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ピンク色の忘れ物

作者: やさか

「牧師さんの嘘つき! 牧師さんなんか大っ嫌い!!」


人口数千人程度の、宿馬と酒場で成り立っているような小さな村外れに、その小さな教会はあった。

週末の説教の日。牧師の穏やかな説教も終わり、各々がのんびりと歓談に興じている最中、その少女の怒鳴り声が響いていた。


「こら、ルネ!」


少女の母が、涙を目尻に浮かべる少女を叱りつける。

だが、少女は母が窘めるのも顧みず、牧師に向かってピンクのリボンを投げつけると、そのまま踵を返して教会を走り去った。

ルネが走り去った後、その場に残された母は申し訳なさそうに、牧師に向かって頭を下げた。


「すみません……もう今日が最後だというのにこんな……」

「いえ、無思慮だった私の責任です」

「牧師様……」


その手にピンクのリボンを持ち、小さな村に唯一存在する教会の牧師は、柔和な笑みを崩すことなく、少女の走り去った跡を見つめ続ける。


「王都の中央教会にはもう行かれましたか?」

「ええ。とても大きい講堂で……少し落ち着きませんでした」

「はは、それはそうでしょう。ですが、直に慣れますよ」

「私は、やはりここの方が好きです。長閑で、静かで……」

「これもまた導きと思えばこそ。何より、ご主人が王都で職を見つけられたことは、主の御恵みではありませんか」

「はい、それはもう……!」


恐縮そうに頭を下げるルネの母。

牧師は少しだけ寂しそうに眉を下げて言った。


「ですが、ルネの讃美歌が聴けなくなるのは、寂しい限りです」

「ルネの、ですか?」


牧師は物憂げに小さく頷いて答えた。


「願わくば、彼女の歌がとこしえに天へと響かん事を……」


静かに少女の未来を案じる牧師の手の中で、真新しいピンク色のリボンがゆらゆらと、優しい風に靡いていた。





ルネはピンクが嫌いだ。

ピンクは少女性の象徴だから。

可愛らしい色。子供らしい色。そして、女の子らしい色。

幼い頃、今住んでいる王都とは比べ物にならない程小さな村に住んでいたあの頃。村の少年達に混じってヤンチャの限りを尽くしていたルネにとって、ピンクは憧れの色だった。

時折村を通り掛かる貴族の令嬢や、行商人が売り出す綺麗な衣装。そうでなくとも、村の衣装屋のショーウィンドウにかけられている、村の基準からしてみれば高価な服。

ルネの目にはいるそれら全ては須らくピンク色に染まっていて、同時にルネにとっての「女の子らしさ」の象徴でもあった。

そんなルネの心を、あの小さな教会の牧師は良く知っていたのだろう。

年頃となり、それなりに少女としてのオシャレを意識し出した当時のルネの悩みは、どうにかして、どうにかしていつしか加わっていた「村のヤンチャ坊主」というカテゴリから抜け出すことだった。

さらに、ルネの家では当時、父の転職を契機に王都へと引越しするという話が持ち上がっていた。

王都へ行けば知人は誰一人いない。

一から友達を作れるのか、そもそも王都の子供と田舎娘の自分が馴染めるのか。

そして何よりも、村を離れたらみんな自分のことを忘れてしまうのではないか。

思考はネガティブなベクトルに走り続け、不安ばかりが募っていたルネにとって、相談ができる相手と言えば、村外れにある小さな教会の牧師だけだったのである。

ルネはすぐに牧師の元へ相談に行った。

息せき切ってやってきて、恥ずかしそうに所々言葉を濁しながら「みんなに私は女の子だよ、って認めてもらいたい」と悩みを打ち明けたルネに、牧師は「では明日、もう一度教会に来てください」とだけ言った。

