恋愛相談
由美子と渋谷で飲んでから十日が過ぎた。
仕事以外の時間は、ずっと考えていた。
私は美奈ちゃんを好きなんだろうか。愛しているんだろうか。
愛しているとして一緒に暮らし始めたら、どんな生活になるんだろう。
親には何て言う? 会社には?
分からないことや知らないことが多すぎて、まるで迷路の中にいるようだった。
スマホやパソコンで、同性愛について検索もしてみた。同性愛に関する基本的な知識や制度に関する情報を提供しているサイト、相談に乗ってくれるサイト、SNSのコミュニティなど、たくさんヒットした。
匿名で相談することも考えた。でも勇気が出ない。
日にちだけが過ぎていく。
美奈ちゃんから告白をされて二週間になろうとしていた金曜日。私は〈aki's bar〉のドアを開けた。
「こんばんは、お疲れさま」
亜紀さんがカウンターの中で微笑んだ。
店内には、亜紀さんとスタッフの女の子しかいない。まだ七時過ぎだ、当然だろう。
「こんばんは。もう平気?」
「うん、カウンターにどうぞ……何にする?」
「生ビールとフライドポテトをお願いします」
亜紀さんは笑顔で頷いて、生ビールを用意してくれた。私は軽くビールジョッキに口を付けた。
「どうしたの? 浮かない顔をして」
と亜紀さん。
「うん、実はね……」
さすが亜紀さんと思いながら話そうとしたとき、店のドアが開いた。
「こんばんはっ!」
と元気な声。以前、この店で一緒になった里美さんだった。
「いらっしゃい、お疲れさま」
と亜紀さん。
「こんばんは、里美さん」
と私。
「亜紀さん、私も生ビールね。涼子ちゃん、隣に座ってもいい?」
と里美さん。私は微笑みながら頷いた。
私のフライドポテトと里美さんのビールが同時に届いた。
私はポテトを食べてからビールをひと口。今、話をしても聞いてくれるだろうか。私は二人の様子をうかがっていた。
すると亜紀さんが、
「そうだ。涼子ちゃん、さっき話しかけていたわよね?」
と水を向けてくれた。
「うん……」
と私。
「なあに? 相談ごと?」
と里美さん。私はわざと大きな声で、
「里美さん、鋭い! 大当たり!」
と言ってビールを飲んだ。
「恋愛相談? ストレートの事情は知らないから、うまく答えられないかもよ?」
里美さんはジョッキのビールを飲み干した。
「セクシュアリティは関係ないわよ。恋愛なんて、みんな同じ」
と亜紀さん。
「そうかなあ……ターキーの水割りをダブルで」
と里美さん。亜紀さんは頷いてから水割りを作り始めた。
「大丈夫です。同性愛の相談ごとなので」
と私。ジョッキは空になっていた。
「えっ?!」
亜紀さんと里美さんが同時に声を上げて、私の顔をのぞき込んだ。二人の驚いた表情に、私は思わず吹き出してしまった。
「……とりあえず、ウォッカ・トニックをください」
肩の力がすうっと抜けていくような気がした。
「それで、頭がこんがらかってしまって」
と言ってから、私はウォッカ・トニックを飲み干した。
「お代わりは?」
と亜紀さん。
「お願いします」
と私。グラスを亜紀さんに差し出した。
「涼子ちゃんね……頭でっかちになり過ぎ。先走りすぎよ」
亜紀さんが、グラスにウォッカを注ぎながら言った。
「え?」
「一番大切なことは二人が、涼子ちゃんと美奈ちゃんが愛し合っているかどうかよ」
亜紀さんはトニック・ウォーターを取り出した。グラスに注いでかき混ぜた。
「………」
「確かに、私たちの恋愛には偏見は付きものよ。その先のこととなると、日本だと考え辛い。パートナーシップ制度を使える自治体も増えはしているけれど、暮らしにくいのは確かよ」
と言って、亜紀さんは私の前にグラスを置いた。
「気を遣うよね。彼女とデートをしていると」
と里美さん。
「そうなの?」
と私。
「普通にしていれば、仲のいい友だち同士にしか見えないとは思うよ? でもさ、手を繋いだりしたいじゃない。気にしなきゃいいんだろうけれど……」
と言って、里美さんはグラスに口を付けた。
「それでもひと昔前と比べると、二人でいやすくなってるわ」
と亜紀さん。ミネラル・ウォーターの瓶を取り出して栓を開け、そのままラッパ飲みをした。そして、
「一生を添い遂げるつもりで一緒になっても、別れるカップルがいるのは、同性愛でも異性愛でも同じこと」
と言った。
「うん、そうですね」
と私。
「周囲の理解を得て、どうやって暮らしていくのかも、壁の高さの違いはあるけど同じよ」
と亜紀さん。ミネラル・ウォーターの瓶を、カウンターにドンッと置いた。そして私の目をまっすぐに見つめながら、
「どちらも愛し合ってさえいれば、乗り越えられるわ!」
と力強い口調で言い切った。
私のウォッカ・トニックは三杯目になっていた。
美奈ちゃんを愛しているかどうか。それだけを考えればいいんだ……そんなことを思いながら、グラスを弄んでいた。
「しかし、美奈ちゃんもやるなあ」
と里美さんが言った。
「え?」
「だってノンケ……ストレートで、しかも大学時代の友だちの元彼女に告白するなんて。私には無理」
「そうね、私も二の足を踏むかな」
と亜紀さんが言った。
「そう? そんなものですか?」
と私。
「状況にもよるけどね。友だちの目もあるじゃない。カミング・アウトをしているとなると余計よ」
「それもそうか」
私はグラスに口を付けた。
「そういえば……美奈ちゃん、長崎に帰省するって言ってなかったっけ?」
と里美さん。
亜紀さんがハッとした表情を浮かべた。近くにあった卓上カレンダーを手に取り、
「そうよ、確か土曜日……明日のお昼ごろの飛行機よ」
と言った。
「あ、もしかして……」
と私。
「何か思い当たる節でもあるの?」
と里美さん。
「美奈ちゃん、お見合いを勧められているって……少し前に……言ってた」
私は涙声になってしまった。すっかり忘れていた自分が情けなかった。
『断り切れなくなってきててさ……どうしよう』
美奈ちゃんの言葉が頭をよぎる。
「あの子、何考えてるの!」
亜紀さんがスマホを手に取った。美奈ちゃんに電話をしているようだ。
「ダメ、留守電に飛んじゃうわ」
と亜紀さん。
「LINEもダメ、既読にならない!」
と里美さんが焦り口調で言った。
私は手元に置いてあったスマホを見た。
ピンクのスマホカバーは美奈ちゃんと色違い。相本沙希ちゃんのライブのときに、美奈ちゃんが買ってくれたものだ。
「美奈ちゃんが乗るお昼ごろの飛行機って、何時なのか知っていますか?」
私は亜紀さんに尋ねた。