フルコース
仕事中、パソコンの画面を眺めながらコーヒーを飲んでいたら、
「ボーッとして、どうしたの?」
と由美子に声をかけられた。
「あ、ゴメン。何でもないわ」
と言って、私は笑顔を浮かべた。
『まずいな……』
と思いながら席を立って化粧室へ。
手を洗って、鏡越しに自分の顔を見ながら、
「集中、集中しよう!」
と、わざと声に出して言った。
美奈ちゃんから〈お見合いの話〉を聞いてからというもの、
『美奈ちゃん、どうするんだろう』
『断り切れないって……ウチは放任過ぎるのかな』
なんて考えてしまう日々が続いていた。
私が心配しても仕方がないことぐらい分かっている。でも、どうしても気になってしまうのだ。
一人でいない方がいいのかもしれない。
私は由美子を誘って飲みに行くことにした。
場所は渋谷のレストランバー。
夏の盛りが過ぎているとはいえ、暑いものは暑い。私と由美子は、
「やっぱり、生ビールよね!」
と、中ジョッキを注文して乾杯した。
「ふう、おいしい! 生き返るわ」
と私が言うと由美子は、
「何だ、元気じゃない」
とホッとしたような表情を浮かべた。
「私、おかしかった?」
私は枝豆をつまみながら尋ねた。
「うん、彼とケンカでもした?」
「ううん。彼は優しいもの。ケンカにならないわ」
「それは、ごちそうさま。……じゃあ、どうしたのよ」
と由美子。中ジョッキに口を付けた。
「どうしようもないことだから、考えないことにする」
「それでいいの?」
「いいの、いいの。今日はトコトン飲むわよ!」
と私。中ジョッキを飲み干そうとしたとき、スマホが鳴った。
「もう、こんなときに……」
スマホを手に取ったら、画面には〈真人〉の文字。
「ゴメン、彼からだわ」
と言って、私は席を立った。
「はい、どうしたの?」
「どうしたのって……食事でもどうかなって思ったんだけど、今、どこにいるんだ?」
と真人。
「渋谷よ。同僚の由美子と飲んでるの」
「そうか、友だちと一緒なのか」
「そうよ、よかったら来る?」
「友だちに悪いだろう、またにするよ。今週の土曜日は空いてる?」
と真人が聞いた。
「うん、大丈夫よ」
「じゃあ、夕方から空けておいてよ。話があるんだ」
「何よ、改まって」
「会ったときに話すよ。また電話する」
と真人。私はスマホを切って席に戻った。
「彼、何だって?」
「話があるから今週の土曜日は空けておいて、だって。何だろう」
と言いながら、私はジョッキを手に取った。
「彼から話があるって言ったら、アレでしょ」
「何よ、『アレ』って」
「プロボーズに決まってるでしょ」
と由美子。私は、思わずビールを吹き出しそうになってしまった。
「まさかあ!」
「改まって話をするときは、プロポーズか別れ話のどちらかよ」
「そうかなあ……」
「賭けようか? 私、プロポーズの方にビール一杯ね」
と言って、由美子は中ジョッキを飲み干した。
土曜日。真人との約束の日。待ち合わせの時間は夕方の五時半。場所は銀座三越の前だ。
することもないし、早めに出かけてブラつこうかと思っていたら、真人から電話があった。
「いいレストランを予約したから、よそ行きの格好で来てくれ」
「何よ、いったい」
何かの記念日だったかなと考えてみたものの、思い当たらない。由美子の「プロポーズか別れ話のどちらかよ」というセリフが頭をよぎる。
「いいから。じゃあ、五時半に」
と言って、真人は電話を切った。
『よそ行きの服って、オシャレして来いってことよね』
私はクローゼットを開けた。
「う~ん……」
わざわざ「いいレストラン」と言ってくるくらいだから、それなりのお店なんだろう。
私は秋物のスーツを引っ張り出して、ベッドの上に置いた。明るいカーキ色で、Aラインの女性らしいシルエット。お気に入りの一着だ。
「でもなあ……」
可愛いけれど、今は初秋というよりも晩夏。暑すぎてジャケットを着てはいられないだろう。
「これ、かなあ……」
私は隅っこにあったノースリーブのワンピースを取り出した。
スカートに花柄が散りばめられた、ひざ丈のワンピース。これに、薄手のニットを羽織ることした。
『真人と初めて会った合コンのときもこの格好だったっけ』
と思いながら着替え始めた。
待ち合わせ場所に着くなり、真人は、
「お、それを着てきたんだ。可愛いね」
と言って、満面の笑みを浮かべた。
「ありがと。真人、スーツなんだ。暑くない?」