相談した日の翌日、ルネを待っていたのは、シンプルでありながらとても可愛らしい、実は密かに欲しがっていたピンク色のリボンだった。

差し出されたリボンを受け取り、照れ臭そうにもじもじしているルネに向かって牧師は言った。


「きっと、みんなルネのことを覚えていてくれますよ。ほら、ルネにはやはり、ピンクが良く似合う」


その言葉は、まさにルネにとっての魔法だった。

いつもなら恥ずかしくてできない女の子らしい衣装も、何故か牧師の言葉を思い出せば抵抗なく着れた。

むしろ、その最中に村のみんなから「可愛いね」と褒められる事を想像して、鏡の中でニヤニヤしている自分にドン引きしたくらいである。

……だが、そんな期待に胸を膨らませていたルネの心は、一日と立たずに羞恥と怒りに塗り変わる事となる。

そして迎えた「あの日」の出来事……。


「……あぁ、変な夢見ちゃった」


突っ伏していたテーブルから顔をあげて、ルネはルージュの引かれた唇に垂れた涎を乱暴にぬぐい、吐き捨てる様に呟いた。

窓を見れば、意識が途切れる前には真っ暗だった空が、薄ぼんやりと青白く染まりつつある。どう考えても酔いつぶれて寝ていたからだ。

ガンガンと、まるで頭の内側から金槌で頭蓋骨を叩かれているかの様な頭痛に辟易しながら、

ルネは座っていたイスの背もたれに仰け反る様によりかかる。

反芻するのは昨日の記憶。

国立歌劇団に入団し、華やかなデビューを飾り、同時に立ち続けた舞台を降ろされたショック。

ルネを舞台から引き摺り下ろした張本人のセリフが、腸が煮えくり返る程憎たらしく鮮明に蘇る。


『お前の歌には足りないものがある』


そう言った団長がルネの代わりに用意したのは、猫被りが得意で陰険なチビ女。あの瞬間のあのアマのドヤ顔を思い出して、思わず寝ながら握り続けていたグラスを怒りまかせに投げそうになるのを必死にこらえ、ルネは大きくため息を吐いた。


「……はぁ。足りないものって言われてもねぇ」


最近は確かに伸び悩んでいた様に思う。

最初こそ幼少の頃から街頭で歌い続けた経験や、流行り病で早々に亡くなった両親に変わって運よく拾い育ててくれた声学の恩師のおかげで一躍人気となったが、それもはじめの頃の話だ。

時間が経つに連れて劇場の人入りは減り、つい先日の公演では、ついに最低限の客数すらも割った。舞台から降ろされるのは当然の事だったと言える。

ルネの脳裏には、団長の最後のセリフばかりがリフレインしている。

あの言葉の意味が解らない。

自分は一生懸命歌っていたし、実際にファンは何人もいた。

……だが、どれだけルネを応援してくれる人がいても、客が入らなければ降ろされる。それが舞台であることも重々理解していた。


「……暫く休め、ってことかしら」


着の身着のままで眠っていた所為で、今の服は昨夜のドレスのままだ。


「……とりあえず、お酒」


乱雑にドレスを脱ぎ捨て、下着一枚となったルネがグラスの次に握ったのは、ファンから送られた87年ものの上等なワインであった。

そして、ワインを飲み干したルネが次に意識を取り戻したのは、その日の日付が変わろうかという深夜だった。





「うっわ……びっくりするぐらい変わらないわね、ここは」


馬車から降り立ち、懐かしい緑の匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、ルネは呆れた様な嬉しい様な、なんとも複雑な笑みを浮かべた。

舞台から降ろされ、暫く暇のできたルネは、気が付けば二日酔いの覚めたその日に、

かつての故郷へと向かう馬車に飛び乗っていた。

なぜ突然そんな行動を取ったのか……しいて理由をあげるならば、あの日見た夢の所為だろうか。

嫌に懐かしく、心に棘で刺されるような好奇心。少しだけあの時の牧師がどうなったか気になったし、することもないならーーーーそんな軽い理由で訪れたのだが。


「休暇と考えれば案外アリだったかも」


なかなかどうして、幼い頃の憧憬心を擽られたせいか、妙に楽しい気分になってきた。

そうなれば、生来気風のいい性格として通ってきたルネだ。両親を流行り病で失った後も、毎日毎晩街角に立って歌うことで日銭を稼ぐような強かさもあったおかげで、舞台を降ろされた理由という面倒なものは即蓋をして記憶の底にぶん投げる。

