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黄昏に君の笑顔を  作者: 神崎葵
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宣告1

―――― 人間は死を怖れる。それは生を愛するからである。


ロシアの有名な小説家の残した言葉が脳裏を横切る。


人生とはいつも気まぐれで、何かを失う瞬間は唐突に訪れる。


結局、人は何かを失ってからその大切さに気付くのだ。


そして、また他に大切なものを失う事に怯え、その別の何かを失い生きていく。


そんな事を繰り返して、前に進んでいくのだろう。


でも死んでしまったら…。


死は体験にならない。


そこで全てが終わってしまうから。


でも自分の命を失う体験が出来たら、人は何を学んで何に怯えるのだろうか。










長谷部涼平は病室の無機質な天井を眺めて、ただ何をする事もなく時間の経過に委ねていた。


たった数日の入院と言う事もあり、特に本などの時間を潰す道具を家から持ってくるのも億劫だった。


だが、本当に退屈だった。


九月に入ったばかりのせいか、夕方の5時だというのに外は明るく、虫の声も響いている。


ただ一つ幸福だと感じたのは、家でも学校でも味わえないクーラー全開の部屋で一日中ダラダラしてられるということだった。


それに個室と言う事もあり、六畳ほどの自由空間を満喫していた。


しかし、暇だった。


大事な高校2年の時間を、無駄に浪費していた。


自然とやる事は、テレビを観るか寝る事に限定された。


瞼が重くなり視界が暗くなったと同時に、病室のドアの開く音がする。


どうせ親だろうと、涼平は目を開けず眠りに落ちようとする。


「起きていたか」


侵入者の声で、引きずり上げられる。


「先生でしたか」


目の前には、担任教師の沢城が眠っている涼平の顔を覗き込んでいた。


「先生、ノックぐらいしてください」


注意する言葉に沢城は、悪びれなく「悪い、悪い」と適当に謝る。


涼平が上半身を起こすと、それを避ける様に沢城は一歩下がって笑顔で謝罪をする。


「もう起き上がって、大丈夫なのか?」


「元々、頭を打っている以外は、たいした怪我をしていませんから…それに明日には退院できそうです」


二日前、夏休み明けの初日。


涼平は学校からの下校中に、駅前の横断歩道で車と接触したのだ。


接触と言っても実際は、そこまで怪我をしていない。


打撲と頭を少し打っていたくらいだった。


「そうか、それは良かった」


そう言って、沢城は荷物と一緒に果物の入った籠をベッドの脇の机に置く。


「これはクラスの皆からだ」


「ありがとうございます」


「果物を剥く物あるか?」


「あ、果物ナイフありますから大丈夫ですよ」


机の周りを探す沢城に、引き出しから果物ナイフを出して手渡す。


沢城が椅子に腰掛けて、籠から林檎を一つ取り出す。


彼女は二十代後半という年齢のわりに、落ち着いている。


肩より伸びた黒髪や、女性にしては少し大きめの身長と、スラッとしたスタイルも『大人の女性』を演出している。


「ありがとう」


と、ナイフを受け取ると彼女は、林檎を取り出して皮を剥き出す。


「夏休み明け早々、災難だったな」


「ええ、学校には明後日から出席しますよ」


そう言いながら、内心は少し夏休みが延長されたようで悪い気分ではなかった。


それでも、車に轢かれた事を良い事だとは思いにくい。


「無理はするなよ」


「僕はそんなタイプじゃありませんよ」


「お前自身はそうかもしれないが、戸松とかに引っ張り回されるだろう?」


「そう…ですね」


戸松とは、涼平の幼なじみであり、クラスメイトの女の子だった。


8年近くになる付き合いでも、いつまで経っても彼女のその行動力には振り回される。


「ほら」っと、沢城が剥いた林檎を並べた紙皿を渡す。


ウサギの様に皮を切っている。


「先生は、変なところ器用ですよね」


「料理は得意だからな」


何故か家事全般が得意だと聞いたことがあるが、深い詮索をすると得をしない気がした。


ウサギの形をしたものの中には、タコの形をしていたものもあった。


この場合は、林檎はウサギでタコはウインナーで再現されているものが普通なのだろうけど、目の前には林檎の実を削って作成されたタコが存在していた。


それを手に取り、口に運ぶ…信じられない事に、やはり林檎だ。


「先生…これは料理が上手いのとは違う気がします」


「然りげに童心を忘れない…そんな女性の魅力に気付いたか」


「いえ、何で先生が現国教師しているのか分からなくなりました」


「どういう意味だ?」


沢城が見つめて答えを求めてくるが、適当にはぐらかす。


「いえ、何でもないです」


本当にこの沢城という人間は読めない。


思考もだが、行動パターンも普通の人間では考えつかない事をする。


しかし、そこに悪意が無い事を涼平は知っていた。


