8話
ノエルさんの車に乗り、シートベルトを締める。
さっきまでエアコンがついていたのか、車内は少し涼しかった。
「シートベルト、締めた?」
「はい」
「じゃあ、車出すよ」
ノエルさんはエンジンをかけ、アクセルを踏んだ。車は、滑るように動きだし、ステレオから音が静かに流れだした。
暫く、二人とも黙ったまま。
「……ごめんなさい、ノエルさん…。電話もメールもできなくて」
思いきって、話しだす。話さないことには、何も解決しない。
「いいよ、忙しかったんでしょ?」
やっぱり、ノエルさんは優しい。でも、甘えてたらだめだよね…。
ちゃんと話さなきゃ。
「あの、忙しかったっていうのは…嘘、なんです…」
「嘘?」
あたしは、ノエルさんに出会った次の日にあったことを話しだした。
友人の里絵に、ノエルさんの名前が女の人みたいと言われ、そういえばHoney sweetのデザイナーさんもそんな名前だったと思ったこと。
気になって、Honey sweetのホームページを調べたら、デザイナーさんとノエルさんが同じ名前で、さらに社長さんでもあることに驚いたこと。
もしかしたら、ノエルさんがHoney sweetの社長さんで、尚且つデザイナーさんかもしれないって思ったら、気後れしてしまって、電話やメールをしなかったこと。
全部、打ち明けた。
「……そうだったんだ…。正直に話してくれて有難う」
ノエルさんは運転しながら、あたしの頭を優しくぽんぽんした。
「っ…ごめん…なさい…」
「泣かなくていいんだよ。穂乃花ちゃんは、ホントいい子だね」
嘘ついてたのに、いい子って言われた。
「あんまり擦ると、目が赤くなっちゃうよ?」
でも、涙は止まらない。
交差点で信号が赤になり、停車する。
不意に、口が柔らかいモノで塞がれた。
思考が一瞬止まり、涙も止まった。
◆◇◆◇◆◇
それは────ノエルさんの唇だった。
ちゅっ…と音を立てて、唇が離れる。
「穂乃花ちゃんの唇、柔らかい…」
うっとりした顔して、ノエルさんが言った。
「ふふ。穂乃花ちゃんの泣き顔、可愛すぎて我慢できなかった♪」
ファーストキス。
嬉しいような、恥ずかしいような、複雑な気持ち。
「泣き顔が可愛いわけないじゃないですか」
照れ隠しに、ちょっと拗ねた。
「オレの可愛い彼女だもん、笑った顔も、泣いた顔も全部可愛いに決まってるでしょ」
むぅ…。
「穂乃花ちゃん、顔真っ赤」
「誰の所為だと思ってるんですか?」
「でも、涙は止まったでしょ?」
確かに涙は止まったけど、あたしがどうしていい子なのか分からない。
「止まりましたけど…。でも、どうしてあたしがいい子なんですか…?」
「穂乃花ちゃんは謝ったし、ちゃんと話してくれたでしょ。だから、いい子」
信号が青に変わり、車が進む。
「それに、最初に話さなかったオレが悪いし」
あの秘密にしてたことかな…?
「服飾系のお仕事していて、何かは教えて貰えませんでしたけど…。関係ありますか?」
「うん。ホントは、穂乃花ちゃんともうちょっと仲良くなってからって思って話さなかったんだけど、余計不安にさせちゃったね」
確かに不安だった。
「穂乃花ちゃんはちゃんと話してくれたし、オレもちゃんと話したいから…ウチ、来る?」
ノエルさんの、お家?
どうしよう…でも、迷ってはいられない。話、聞きたい。
「……行きます」
「分かった。ちょっと遅くなるかもしれないから、夕飯ご馳走するよ。オレが作ってあげる」
料理、できるんだ。ちょっとびっくり。
「なぁに、その意外そうな顔は。こう見えて、料理得意なんだよ」
遅くなることと、夕飯は外で食べることをお母さんに連絡し、ノエルさんが住んでるマンションに向かった。
◆◇◆◇◆◇
着いたのは、湾岸エリアの高層マンション。思わず見上げる。
車を駐車場に停め、マンションのエレベーターホールに向かい、エレベーターに乗った。
なんか、緊張する…。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ?」
「だって、男の人の部屋って初めてで…」
「緊張をほぐしてあげたいけど、この中じゃ無理だからなぁ…」
何をしようとしてるか、なんとなく分かってしまい、エレベーターの中に監視カメラがあって良かったって思う。
目的の階で止まり、ノエルさんの部屋に向かう。
ノエルさんが、腰に腕をまわしてきた。
「っ!ノエルさんっ」
「いいでしょ?このくらい。恋人同士なんだから」
甘い、声。
抵抗できなくなる。
そうして連れてこられたノエルさんの部屋は、すごく広かった。
奥に進むと、リビングダイニングになっていて、窓の外、少し遠くに観覧車が見える。
「ソファーに座ってちょっと待ってて。今夕飯作るから。あ、コーヒー飲む?」
「飲みます」
座って待っていると、ノエルさんがコーヒーを持ってきてくれた。
「はい、コーヒー。砂糖とミルクはいる?」
「ミルクだけで大丈夫です」
「じゃ、入れてあげるね」
ミルクを入れてもらい、コーヒーを一口飲んだ。
美味しい。
「コーヒーショップで飲むのと全然違うでしょ。ちょっとしたこだわりがあるんだ」
そう言いながら、ノエルさんはキッチンへ行き、夕飯を作り始めた。