2話 落ちこぼれの少女
アッドワード魔法学院。
そこはセントバニア帝国で最も格式の高い魔法大学であり、小規模な都市国家ほどの大きさを誇る学園都市である。
セントバニア帝国は大陸の半分以上を版図に収める覇権国家であるため、アッドワード魔法学院は教育機関としても研究機関としても大陸随一であると知られている。
そんな魔法学院で開発される最先端の魔法は、帝国の運営に大きく影響を及ぼすほど重要な技術だ。
そのため学院の政治的影響力は強く、講師や学生を金銭的に支援する有力貴族たちによる代理戦争の場と化していることでも有名である。
在籍する学生は貴族や富豪の子女に加え、将来の有用な人材として有力者に囲い込まれた、魔法の才能で溢れる平民の子供たち。
そんな帝国のトップエリートが集う学院で、平民出身の今年で十四歳になる少女、モニカは必死に魔法を学んでいた。
孤児院で育った彼女がアッドワード魔法学院に通うなど、ありふれた話ではない。
だが、彼女は生まれつき魔力がとても高く、十一歳の時に発覚したその才能を買われ、デルデトル侯爵家から資金援助を受けてこの学院に入学することができたのだ。
ただ、モニカが魔法学院に入学してからは苦労の連続だった。
孤児院にいたころは魔法など少しも学んだことがなかったからだ
通常、魔法学園に通うような子供は歳が一桁前半の頃から魔法の勉強を始めている。
貴族や金持ちの子供は当然のように英才教育を受けていて、その他の平民も、代々と魔法関係の仕事をしてきた家系であることが大半であり、親から魔法について色々と学んでいるものだ。
そういった基礎の一切ない状態で魔法学院に放り込まれたモニカが、相当な苦労をするのは当然の話だろう。
それでもモニカは、生来の真面目さから懸命に努力を重ねてきた。
入学してから講義の時間以外は図書館に通い詰め、寝る間も惜しんで勉学に励んだ。
彼女の入学を支援してくれた侯爵家の期待を裏切らないよう、誰よりも多くの時間を魔法の勉強に費やしたのだ。
その結果、入学から三年目の春となった現在では、知識面で周囲に追いつくことができていた。
だがしかし、そんなモニカを待ち受けていたのは残酷な現実だ。
モニカは、いくら知識を蓄えても、どうしてか魔法を上手く制御することができなかったのである。
彼女の努力は、より深刻な新たな問題を浮き彫りにしただけだったのだ。
アッドワード魔法学院では、魔法の実力が非常に重要視されている。
もともとの魔力が非凡なほど高かったモニカは、それだけ魔法の才能があるということで、優秀な学生の集まる学院の中でも天才だと期待され、注目されていた。
入学した当初こそ、魔法が上手く制御できなくとも、まだ知識が追い付いていないだけだと周囲は納得していた。
しかし、その知識がついても魔法を上手く扱えないと分かったとき、周囲の評価は一変することになる。
失望、嘲笑、侮蔑、そんな暗い感情が学院中から、まだ十四歳の少女でしかないモニカに襲いかかったのだ。
それでも彼女は、周囲からぶつけられる悪意に耐え忍びながら、なんとか上手く魔法を使えるようになろうと健気に努力を続けている。
現在も、モニカは講堂の隅で必死に講義の内容を紙束に書き写していた。
――ガーンゴーン……ガーンゴーン……
そんなとき、聞こえてきたのは学院中に鳴り響くほど大きな鐘の音。
授業時間終了の鐘だ。
教壇に立つ講師は鐘の音を聞くと、すぐに講義を打ち切って講堂から出ていく。
そして、にわかに騒がしくなった学生たちを眺めながら、モニカも集中を解き、ふぅ、と息をついた。
時刻は正午。
これから昼休みの時間だ。
とりあえず昼食は簡単に済ませて、いつも通り少しでも自習をしよう。
そんなことを考えていると、時々モニカと行動を共にする三人の女子生徒たちが近づいて来たことに気づく。
彼女らは、モニカが学院内で関わりを持つ数少ない存在である。