とにかく、ウジウジと考えるのは後にして、今は気分に任せて楽しむとしよう。

ルネの足は、自然とヤンチャ坊主時代の自分の足跡を辿り始めていた。


「うーん、やっぱり色々変わってるなぁ」


ひとまず宿屋を見つけて部屋を取り、最低限の荷物だけを持って村に繰り出したルネは、その数時間後には、最初に抱いていた期待感が薄れて行くのを感じていた。

小さな村とはいえ、十数年の月日は緩やかながらもとても大きな変化を伴っていたらしい。

まず、幼少時代のヤンチャ友達は二人しか残っていなかった。

多くは王都に登り、村に留まっていた者も、ルネが自分から名乗り出なければ気づいてもらえなかった。

そして、かつては暖かさと厳しさ、そして怖さを持って子供心に強く焼き付いていた多くの大人達も、流行り病や移住などによって、ルネを知っている人間は数少ないと言って良い程減っていた。

残念といえば残念で、同時になんとなく心ではわかっていたこと。

それ故に、記憶ではなく身体が覚えている道を歩きながら、ルネはなんとも言えない物哀しさを覚えてしまう。

だが、どんなに村の様子が移り変わっていても、変わらないものも確かにあった。

舗装のされていない土と砂利の道。

息を吸うたびに、むせ返るような草の匂いが鼻腔を撫で、囁く風とこすれ合う木々、そこかしこで囀る小鳥達による自然の合唱が耳朶を優しくノックする。

気が付けば、ルネはさっきまでの物哀しさを忘れ、即興のメロディでハミングを口ずさんでいた。

気の向くまま風の吹くまま。子供の頃に染み付いていた身体の記憶は、いつしかルネを懐かしい場所へと導いていた。


「……ここ、まだあったんだ」


たどり着いたそこは、子供の頃の記憶を振り返って見ても、多少庭の手入れが悪いことを差し引けば、かつてと全く変わらない姿のままだった。

古臭さという言葉がこれ程似つかわしいものもないだろうという外観。

草こそ伸び放題だが、それ以外は何も変わらない小さな庭。

そして何よりも、所々塗装が剥げ、中の地肌が見えている白い屋根と十字架。

幼い頃の思い出そのままの姿で、あの小さな教会は残っていた。

まるでここだけが時の流れに取り残されているかの様で、いますぐにでもあの頃の牧師が出てきて自分を出迎えるのではないか、そんな事を考えてしまうくらいに、ルネは一時言葉を失って教会を見上げる。

もちろん、かつての記憶にあるように、数分程その場で惚けていても教会の扉が開くことはなかった。

ルネがここを離れて十数年も経っているし、そもそも、こんな辺鄙な村の小さな教会にいつまでも留まっているはずがないのだ。

そう自分の中で無理やり答えを出して、ルネは訳もわからず覚えた寂しさを誤魔化した。


「でも、せっかくきたんだし」


このまま去るのは何か惜しい気がしたルネは、とりあえず今この辺鄙な村で宣教活動をしているであろう、物好き極まりない牧師の顔でも拝もうという気で教会の中へと入ることにした。