「日が陰ってきているし、大丈夫だよ。じゃ、行こうか」
と言って、真人は新橋駅の方へ歩き出した。
「ちょっと待ってよ。どこに行くの?」
「七丁目……合ってるよな?」
真人は私の方に向き直って言った。
「……うん、大丈夫よ」
私は笑いをかみ殺して、真人の腕を取った。
「暑いよ」
と言いながらも真人は、そのままでいてくれた。
真人が連れて行ってくれたお店は、銀座七丁目の裏通りにあるフレンチ・レストランだった。
静かにクラシックが流れる、ライトダウンされた店内。中央通りの喧噪が嘘のような、落ち着いた雰囲気が漂っている。
「ねえ、どうしたのよ、いったい」
と私。思わず小声になってしまった。
「まあまあ……任せてもらっていいか?」
真人がメニューを軽く持ち上げて言った。
「いいわよ」
真人はウェイターに、コース料理とシャンパンをオーダー。軽くグラスを合わせてから、
「ちょっと前に連れてきてもらってさ。涼子と一緒に過ごしたいなと思ったんだ」
と言った。
「そうなの。素敵なお店ね」
「料理もうまいんだよ」
と真人。シャンパンに口を付けた。
オードブルが運ばれてきた。野菜たっぷりのテリーヌ、付け合わせはスモークサーモン。
「綺麗ね、食べるのがもったいないくらい」
と私。そっとナイフを入れて、フォークで口に運んだ。
「うん、おいしい!」
私が笑顔を見せると真人は、
「よかった」
と、ホッとした表情を見せた。
オードブルの皿が下げられるとき、真人がウェイターに声をかけた。
「ワインを頼みたいんですが、あまり詳しくなくて……」
と言うと、ウェイターは微笑みながら、
「ただいまワインのメニューをお持ちします」
と言って下がっていった。
「飲みたいワインはあるかい?」
「銘柄までは分からないわよ」
なんて話をしていたらウェイターが来て、
「お待たせしました」
とメニューを差し出した。
「しっかりとした味わいの赤ワインがいいんですけれど、お勧めはどれですか? 値段は五〇〇〇円ぐらいまでで」
と真人が尋ねるとウェイターは、
「それでしたら、こちらはどうでしょう? 口当たりはまろやかですし、ボリュームも申し分ありません」
と言って、フランス・ボルドー産の〈シャトー・ミル・ローズ〉を指し示した。
「じゃあ、それをお願いします」
「かしこまりました」
ほどなくして、ウェイターがワインボトルとグラスを持って来て、サーブしてくれた。
口に含んだら、フルーティーで上品な香りがした。口当たりがよく、飲んだ後に余韻が広がっていく。
「うわっ、おいしい……」
「お前、さっきから『おいしい』しか言ってないぞ」
と真人。おかしそうに笑うと、ワイングラスを手に取ってひと口飲んだ。
「確かに……うまいな」
「でしょ? 気を付けてね」
「何を?」
「飲み過ぎないでね」
「平気だよ」
と言いながら、真人はおいしそうにワインを飲んだ。
料理とワインがおいしいお陰なのか、久しぶりのデートで気持ちが高ぶっているのか。真人はいつになくおしゃべりで、最近の出来事をおもしろおかしく話してくれた。
そんな真人の話を聞きながら、私はワインを飲み、料理を味わった。こんなにゆったりとした時間を二人で過ごすのは初めてで、
『私たちも大人になってきたってことかな』
と思いながら、グラスに残っていたワインを飲み干した。
デザートとコーヒーが運ばれてきた。
チョコレートムースにシャーベット、ブドウなどの季節のフルーツが添えられていて、見た目にも華やかだ。
さっそくいただこうと、フォークを手に取ったら、
「涼子、ちょっといいかな」
と真人が言った。見ると緊張した面持ち。額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
「何? どうしたの?」
私はフォークを置きながら尋ねた。
「オレたち付き合って始めてから、来年の春で二年になるよな」
と真人。
「そうね」
私はコーヒーカップを手に取った。
「そろそろ、どうかなって思うんだ」
と真人。由美子の『プロポーズに決まってるでしょ』というセリフが頭をよぎる。私が平静を装いながら、
「どうかなって、何?」
と言うと、真人はポケットから小さな箱を取り出して、私に差し出した。
「……これって……」
「開けていいよ」
私は箱を開けた。中にはジュエリーケース。開くとダイヤモンドの指輪があった。
「結婚しよう」
真人の目は真剣だった。