先頭を歩くのは、縦ロールの赤髪と切れ長の目が印象的な少女、カトリーナ・フォン・デルデトル。
彼女はデルデトル侯爵家の令嬢、つまり、モニカを金銭的に援助している侯爵家の娘だ。
カトリーナの後ろには、モニカと同じく侯爵家の援助で学院に入った二人の平民が付き従っている。
気の強そうな目つきをした少女がジェラで、おっとりとした雰囲気の少女がボニーだ。
そんな三人の顔ぶれを確認したモニカは、精いっぱいの笑顔を作って対応する。
「カトリーナさま、ごきげんよう。午前中の授業、お疲れさまでした」
「……」
「ジェラさんとボニーさんもごきげんよう」
「「……」」
礼儀正しく丁寧に挨拶をしたモニカ。
だが、三人から返ってきた反応は、モニカの挨拶などどうでもいい、と言わんばかりの無視であった。
そんな仕打ちを受けても、モニカには寂しげに微笑むことしかできない。
対して三人の女生徒は、モニカの傷ついた様子を気にもせず、自分たちだけで話を始める。
「みなさん、よろしければ今日は、どこかいつもとは別の場所で豪華なランチを食べに行きません? もちろん、お代のことなんて気にしなくてもよろしいですわ」
「ありがとうございますカトリーナ様! たまには気分を変えておいしい店を探すのもいいかもしれませんね!」
「私、最近噂の新しくできたお店に行ってみたいです~。少し学舎から遠いんですけどね~」
カトリーナがこの後の予定について提案をすると、彼女の取り巻きであるジェラとボニーはすぐさま賛同の言葉を返した。
そんな三人の楽しそうなやり取りに、モニカは疎外感を覚えてうつむく。
「あらモニカさん、どうかしましたか?」
「……え!?」
「わたくしの提案に、どうして返事をしないの? と聞いているのよ。もしや、わたくしと口もききたくないとでも言いたいのかしら?」
「え……あっ!? そ、そんなことないです! も、もちろん、カトリーナさまが誘ってくださるなら一緒に行かせてもらいます!」
「フフッ、あらあら、なにを勘違いなさっているのかしら? わたくしは返事をしろと言っただけですわよ? 誰も貴方を連れていくなんて、一言も言ってないじゃありませんか? まさか、わたくしに食事をおごれとせびるおつもりですか?」
「そ、そんなつもりじゃ――」
「じゃあどういうつもりだって言いたいのっ!? カトリーナ様に説明しなさいよ!」
「ひっ……!? ご、ごめんなさい……」
カトリーナの理不尽な問いかけに慌てて弁明をしようとするモニカだったが、それは取り巻きであるジェラの怒鳴り声に遮られてしまう。
怒鳴りつけられたモニカはすくみ上がり、弱々しく謝ることしかできなかった。
そんなモニカの怯えるような姿を見ても、カトリーナたちはニヤニヤと見下すような笑みを浮かべるだけだ。
「プッ、フフフ、なんですか、その情けないお顔は? ボニーさん、ジェラさん、この子は突然どうしたんでしょうね?」
「さあ? いったいなんなんでしょうね? こんな下賤な娘の気持ちなんか、平民の私たちでも理解できませんよ!」
「なんてみっともない子なんでしょうね~」
カトリーナたちの心無い嘲笑がモニカに浴びせつけられる。
学院内で基本的に一人ぼっちのモニカへ近づいてくる彼女たちは、モニカにとっての数少ない味方――などではなかった。
むしろ、彼女たちこそがモニカに悪意を向ける代表的な人物たちなのだ。
「フフ、これだから惨めな孤児は嫌になりますわ。もしや、そんなにランチに連れていってほしかったんでしょうか?」
「カトリーナ様にお声をかけていただけるだけでも身に余る光栄なのに、そんな図々しいことを考えるなど、なんて身の程知らずなんでしょうね!」
「生意気です~」
「貴方は碌に魔法が使えないのですから、優雅に昼食をお食べになる時間などないのではなくて?」
「この愚かな怠け者が!」
「だから碌に魔法の制御ができないんですよ~」
「……その通り……です……お許しください……」
モニカは今まで誰よりも努力をしてきた。