耳障りな高い音をたてて開く扉に顔をしかめ、相変わらず立て付けの悪い扉だなとルネは心の中で悪態をつく。

十数年ぶりに見る教会の内部は、やはり外観と同じ様に、何も変わっていなかった。

小さな礼拝堂に椅子が並び、中央には十字架にかけられた救い主の像。そしてその下に、牧師の立つ教壇。

そして、なによりも。


「……おや、これはまた懐かしい顔が見れました」


年老いてなお色褪せる事のない柔和な笑みを浮かべ、ルネの来訪を子供の頃と変わりなく喜んでいる、牧師の姿があった。





「大きくなりましたね、ルネ」

「よく、わかりましたね?」

「勿論です。貴方はいつまでも貴方ですから」


久しぶりに会う牧師は、豊富だった黒髪が減り、白髪が増えるなど確かに歳月を感じさせるほど変わっていたが、それはあくまでも外見だけだった。

その内面はかつての記憶と何一つ変わっておらず、ルネは少しだけ、自分が子供だったあの頃に戻ったような気がした。

牧師に案内され通された部屋もまた、ルネの記憶のままで、尚更ルネの錯覚を深くする。


「この部屋にくると、色々思い出します」

「あぁ、よく悪戯をした後駆け込んできては隠れていましたね。他にも秘密基地にするといって色んな物を持ち込んだり、聖誕祭で歌う讃美歌を練習したり……」

「……変な事ばかり覚えてるんですね」

「主の御恵みですから」


ニコニコと、心の底から嬉しそうに笑いながらそう言われては、ルネもそれ以上反論できなかった。

見回せば、あちこちに子供時代の思い出の跡が見え、ルネは知らずと笑みをこぼす。

本当に不思議な場所だ。ここだけが、まるで時間の流れから切り離されているかのように穏やかで、なにより傷心していたルネを優しく受け止めてくれる。

人はそれをよくない事だと言うかもしれない。過去に囚われず、未来をみるべきだと、世の知識人は言うだろう。

それでも、ルネはここに来てよかったと思った。

なにより、子供の頃から変わらない牧師の微笑みが、荒み切っていたルネの心に例えようのない安心感を与えてくれたから。


「ご両親を亡くされた後、どうしているのかずっと気がかりでした。ですが、今は国立劇場の舞台に立っていると聞いて、安心しましたよ」

「誰からそれを……?」

「人の噂とはどこにでも広がるものです。それは勿論、この小さな村にも」

「そうですか……まぁ、ご存知のように私はしぶといのが取り柄ですから」

「貴方は歌がとても上手でしたからねぇ。道の脇でトマス達と歌ったり、聖誕祭や教会の主日に讃美を歌った時も、私は貴方の歌を楽しみにしていたものです」


懐かしそうに、それでいて思い出一つ一つを噛み締める様に呟く牧師に、ルネは背中が痒くなる様な恥ずかしさと共に、心が暖かい何かで満たされるのを感じた。

それがきっかけだったのかもしれない。

子供時代の思い出話から両親の死に際へ、それから路頭で歌を歌って日銭を稼いでいた事、運よく恩師に拾ってもらえた事、そして国立劇場の舞台に立てた事。

今までの空白だった歳月を埋めるように、ルネは休む事なく話し続けた。

まるで一人演劇のように、時に一人で何役もこなし、喜怒哀楽を交え、迫真の演技と身振り手振りを駆使し、自身の半生を語った。

そして、ついに思い出話の時間軸も近況へと移り変わり、ルネの滑らかな語り口に陰りが現れ始める。

語る言葉に併せて脳裏に再生される、例の光景とセリフ。

おどけた口調を意識していても、どうしても心の動揺を隠しきれていないことを自覚しながら、ルネは話し続けた。

歌劇団の主演になれてよかったのは、最初だけ。

後は落ちぶれるばかりで、ついには今、舞台の座から降ろされた。

自分の歌には足りないものがあると言われても、それが何なのかはさっぱりわからない。

この村に帰って来たのは、もしかしたらその“何か”を見つけたかったのかもしれない。でも、見つからなかった。

悔しいのか?

それもある。舞台を降ろされ、挙句遥かに未熟なあのチビ女に舞台の座を奪われたことを考えれば、今すぐにでも大暴れしたくなるほどに。

遣る瀬無いのか?

当然だ。舞台はルネにとっての全てであり、その座を降ろされた理由すらもわからぬまま、かつての故郷では存在すら忘れさられようとしている。

だが何よりも、己に取って何よりも大切であり、存在意義ですらあった自分の歌が否定された事実こそが、ルネの心をズタズタにするほど哀しい。

胸が抉られるような痛みだけでなく、筆舌に尽くし難い悲哀に襲われ、ついにルネは語るべき言葉を見失う。

そんなルネの様子を、牧師は静かに見守り続けた。

暫く、二人の間に静かな嗚咽と、控えめに鼻をすする音だけが残る。

どれほどの時間が経っただろうか。

ルネがようやく落ち着きを取り戻した頃になって、牧師は静かに立ち上がると「少し、待っていてください」と残し、棚の方へと向かっていった。

戸棚を開け、調度品と呼べるものも皆無な物寂しい棚の中から、古びた小さな箱を取り出す。

それを持って再びルネの前へともどってくると、懐から取り出したこれまた古めかしい鍵と併せて、牧師はそれらをルネへと手渡した。


「忘れ物ですよ」

「……私の?」

「ええ。貴方の、大切な忘れ物です」


今まで見たことのない真面目な顔でそう告げる牧師に、ルネは内心で首を傾げる。

ここには確かに多くのものを残してきた。だが、本当に大切なものは引越しの際に全て持ち出していたし、ここに残っているものといえば今はもう必要のない、子供心が集めさせたガラクタばかり。

