二回目の街
深く考えずに新宿二丁目まで来てしまった私は、少し後悔していた。
大通りはネオンと街頭で明るいのに、意外と人通りが少ない。美奈ちゃんと一緒に来たときと、少し雰囲気が違うような気がする。
この角を曲がればもうすぐ……と思いながら路地に入ったら、見覚えのないお店ばかり。私は思わず立ち尽くしてしまった。
すると後ろから、
「あれ、確か……涼子ちゃん?」
という声がした。振り返ると亜紀さんが立っていた。
「あ~! 亜紀さん!」
私は思わず大きな声を上げてしまった。
一人旅中の海外で、偶然、知り合いに会ったような安堵感。経験はないけど。
「どうしたの、こんな場所で。一人?」
「亜紀さんのお店にお邪魔しようと思って来たんですけれど、分からなくなってしまって」
亜紀さんはニッコリと笑ってから、
「この辺って、似たようなお店が多いから迷いやすいのよ。こっちよ」
と言って歩き始めた。
「亜紀さん、どうしてここに?」
「え? ああ、ちょっと足りないものがあって」
亜紀さんの手にはコンビニのビニール袋。
「亜紀さんが買い物に出ることもあるんですね」
「たまにだけどね。ここよ、どうぞ」
亜紀さんが店のドアを開けてくれた。カウンターの中にいる見覚えのある女の子が、
「いらっしゃいませ!」
と声をかけてくれた。
お客さんはテーブル席に三人、カウンター席に髪の毛の長い女性が一人。
私たちに気が付いたカウンター席の女性が、
「あれえ? お持ち帰り?」
と言って、いたずらっ子のような表情を浮かべた。カウンターの中に入った亜紀さんは、
「そうよ、お持ち帰り!」
とニヤリ。そして、
「なんてね。美奈ちゃんの友だちの涼子ちゃんよ」
と私を紹介した。会釈をした私に、女性は「え、美奈ちゃんの友だちなの!」と言って、隣の席を勧めてくれた。
里美と名乗った女性は、この店で美奈ちゃんと顔を合わせると時間が許す限り飲む仲だという。
私は生ビールとブルスケッタ、魚のフリットを注文した。
「お腹が空いているの?」
と里美さん。
「うん。食べ損なっちゃって」
と私が言うと亜紀さんが、
「それじゃあ、料理ができるまでコレをどうぞ」
と言いながら、生ビールと小皿を私の前に置いてくれた。
「ポテトサラダ?」
「マスタードも少し入ってるわ」
「おいしそう! いただきます」
私はビールで喉を潤してから、ポテトサラダを食べた。
「うん、ピッタリ!」
と私。生ビールをグイッと飲んだ。
ほどなくして、ブルスケッタと魚のフリットができあがった。
「里美さんも食べる?」
「ありがとう、いただくわ」
と里美さん。魚のフリットを口に運んだ。
「二丁目は何回目?」
と里美さん。
「二回目。美奈ちゃんに、この店に連れてきてもらったの」
「ホント? チャレンジャーね」
「え?」
「私は二丁目に一人で来るようになったのって……四回目ぐらいだったと思う」
と言って、里美さんはグラスに口を付けた。
「……私、危ないことしたのかな?」
「というか、二丁目って来づらいイメージがあるし」
「確かに。亜紀さんの店じゃなかったら来なかったかも」
と私。グラスの生ビールを飲み干した。
「スクリュー・ドライバーをお願いします」
亜紀さんは頷くと、スクリュー・ドライバーを作り始めた。綺麗な指先だなあ……と思いながら見ていたら、
「何かあったの? 美奈ちゃんとケンカでもした?」
と亜紀さん。グラスを私の前に置いた。
「そう見えます?」
「里美ちゃんの言う通り、二回目で一人で来る人って、そんなにいないから」
私は苦笑い。ブルスケッタをかじってから、
「美奈ちゃんとはケンカはしてませんよ」
と言った。
「じゃあ、何があったの?」
「ここで話せることじゃない、かも……」
と私が言うと、亜紀さんが私の方に顔を寄せてきて、
「もしかして、彼氏さんと何かあった?」
と小声で言った。
「当たり! 顔に出てます?」
私はビックリしてしまった。
「カンよ。女のカン」
と亜紀さん。
「正確には、元彼氏なんですけどね。今日、別れてきました」
