プロローグ
※主人公は龍王という種族ですが、普段は人間の姿を取っているため、いわゆる『人外転生モノ』といった要素は薄いです。あらかじめご了承ください。
午後十一時四十五分。
会社のデスクでキーボードと格闘していた辰巳隆治は、モニターの隅に表示される現在時刻を見てため息をつく。
今日の退社は日にちをまたぐことになりそうだ。
なんとも嫌な現実を確認し、それを憂鬱な気持ちで受け入れながら手元の栄養ドリンクを煽って一息つく。
帰宅が深夜になることなんていつものことだ。
それに、今は繁忙期だから仕方がない。
そんな言い訳を心の中の自分に言い聞かせ、隆治は仕事を再開する。
だが、深夜に黙々とデスクワークを続けていると、どうしても暗い感情が沸き上がってしまう。
自分はなんでこんなにキツイ仕事を続けているんだろうか。
別に、今の仕事はやりたくてやっている訳ではない。
生活できる収入を得るためにやらなくてはいけないから、仕方なくやっているだけだ。
やりたいことはほとんどできず、やらなくてはいけないことに追われる日々。
そんな生活を、三十代も後半に差し掛かった今に至るまで続けてきた。
そして、おそらくきっと、これからも変わらない生活が続いてしまうのだろう。
「ああ……これは本格的にヤバいな……」
今の生活に嫌気がさし、心が折れそうになっていることを自覚してしまった隆治が、思い悩むように独り言をつぶやいた。
このままでは精神的に参ってしまいそうである。
少しばかり長い休暇を取る必要があることは明らかだった。
だが、隆司は簡単に有給休暇が取れるような良心的な会社には勤めていないので、退職を盾にしてでも有給を取ってやろうか、などと強引な方法を模索する。
しかし、その計画は無駄になってしまうことになる。
過労が隆治に与えた影響は、精神的なものだけに留まらなかったのだ。
「……っ!?」
突如、胸に激痛が走る。
これはマズい、と感じて声を上げようとする隆治だったが、口からは呻き声しか出なかった。
慌てて立ち上がろうと足に力を入れるが上手くいかず、椅子から崩れ落ちてオフィスの床に頭をぶつける。
「――!? ――!!」
同僚たちが集まってきては大声で何かを叫んでいるが、隆治には聞き取れなかった。
視界から色彩が抜け落ち、徐々に暗くなっていくことを感じて、隆治は自分の死を悟る。
朦朧とする意識のなか、最後に頭をよぎったことは『あーあ、働かなくても生きていける生物に生まれたかった……』などという下らない考えだった。
◇ ◇ ◇
息苦しい。
突然、隆治はそんな感覚に襲われる。
驚いて目を開くと、そこは真っ暗な世界。
手足が壁に当たる感覚から、そこが狭い空間だということだけはなんとか認識できた。
「助かったのか……? ここは……病院? ……にしては様子がおかしいな」
声はしっかりと出ることが確認できたが、状況は全く理解できない。
隆治は途方に暮れることしかできなかった。
だが、息苦しい、という感覚は容赦なく大きくなっていく。
たまらず、手足を乱暴に動かしてこの空間から脱出しようと試みると、バリ、という音が響いて一条の光が差した。
壁の一部にひびが入ったようだ。
目が見えることに安堵した隆治は、そのヒビを押し広げるようにして、狭い空間の外に出るための穴を作り出す。
光に目がくらんで穴の先の様子はよく見えなかったが、息苦しさに耐えかねて外に身を乗り出した。
その直後、周囲から謎の大歓声が巻き起こる。
「な、なんだ!?」
混乱した隆治が困惑の声を上げるが、誰も説明してくれる様子はない。
しばらく呆然と歓声を聞いていると、だんだんと目が光に慣れて周囲の様子が見えてくる。
「……は? デカい、トカゲ……? いや、どう見ても……アレ、だよなぁ……」
隆治の周囲で大歓声を上げていたのは、翼が生えた巨大な爬虫類の群れだ。
ドラゴン――そんな呼び名がふさわしい見た目をした生物たちだった。
隆治が慌てて振り返ると、そこにあるのは穴の開いた巨大な卵。
卵は巨大な祭壇の上に鎮座していて、ドラゴンの群れはその祭壇の周囲をなにかの儀式のように囲っている。
おそらく、その卵こそ、先ほどまで隆治が入っていた狭い空間の正体だろう。
「おいおい……まさか……」
隆治が恐る恐る自分の両手を目の前にかざすと、白銀の鱗に覆われ、凶悪なほど鋭利なカギ爪を備えた両手が視界に広がった。
「……」
隆治は無言で両手を下げた。
そして思考を放棄するかのように、周囲で囃したてているドラゴンたちをぼんやりと眺める。
もちろん、自身になにが起きたのかは、状況からなんとなく察することができていた。
だが、その察した非現実的な事態をすぐに受け入れられるほど、隆治は若くはなかったのだ。
進んでいくドラゴンたちの儀式を眺める隆治は、ただひたすら状況に身を任せることしかできなかった。