そのことはカトリーナたちも十分承知している。
だが、どんなに努力しても結果に結びつかないモニカのことを、彼女たちは物笑いの種にしているのだ。
それはモニカの努力を全否定する嘲笑だったが、彼女の立場では震えながら謝ることしかできない。
「フン、全く誠意が感じられない謝罪ですわね。わたくしのお父様が援助したおかげで、貴方はこの学院に入学できたことをお忘れで? それなのに、貴方は役立たずの落ちこぼれ。貴方みたいな不良品と関わりがあるだけでも迷惑ですのに、その上さらにわたくしの気に障る態度をとるなんて、恥ずかしいとは思わなくて?」
「大恩あるデルデトル侯爵家の名声に泥を塗るなんて! この恥知らずが!」
「とんだ恩知らずですね~」
「……申し訳……ございません……」
「あら? その今にも泣き出しそうなお顔はなんなのかしら? そんなお顔をされては、まるでわたくしが貴方をいじめているようではございませんか」
「きっと、このずる賢い小娘はカトリーナ様を悪者に仕立て上げ、その醜聞を広めようと画策してるんですよ!」
「まあ、なんて恐ろしい!」
「ちょっと、なんとか言いなさいよ! どういうつもりなの!?」
「い、いえ! そ、そんなこと絶対に考えてないです!」
モニカは泣きたい気持ちを必死に押さえ込み、無理やり笑顔を作りながら弁解をする。
「なにへらへら笑ってるのよ! あなた、ホントに反省してるの!?」
素直に悲しんでも怒られ、自分に嘘をつき無理やり笑っても怒鳴られた。
じゃあどうすればいいのか、と叫びたい気持ちを必死に抑える。
モニカがどんな反応をしたところで、カトリーナたちは罵倒してくるのだろう。
そうやって彼女らは、日常的にモニカをいびっては学院生活での憂さを晴らしているのだ。
「もういいわジェラさん。そんな自分勝手で恩知らずの無能は放っておきましょう? 時間の無駄ですわ」
ひとしきりモニカをなじって満足したのか、カトリーナは取り巻き二人を引き連れ、皆でせせら笑いながら講堂を去っていった。
「……うん………大丈夫……いつものことだから……」
カトリーナたちがいなくなった後、モニカは自分に言い聞かせるように独り言をつぶやく。
そうでもしないと平静を保てないほど、モニカは精神的に追い詰められていた。
なにせ、学院内に彼女の居場所といえるものは存在しないのだ。
基本的に学生たちも講師たちも、その他の学院内で働く平民たちでさえ、モニカとはあからさまに距離を置いて関わろうとしない。
その理由は、モニカが落ちこぼれだから、というものだけではなかった。
有力貴族であるデルデトル侯爵家の令嬢がモニカを毛嫌いしている、ということも大きな要因なのだ。
モニカと仲良くすると、自分までカトリーナに目の敵にされるかもしれない。
皆がそう考え、モニカには近づかないようにしているのである。
涙をこらえ俯いていたモニカだったが、他の学生は誰もが彼女から目を背けて去っていく。
気づけば、講堂にはモニカ一人だけが取り残されていた。
◇ ◇ ◇
とぼとぼと講堂を後にしたモニカは、平民用学生寮にある自室まで帰ってきていた。
そこはモニカの部屋ではあるが、寮の物置としても使われている粗末な部屋だ。
内装には傷みが目立ち、家具は全てが壊れかけ。
ある程度の広さはあるが、物置なので古くなり不要になった家具などが数多く押し込められているため、モニカが使用できる居住空間はかなり狭かった。
当然、本来ならば学生が寝泊まりするような部屋ではない。
学院に入学した当初は、モニカにもちゃんとした部屋が用意されていた。
だが、モニカが落ちこぼれだと判明すると、カトリーナの嫌がらせで追い出されてしまい、 この物置部屋を押し付けられたのだ。
そんなボロボロの自室に入ったモニカは、すぐに使い古されたベッドに倒れ込む。
そして、縋りつくようにくたびれた枕を抱きしめた。
――寂しい。
強烈に押し寄せる孤独感。