と私。グラスに口を付けた。
「あら……」
と里美さん。
「色々あって、すうっと熱が引いたようになってしまって」
「嫌気が差したんだ」
「そう、なのかなあ。どうにも腹の虫が治まらなくて、飲みに行こうと思ったってわけ」
と私。里美さんはグラスに残っていたお酒を飲み干すと、
「今夜は涼子ちゃんのシングル記念日ってことで、二人で飲み明かそうか! 亜紀さん、ターキーをダブルでちょうだい!」
と言った。亜紀さんは笑顔で頷くと、ワイルド・ターキーの瓶を手に取った。
「ゴメン、今夜はちょっと……」
と私。
「え~? いいじゃない」
「だって明日も仕事はあるし、この前、美奈ちゃんに介抱してもらったばかりだし。少し控えないと……」
「じゃあ、ソフトドリンクにする?」
亜紀さんが、里美さんの前にグラスを置きながら言った。私のグラスは、ほとんど空になっている。
「……同じのを薄めでお願いします」
「薄めねえ……」
亜紀さんは笑いをかみ殺しながら、スクリュー・ドライバーを作り始めた。
亜紀さんのお店で里美さんとのおしゃべりを楽しみながら、ほどほどに飲んだ私は、終電で帰った。
「楽しかったあ! 一人でも大丈夫じゃん」
なんて独り言を言いながら部屋に入ったら、電話の〈留守〉ボタンが赤く点滅していることに気が付いた。
『誰だろう……』
〈留守〉ボタンを押すと、「五件のメッセージを再生します」というアナウンスが。
「五件?!」
一気に酔いが覚めた。
一件目は美奈ちゃん。九時過ぎに電話をくれていた。
「美奈です。スマホが繋がらないので、家電にかけてます。聡史くん経由で、今日のことを聞きました。帰ったら連絡をください」
今夜は真人と別れた後、一回もスマホを見ていないことに気が付いた。
慌ててバッグからスマホを取り出すと、美奈ちゃんだけではなく、聡史くんや信二くんからもLINEが入っていた。
二件目も美奈ちゃん。電話をくれたのは十時ごろ。
「美奈です。どうしたのかな。大丈夫だとは思うんだけど……遅くなってもいいので、電話ください」
心配そうな美奈ちゃんの声に、私は思わず頭を抱えてしまった。三件目は聡史くん。
「こんばんは、聡史です。覚えてるかな? 突然、ゴメン。真人から聞いたよ……美奈も繋がらないって聞いて、涼子ちゃんのことが気になって電話したんだけど。真人のことは……」
時間切れだったのだろう。メッセージが途中で終わっていた。四件目も聡史くんだった。
「聡史です。ゴメン、切れちまった。真人のことは気にするなよ。しないとは思うけどさ。じゃあ、よかったらまた飲もう」
五件目はメッセージが入っていなかった。
受話器を置いた私は、時計を見た。とっくに日付は変わっていて、もう一時になろうとしている。『寝ているだろうなあ……』と思いながらも、スマホで美奈ちゃんに電話をかけた。
ツーコールで美奈ちゃんが出た。
「涼子ちゃん! どこに行ってたの!」
「ゴメン、一人で飲みに行ってたの」
「どこに?」
「新宿二丁目の亜紀さんのお店……」
だんだんと声が小さくなる。
「え! 何で!」
美奈ちゃんの大きな声に、思わずスマホを離してしまった。
「何でって、飲みたかったから」
「誘ってくれれば行ったのに……」
「ゴメンなさい……」
「何もなかったんだね?」
「何もって?」
「……あのねえ、二丁目の店にも色々あるんだから」
と美奈ちゃんは呆れたような声を出した。迷ったことは言わないでおこうと思いながら、
「亜紀さんのお店だもん、大丈夫でしょ?」
と私。
「まあ、そうだけど……」
「里美さんって人と友だちになったのよ。盛り上がっちゃった!」
「もう! 心配したんだからね」
「ゴメンね。でも、なんだかスッキリしたわ」
「そう、よかった」
美奈ちゃんがホッとしたように言った。
「詳しいことは、今度、ゆっくり話すね。今日はもう遅いから」
「うん、そうだね」
私たちは「おやすみなさい」と言って、スマホを切った。
聡史くんと信二くんには、明日、メールしよう……と思いながら、私はお風呂に入る準備を始めた。