それらが一つも捨てられることなく、埃もかぶらずに残っているのは、牧師の人柄をよく表していると言えるだろう。

ともあれ、こんな古めかしい箱の忘れ物をした覚えは、ルネの記憶の中にはなかった。


「あの、私、こんなの……?」

「……開けてご覧なさい」


相変わらず、ルネは手渡された箱の詳細を思い出せずにいたが、牧師に促されるまま、古めかしい鍵を箱へと差し込んだ。

差し込んだ鍵を右へと捻ると、特に抵抗もなく「カチッ」という音と共に鍵の開く感触を覚えた。

恐る恐る箱の蓋を開け、ルネは息を呑む。

箱そのものは、はっきりいって見窄らしいものだったが、しかしそこに“在った”ものに、ルネは言葉を失ったのだった。


「これ……!」

「……あの日からずっと、返しそびれていました」


箱の中に“在った”のは、所々解れがあり、経年劣化によってやや色褪せた、ピンク色のリボンだった。

あの日、あの時。この小さな村を去る間際の日。

ルネが十数年前、八つ当たりと共に牧師へと投げつけた、幼い頃抱いていた“少女らしさ”の象徴ーーーーそれが、そこに在った。


「ルネ。怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。貴方の歌を、主はきっと待ち望んでおられるだろうから」


ルネの脳裏に、あの日の光景がまざまざと蘇る。

村を去る前、せめて一度くらいは、みんなに「女の子らしく」見て欲しいと願ったこと。

その悩みを打ち明けた自分に、牧師はこのリボンをくれた。

でも、ピンク色のリボンを付けて、女の子らしい格好をしても、ルネはルネとしてしか見てもらえなかった。

それはなに一つとしておかしい事ではないのに、しかし当時のルネにとっては幼心を深く傷付けられる結果だった。

その八つ当たりで、ルネはあの日、牧師に向かってこのリボンを投げつけたのだ。

感情の整理がつかない。

様々な想いが綯い交ぜになって、嬉しいのか恥ずかしいのか怒りたいのか、国立劇場で幾千人もの人々を感動させた口は、どんなに動かそうとしても言葉を紡いではくれない。

牧師はそんなルネの手からそっとリボンを取り上げると、いつの日かと同じ様に、優しい手付きでルネの髪をそのリボンで結わく。

麻色の髪に、色褪せたピンク色のリボンができたのを見て、牧師は一つ、ゆっくりと頷いた。


「うん、やはりルネはピンク色が良く似合います」


ルネはピンクが嫌いだ。

ピンクは少女性の象徴だから。

可愛らしい色。子供らしい色。そして、女の子らしい色。

だから、そんな色は自分には似合わないと思い続けていた。自分にはそんな物はないのだから。無い物を無理矢理あるように見せる事程無様な事はない。

だけど……。

ルネは、今まで自分が思い違いをし続けていた事に気付いた。

村の誰一人、両親ですらも言ってくれなかった事だが、牧師だけは変わる事なく教えてくれていた。だからあの日、牧師はこのリボンをプレゼントしてくれたのだ。

それまでルネの今日中でうねり狂っていた感情が、嘘のように消え失せた。

代わって浮かび上がって来たのは、少女の頃幾度も抱えた抑え難い衝動。

再び溢れた涙をぬぐいながら、ルネはあの頃のように、牧師へ尋ねた。


「ねぇ、牧師さん。私、ここで歌ってもいい?」

「えぇ、もちろん」


ルネの問い掛けに、小さな村の牧師は、白髪と皺増えてもあの頃となに一つ変わらない、あの柔和な笑み浮かべながら答えた。


「主も私も、ルネの歌が大好きですから」





それから数年後。

王都の国立劇場は、割れんばかりの大歓声に包まれていた。

数万人もの観客を収容する広大な劇場に、力強く、そして淑やかな歌声が響く。

人を讃え、世界を讃え、神に捧げられる歓喜の歌。

一度は舞台から降ろされ地に塗れたが、数ヶ月という短い期間で再び舞台へと返り咲いた、今や国を代表する歌姫。

幾度も国立劇場を人で満たす彼女は、不思議な事に年に一度、自分の誕生日でも何でも無い日に「記念コンサート」を開く。

何の記念かは、本人以外に誰一人として知る事は無い。

だが、その日だけ。

その一日だけ、その歌姫は淡いピンク色のドレスに見を包み、その髪には艶やかな衣装とは不似合い極まりない、所々ほつれたピンクのリボンで髪を結わえて歌うのだ。


その姿はまるで、歌を覚えたばかりの少女のようであったと言うーーーーーーーー。

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