表面は全体を丁寧に磨き上げてすべすべの木面に仕上げていく。
職人がやればある程度の時間がかかりそうな作業だったが、アレスの魔法ではものの数分で終わらせることができた。
「このくらいで充分か」
加工後の机は、素材自体が古びていたため新品同然とはいかないが、実用レベルの仕上がりにはなっている。
アレスはその出来にとりあえず納得すると、椅子と洋タンス《チェスト》にも即席の修復を施していった。
そして、最後にベッドの修理に取り掛かったとき、あることに気づく。
枕がわずかに濡れている。
それはまるで涙の跡のようだった。
「……まあ、こんな環境でつらくない訳がないよな」
モニカの態度の端々から寂しげな雰囲気が感じ取れたことや、明らかに冷遇されているだろうこの粗末な部屋から考えて、彼女の置かれている境遇は相当なものなのだろう。
「……なんだかなあ」
不当な扱いを受けて枕を濡らす幸薄い少女の生活を想像してみると、なんともやりきれない気持ちが押し寄せてきた。
この世界では前世で暮らしていた日本よりもずっと多くの理不尽が溢れていることは理解している。
だが、目の前にそれを突き付けられれば、割り切れないのも仕方がないことだろう。
そしてアレスには、そんな理不尽を跳ね除けられる力があった。
「……よし」
家具を少し修理した程度では、モニカの生活環境を変えるには不十分なのではないか。
そう考えたアレスは、少しばかり本気を出すことにする。
アレスはおもむろに腕を前に突き出すと、集中力を高めるためゆっくりと目を閉じる。
すると、周囲に緻密で複雑な魔方陣が展開され、先ほど使った通常の魔法とは比べ物にならないほど膨大な魔力がうごめき出す。
『起こりと終わりを統べしもの 流転の摂理を定めしものよ 我、古き盟約を創りし祖が名に於いて 汝が刻みし時の戒めを否定せん――【遡行復元】』
口ずさんだのは古の龍が使っていたとされる言語。
発動したのは創世より龍にのみ許された特権。
それは世界の根本的なルールを捻じ曲げる傲慢な魔法、龍言語魔法であった。
詠唱を終えた直後、魔方陣からあふれ出した魔力の奔流が周囲を満たす。
そして、その黄金の輝きが消え去った後には、以前とは様変わりしたモニカの部屋が姿を見せた。
漆喰の壁は純白で、綺麗に整った板張りの床は染み一つない。
壊れかけだった家具は見る影もなく、その全てが新品のようにつやつやと輝いている。
部屋の中にあるもの全てが、真新しい雰囲気を醸し出していた。
まるで新築物件の一室のようだ。
それもそのはず、今しがたアレスが使った龍言語魔法は、対象物の積み重ねてきた歳月を否定し、経年劣化を消し去ってしまう魔法。
生物には使用できないなど制約もあるが、時間を巻き戻す、という通常の魔法ではあり得ない超常現象を引き起こせる規格外な代物だ。
部屋を改修するために使うにしては大げさすぎる魔法だが、アレスはその結果を見て満足げに頷く。
通常の魔法で行った修理は完全に無駄になってしまったが、新品同然の家具を目の前にしてはどうでもいいことに思えた。
そして、見違えるほど綺麗になった部屋を見ていると、この作業をとても楽しく感じてきて夢中になっていく。
「……少し華やかさが足りないか?」
さらなる改善点を探し始めたアレスは、家具も内装も全体的に質素すぎることが気になってしまった。
その上、使っていない余分な家具が多く、倉庫のような雰囲気は改善していない。
「【物質加工】」
アレスは再び魔法を使い、余分な家具を解体していく。
そして、それを材料にして新しい家具を作り、部屋には装飾を施していった。
一度始めたことはとことんまでやり通したい。
アレスはそんな凝り性な性格なのだった。
◇ ◇ ◇
部屋の改修を終えたアレスは、その成果を見てぼんやりと頬をかく。
「少し、やり過ぎたか……?」
モニカの部屋は、つい先ほどまでとは完全に別の空間となっていた。
床にはカーペットが敷かれ、ベッドは豪華な天蓋付き。
机や椅子、洋タンスなどは大幅にデザインが変更されており、高級感漂う物となっている。
部屋の中央には、以前はなかった低い幅広のテーブルが置かれており、その周囲にはふかふかのソファーが並ぶ。
さらに、窓際には小洒落たティーテーブルのセットが置かれていた。
それだけ家具が並んでいるにもかかわらず、使っていなかった余分な家具はなくなっているおかげで、部屋がとても広く感じられる。
その上、全体的に華やかな装飾が施されていて、貴族の令嬢が使っていたとしても不思議ではない部屋となっていた。
「……まあ、みすぼらしい部屋よりかずっといいだろう」
アレスは少々やり過ぎたことから目をそらし、その完成度に満足することにした。
するとそのとき、部屋のドアをノックする音が響く。
「はい、どちら様でしょうか?」
「あ、あの、わたしです。モニカです。入ってもだいじょぶでしょうか?」
「……どうぞ」
自分の部屋なのだから普通に入ってくればいいものを。
必要以上に気を使っているのは彼女の性格ゆえなのか、それとも環境がそうさせるのか。
そんなことを考えていると、少しだけやるせない気持ちになってしまう。
「失礼します……へっ!?」
