ウワサ
翌日の昼休み。
由美子に真人と別れたことを話したら、
「どうして?!」
と詰め寄られた。一気に冷めたと言うと、
「頭に血が上ってるだけじゃないの? もう一度、話し合ってみたら?」
と言われてしまった。
「もう十分考えたし、真人とも話し合って決めたことだから」
「それなら、何も言わない」
微妙な空気が流れた。「早く昼休みが終わらないかな」と思ったたのは初めてだ。
仕事が終わってから、信二くんと聡史くんに〈心配かけてごめんなさい。飲みに行っていたの〉とLINEを送った。
後は美奈ちゃんに会って話をしなくちゃいけない。
美奈ちゃんとはできるだけ早く会いたかった。だけど、私が急に残業になったり、美奈ちゃんが地方に出張になったりで、なかなか予定が合わなかった。
会えたのは、真人と別れてから十日ぐらい経ってから。渋谷で落ち合った後、近くのレストランバーに入った。
ビールを飲みながら、改めて一部始終を話した。
「一人で二丁目に行くなんて無茶しすぎ」
と美奈ちゃん。ビールをひと口飲んでから、
「しかも迷ったって……亜紀さんに会えたからいいものの」
と、少し怒った口調で言った。
「だから、ゴメンって言ってるじゃない」
と私。
「まあ、最初に連れて行ったのは私だから……」
「強いことは言えない?」
「そういうこと」
美奈ちゃんはビールを飲み干した。
「やっぱり、一人で行くのは止めた方がいい?」
「もう、迷わないでしょ? 誘ってくれた方が嬉しいけれど」
と言うと美奈ちゃんはドリンク・メニューを手に取って、少し悩んでからウォッカ・トニックを頼んだ。
「涼子ちゃんは?」
「まだいいわ」
私のビールはグラスに半分ぐらい残っている。
「どうしたの? 今日はピッチが遅いね」
と美奈ちゃん。
「最近、飲み過ぎだから」
と言って、私はグラスに口を付けた。
「やっぱり、お酒の量が増えちゃった?」
「え?」
「……真人くんと別れてから、お酒の量が増えたのかなと思ってさ」
美奈ちゃんが遠慮がちに言った。
「それは関係ないんだけど……」
自分から別れを切り出すつもりで行った、あの日。真人からプロポーズを「なかったことにしてくれ」と言われたのは驚いたし、腹も立った。
「悲しいとか寂しいとか、そういうことはないの。ただねえ……」
ウォッカ・トニックが届いた。美奈ちゃんは軽く口を付けると、
「ただ?」
と尋ねた。
「腑に落ちなくて」
私はグラスを手に取った。見るとほとんど残っていない。グイッと飲み干して、
「あ~あ、飲んじゃった」
と言った。
「気にしないで飲みなよ」
と言いながら美奈ちゃんが、メニューを手渡してくれた。私はメニューを見て、
「じゃあ、カンパリ・オレンジにする」
と言って、ウエイトレスを呼び止めた。
私が沙希ちゃんのライブに行くことを嫌がっていた真人。会えない日には、メールや電話で必ず連絡をしてきたけれど、別れるまでの数ヶ月、真人の束縛は、少しずつ緩くなったような気がする。
『いつからだろう……』
と考えていたら、カンパリ・オレンジが届いた。グラスを手にとって口に運ぼうとしたとき、思い当たった。
『そうだ、美奈ちゃんたちとの飲み会の後ぐらいからだ』
グラスを持つ手が止まった。
「どうしたの?」
と美奈ちゃん。私の顔をのぞき込んだ。
「ああ……うん。真人の様子が変わってきたのはいつだったかなって、考えてたの」
私はグラスに口を付けた。
「様子が変わった?」
「今から思えばだけどね。束縛が緩くなってきてたと思うのよ」
「そんな風に思い返すと、疑問点はいくつでも出てくるよ。やめた方がいい」
と言って、美奈ちゃんは唐揚げを口に運んだ。
「だって、気になるんだもの」
と私が言うと美奈ちゃんは苦笑い。『仕方がないなあ』とでも言いたげだ。
「気になる?」
「気になる」
「どうしても?」
「どうしても……って、何か知ってるの?」
私が美奈ちゃんの顔を見たら、美奈ちゃんは視線を逸らした。
「知っていることがあるのなら教えてよ。気持ちが悪いの。モヤモヤするの」
と私。美奈ちゃんは私を見ると、
「私から話すのは反則だと思う。話さないでおこうと思ったんだけど、涼子ちゃんが知りたいのなら……」
と言った。
「うん、話して」
「真人くんを責めたりしない?」
「今さら、そんなことはしないわよ」
「ついこの間、信二くんと聡史くんから聞いた話なんだ。二人のことも悪く思わないで」
「分かったから話して」
美奈ちゃん「ふうっ」とため息。ウォッカ・トニックをひと口飲んでから話し始めた。
美奈ちゃんの話によると、信二くんは二、三ヶ月前、渋谷で真人が女の子と親しげに歩いているのを見かけたという。
最初、真人と歩いている女の子は私だと思ったらしい。
「だけど、よく見たら違ったんだよね。かなり派手でさ。たぶん、そっち系のお店の子だ」
と信二くんは言ったそうだ。
私が真人と連絡が取れなくて大騒ぎしたときに、信二くんはこの出来事を思い出した。けれど、話さないでおこうと思ったという。
そして私が真人と会う前日。真人から信二くんに連絡があって、問い詰めたそうだ。
「真人のヤツ、『高校時代の友だちと旅行に行っていた』って言ってさ。いくら聞いても、それしか言わないんだよ。涼子ちゃんに話すかどうかは、美奈に任せるよ」
とのこと。
美奈ちゃんは、ほとんど空になったグラスを両手で弄びながら、
「でさ……聡史くんは一ヶ月ぐらい前に新宿で、真人くんを見かけたんだって。派手めな女の子と一緒だったって言ってた」
と言った。私は
「ふうん。それでよく、私にプロポーズしたわよね」
と言ってから、グラスに口を付けた。
「私の想像だけど、真人くんは寂しかったのかもしれない」
「ああ……それはあるかもね」
沙希ちゃんのライブに美奈ちゃんと一緒に行ってからは、真人よりも美奈ちゃんや同僚の由美子と過ごすことの方が多かったかもしれない。
「いつも近くにいたはずの涼子ちゃんを、遠くに感じるようになった。それでお店の子と……付き合っているのかは分からないけれど、会うようになった」
「そうもかね」
「涼子ちゃんと、この先、ずっと一緒にいられるのか……ううん、一緒にいるためにプロボーズをしたのかも」
「ええ?! 他の女の子と遊んでいるのに?」
思わず私の口調が強くなった。
「だから、これは私の想像だってば」
「……ゴメン。話してくれてありがとう」
寂しいなら寂しいと言って欲しかった、けれど。
私と真人は大切なことを言い合えなかった、そういう関係を築けなかった。
これが、結婚して一緒に暮らすイメージが湧かなかった理由なのかもしれない。
私はカンパリ・オレンジを飲み干した。