モニカはそれを必死に押し殺す。
悪意のない人間とまともに話をしたのはどれほど前だったか。
いつまでこんな生活を続けなくてはならないんだろう。
そんなことを考えていると、いつの間にか頬が濡れていることに気づく。
「……ひぐっ……うぅ……な、泣いちゃだめだよ……もっと、頑張らなくちゃ……」
慌てて涙をぬぐいベッドから身を起こす。
そして、机の上に詰まれた勉強用の本の山に視線を向けた。
「そういえば、わたし……この本、借りてきたんだっけ……」
それは、図書館で見つけた一冊の古びた本だ。
本のタイトルは『召喚術・入門』。
召喚術とは、人間界や精霊界にいる様々な存在に呼びかけ、それに応えた召喚獣から魔力などを対価にして力を貸してもらうという、魔法に似た技術である。
召喚獣の種類は多く、人間界にいる動物やモンスターなど下級の存在から、果ては精霊界の高位精霊といった最上級の存在までが召喚獣になり得る。
七百年以上前、まだ人間に自分たちの力だけで魔力を活用する技術がなかった時代には、召喚術が非常に重宝されていた。
だが、人間が単独で使える魔法技術の発展により、とうの昔に廃れてしまっている。
その理由は、召喚術で引き起こせる魔法効果が召喚獣の力量や意思によって大きく変わってしまうためだ。
どのように力を貸してくれるかは召喚獣次第。
たとえ召喚契約で縛り付けても、契約文を曲解されて役に立たないことさえよくある。
つまり、召喚術は安定性がなく信頼できないのだ。
だが、召喚術の成否が相手側の召喚獣任せだからこそ、もしかしたら魔力の制御が苦手な自分でも上手く使えるんじゃないか、とモニカは密かに期待をしていた。
ただ、召喚獣の気まぐれに左右される召喚術は、現在では全く評価されていない。
モニカが上手く使えたところで、周囲の評価はさして変わらないだろう。
それでも、モニカは召喚術を使ってみたかった。
そもそも彼女が召喚術に興味を持った理由は、召喚獣という友人ができる可能性を夢見たからなのだ。
モニカはおもむろに召喚術の入門書を手に取ると、そのページをめくった。
図書館で読んでいたので内容は既に理解している。
難しい魔法ではない。
重要なのは、相手が呼びかけに答えてくれるかどうかだ。
落ちこぼれの自分のところへ召喚獣が来てくれる可能性など低いことは分かっている。
来てくれるとすれば小動物か、良くて犬程度の大きさの生き物だろう。
そんな予想をしながら、入門書に記された召喚陣を床に書き写していった。
召喚のために必要な契約文は、できるだけ正直な思いを込めることにする。
相手に求める条件は、あってないようなものを思い描く。
こちらから提示する条件は、できる限りのことを尽くすと誓った。
『わたしは召喚術を使うのが初めてで、どうすればいいのかはよく分かってません。でも、もしも、こんなわたしでもいいよ、って言ってくれる優しい召喚獣さんがいましたら、ぜひわたしとお友達になってください! ごはんもしっかり三食用意しますし、あなたがやりたくないことは頼みません。お世話もしっかりしますし、ちゃんとお散歩にも行きます!』
ただ傍にいてくれるだけでいい。
もし嫌じゃなかったら、私のたわいもない話を聞いてくれると嬉しい。
そんな思いを込めて、モニカは召喚陣に魔力を流す。
――その瞬間、強烈な輝きが召喚陣からあふれ出た。
「――え? き、きゃあ!!」
突然のことに思わずぎゅっと目をつぶるモニカ。
「……もしかして、来て……くれたの?」
光が収まった後、ゆっくりとまぶたを開くと、そこには人間の姿をした存在が立っていた。
銀色に輝く髪と赤い瞳を持つ青年で、若くも見えるが老けているようにも感じられる年齢不詳な雰囲気をまとっている。
その中性的で整った顔立ちはとても魅力的で、モニカはしばしの間、ぼんやりと見惚れてしまうのだった。
この出会いこそが、モニカの不遇な人生を変える一大転換点だったということを、彼女はまだ知らない。