少しの沈黙の後に、彼女が口を開く。


「記憶が曖昧なんだって?」


「ええ、事故当日の記憶が思い出せなくて」


涼平には、事故当日の記憶が欠落していた。


たった1日の記憶なので、日常に支障は来さなかったが、それでも丸一日の出来事をまったく覚えていないと言うのも、気持ち悪い感覚だった。


「学校では子供を救った英雄だって、盛り上がっていたけどな」


「子供のご両親が昨日来てお礼を言われました」


事故の当日の事は、両親や看護婦に聞いていた。


どうも子供を助ける為に飛び出して、車に撥ねられたようだ。


しかし、実感や記憶はなく、どこか他人事だった。


「そういや、これを渡しておこうと思っていてな」


沢城から白い長封筒を受け取る。


「ラブレターですか?」


「そういうのは、日高くらい女子に人気が出てから言うんだな」


日高というのは、戸松と同じく涼平の幼馴染み一人であった。


いつも爽やかスマイルを絶やさずに、誰にでも優しいことから女子からの人気も絶大だった。


もちろんイケメンだった。


涼平も平均よりはまとまった顔立ちをしているが、どうしても日高の隣にいると引き立て役になってしまう。


「…それは精神的体罰と受け取って宜しいでしょうか」


「勝手にしろ…それより、ちゃんと読め」


涼平が封筒から一枚の藁半紙を取り出し、書かれた見出しに目をやる。


「しんろちょうさひょう…」


進路調査票の文字を力の無い声で、辿々しく読み上げて黙ってしまう。


涼平からすれば、進路の事は一番考えたくないことだった。


「お前は、もうピアノの道に進む事はないのか?」


「以前、お話ししたと思うのですが…」


数年前、涼平は神童と呼ばれる程の天才的にピアノが上手く、新聞にも何度か名前を載せた事があった。


クラシックのニュースなど知る人ぞ知るといった感じではあるが、教師からしたら有名音大への実績になるのだろう。


しかし、涼平は1年前にピアノを弾く事を辞めていた。


「音楽の花澤先生が五月蝿くて、な…」


「あの人も懲りませんね」


「まだ高校2年の夏だ、そこまで焦る時期じゃないよ」


沢城は困った顔をして話すと、涼平も「教師の台詞とは思えませんね」と苦笑いを零す。


それでも、沢城のその生徒のペースに合わせる姿勢に涼平は助けられていた。


「そうだな…でも、一度きりの人生だ。後悔しないように、お前ら生徒には思いっきり時間を使って答えを出して欲しいだけだよ」


「そう言うのは、うちの親と先生くらいですよ」


涼平の両親もピアノを辞めると言い出した時は、驚かれはしたが引き止められはしなかった。


反対に自分に協力してくれた家族の為にも、どうすれば期待に応えられるか悩んでいる面もある。


「あんまり深く考えすぎるなよ」


沢城は立ち上がると子供扱いした様に、涼平の頭をクシャクシャに撫でる。


「えっと、ご両親は…」


「今、僕の着替えを取りに帰っています」


退院のスケジュールも今日聞かされたばかりで、準備もまだ用意出来ずにいたのだ。


「そうか、それならそろそろ御暇するよ」


荷物を持ち上げる沢城に、


「先生…」と、考えもなく呼び止めてしまう。


もちろん彼女は、その言葉に反応するが、涼平の脳内は何一つ整理されていなかった。


「何だ?」


「…いえ、何でもありません」


結局、口にしようとした言葉を呑み込んだ。


「気になる間をあけるな」


「すいません」


自分の本心を気遣ってか、外に中々出せない。


そんな涼平の本質を沢城もよく知っている。


「何だ、クラスの可愛い子でも呼んで欲しいのか?」


「何でそうなるんですか?」


「いや、入院ってほら…男性は、色々大変だって聞くし…それで…」


「無駄な気遣いありがとうございます」


「それともナースさん相手に、『僕の看病してくれません、主に下半身を…』って迫っているのか?」


「本当に先生って、最低の教職者ですよね」


もう全てに対応する力も無く、脱力する。


そんな涼平に、溜め息をつきつつも沢城は笑顔で再度聞く。


「で、何だ?」


「先生は、いつになったら結婚するんですか?」


「そうか、長谷部は入院を延長したいのか…」


満面の笑みで沢城が、拳を鳴らす。


沢城は三十前にしては肌も綺麗で顔立ちも整っているし、性格も社交的だ。


それなのに何故か未だに恋人の話すら聞かない。


彼女も普段は気にしていない様な素振りだが、違ったらしい。


「女性に年齢と婚期の話はしてはいけないって、先生は授業の時に教えなかったかな?」


「すいません、もう言いません」


「それだけ元気なら大丈夫そうだな」


そうやって、すぐ冗談で誤摩化すのは悪い癖だと分かっていた。


それにそれさえ、沢城は理解してくれている事に甘えていることも、自分が卑怯な人間とさえ思う。


「次は教室だな」


仕切り直した様に、沢城が荷物を肩にかけ直す・


「はい、さようなら」

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