パンの詰められた手さげかごを持ったモニカが、ドアを開けて部屋に入ってくる。
だが、部屋に一歩踏み入れた途端、目を丸くして素っ頓狂な声を上げた。
そして、原型のないほど豪華になってしまった部屋を見回していくと、あわあわと落ち着きのない雰囲気になっていく。
「ご、ご、ごめんなさい!! 間違えましたっ!!」
混乱した様子のモニカは慌てて部屋から出ていってしまい、アレスは思わず吹き出してしまいそうになる。
モニカの反応があまりに面白かったので、そのまま口を挟まず見守っていると、少し間を置いて再びドアがゆっくりと開く。
わずかに開いたドアの隙間からは、恐る恐るといった様子で部屋の中を覗き込むモニカの顔が見えた。
「え? あ、あれ? そこにいるの……アレスさまですよね……?」
「そのはずですね」
アレスが笑いをこらえながら平静を装って返事をすると、モニカはますます混乱した様子になっていく。
「あの、ここって……さっきまでわたしの部屋でしたよね……? え、えっと? あれ? わたしの部屋……どこに行っちゃったんでしょうか……?」
やたらと不安げなモニカが、真剣な様子でそんなことを問いかけてくる。
「ぷっ……ふふふっ、部屋がどこかに行っちゃいましたか。それは大変困りましたね」
モニカの動揺し切ったリアクションがどうにもおかしくて、アレスはたまらず笑い出してしまった。
「安心してください、ここは今も間違いなくあなたの部屋ですから」
「へ? え? ……え?」
モニカはアレスの言葉の意味を受け入れられないのか、困り顔で周囲に疑問符を浮かべていく。
その様子を見て、アレスはますます笑みを深めた。
ただ、モニカがそんな反応になるのも仕方がないことだろう。
彼女の部屋は、前と同じ場所だと言われても到底信じられないほど変わってしまっているのだ。
「ですから、ここはあなたの部屋なんです。私が魔法で改装したので分かりづらいかもしれませんが」
「……え? ええぇええええええええっ!? そ、そんなことできるんですか!?」
「目の前にその結果があるじゃないですか」
「そ、そうですけど! で、でも、どうして――」
「部屋が少し散らかっていたようなので、ちょっと綺麗にさせてもらっただけですよ」
「全然ちょっとじゃないですよね!?」
モニカの打てば響くようなリアクションは見ていてとても面白い。
この反応を見れただけでも、部屋を大改装した価値があっただろう。
「ああ、もしかしてご迷惑でしたか? でしたら、すぐに元に戻せますよ」
「い、いえいえっ!? 迷惑だなんてそんな!? とってもありがたいですから!!」
アレスが少しだけ意地悪なことを言ってみると、すぐさまモニカから恐縮するような返事が返ってきた。
「本当にありがとうございます……でも、すごくうれしいんですけど……こんなに素敵なお部屋、わたしなんかが使ってもいいのでしょうか……?」
モニカは自分に自信がないのか、この豪勢な部屋を分不相応に感じているようだ。
だが、それは完全な勘違いである。
「使っていいに決まってるじゃないですか。このくらいの部屋で気兼ねする必要はありませんよ。なんせあなたは龍王を召喚できるほどの大魔導士なんですから」
「大魔導士!? わ、わたしが!?」
「その通りです。先ほども言いましたが、私を召喚できる時点であなたにはそれほどの才能があるんです」
「そ、そうなんですか……?」
「はい。それに、あまり卑屈すぎる態度を取られますと、あなたに召喚された私の立場がなくなってしまいます」
実際は自分の立場など全く気にしていないアレスだったが、嘘も方便である。
「あっ!? ご、ごめんなさい!! そんなつもりじゃなかったんです!!」
「ですから、それ相応の振る舞いをしてくださいね。あなたは龍王の召喚主なんですから」
「……っ!? は、はい! わ、わかりました!!」
緊張した様子で返事をするモニカに、アレスは笑みを浮かべながら頷く。
これで少しは自分の価値に気が付いて自信を持ってくれそうだ。
龍王の召喚主などとプレッシャーをかけた甲斐もあっただろう。
「それじゃあ、料理が冷める前に昼ごはんにしませんか?」
「ああっ! そ、そうですよね! ごめんなさい、すっかり忘れちゃってました! すぐに準備しますから!」
モニカは慌て気味にそう言うと、再び料理を取りに部屋の外に向かった。
そして部屋を出る直前、アレスの方に振り返ったモニカは上目づかいで窺うように問いかける。
「あの……さっきのって、もしかして……わたしがうじうじしてたから、心配して励ましてくれたんですか?」
「……まあ、そういうことになるかもしれませんね。私たちは友人関係なんでしょう? なら、当然のことなんじゃないですか」
モニカの期待に満ちた純粋な瞳に見つめられ、アレスは少しだけばつが悪そうに返事を返す。
そんなわずかに照れの交じったアレスの反応を見て、モニカは頬を染めて控えめにはにかんだ。
「あ、ありがとうございます……その……とっても、うれしかったです……」
そして、顔を真っ赤に染め上げて逃げるように部屋を出ていってしまった。
恥じらう様子のモニカを見送ったアレスは、ぽりぽりと頬をかき、なんとなく感じてしまう気恥ずかしさを誤魔化すのであった。