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電話相談

作者: 竹仲法順

     *

 俺は決まって恋人の(あや)が仕事で、どうしても会えない土曜日などに電話を掛けることがある。どこにかと言うと、街の掛かり付けの病院だ。普段月に一度通院している病院は土日も電話相談を受け付けている。心が疲れているのが本音だったし、何かがあるたびに揺れ動くこともあった。統合失調症に加え、軽めの欝も入っているので決まって電話を掛け、話を聞いてもらっている。ちゃんと相談しないと危ないというのは十分分かっていたのだし……。文も俺の心境を理解してくれていた。メールを打つこともあったし、電話で話すこともあった。彼女は普段会社に勤めていて昼間は自宅マンションにいないし、俺は在宅で書き物をしている。心の繊細さが精神病を生んでいることは間違いなかった。こういったときに助けてくれるのが本当の恩人だろう。文は俺がその手の病院に通院しているのを知っていて、書いている作品も全部読んでくれていた。二年前の直木賞受賞以前から創作活動は続けている。やっと文壇と呼ばれる、何かと堅苦しい作家の集まりの中に加えてもらった。朝起き出してホットコーヒーをカップに一杯飲み、部屋の窓を開け放って掃除する。疲れているのは事実だ。心身両面で。俺のことを分かってくれているのはおそらく病院関係者と文ぐらいだろう。実際実家を出て今の街のアパートで暮らし始めてから八年が経っていた。実家には一度も帰ってない。オヤジと仲が悪くて妹とも疎遠(そえん)になっていたからだ。何も言うことはないだろうと思われた。八年前、今のマンションに来た直後、持ってきていた古いノートパソコンで原稿用紙に換算して七百五十枚の長編を書き終え、それを出版社に持ち込んで読んでもらった。原稿を読み終えた担当者が、

「これはなかなか面白いですね。うちで企画出版してもよろしいですか?」

 と訊いてきた。原稿を持ち込んだ甲斐があったと思った。もちろん頷き、

「是非お願いいたします」

 と返す。正直なところ嬉しかった。大学を中退し、小説というものを書き始めてから、そのときにすでに二年ほどが経っていたからだ。書籍化に向けて俺の作品を担当編集者が読み込み、細かいところに手直しを入れて作品が出来上がった。ちょうど筆歴十年で直木賞受賞後もいろんな出版社から仕事のオファーが来ている。全部は受けきれないで一部断っているところもあった。やはり小説を書くというのはとても疲れるのだ。こういった労苦を経てから本物の作家が誕生するのだと思う。だけど満たされない部分もあった。そこを病院関係者に埋めてもらう。そのための電話相談なのだった。もちろん文のマンションに行き、彼女と会ったときも話をする。メンタルヘルスというのは実に理解し辛い。一作家として地味に歩いていきながらも、病院との連携は欠かせないと思っていた。

     *

「どうなさいました?」

 ――ああ。ちょっと気分が沈んじゃってまして。

「確かこの街在住の作家の方でしたよね?」

 ――ええ。……よく覚えてますね。

「あたしたちカウンセラーはこういった電話相談でも個人情報などを随時録音し、記憶してるんです。ですから、患者様がどういったことでお悩みか、すぐ分かるんですよ」

 ――知らなかったな。僕も普段原稿書くばかりでメンタル的には欝が続いてるんですけど。

「そういったときは体をお休めになってください。無理はダメですよ。疲れが溜まるばかりですから」

 ――そうですね。過度なことは出来ないですからね。

「あなたは幸い、ちゃんと自分の状態を把握してらっしゃる。いいことですよ。それに原稿書かれるにしてもスランプなんかがあるでしょう?」

 ――ええ、まあ。

 深呼吸し、ゆっくりと息をつく。俺の病状は文と病院関係者しか分からない。それに下手に他人には言わないことにしている。誤解されるからだ。そういった意味で言えば、文が一番の理解者だと気付いていた。ずっとキーを叩き続けるのが仕事である以上、疲労は雪だるま式に溜まっていく。幾分気を抜いてやっていこうと思っていた。契約先の出版社とも連絡はずっと途絶えないのだし……。メンタル面での弱さは誰もがなかなか克服しにくい。俺も気を遣うことがあった。一歩一歩歩きながらもいろんなことが重なる。自分でもそういったことを確認しながら日々原稿を書き続けていた。今はゲラもネットでやり取りする。一々紙にプリントアウトしないのだ。製本する際に印刷するだけで後はほとんどディスプレイ上で粗稿に書き加えたり削ったりを繰り返して完成稿を作る。その日の電話相談はそういった俺の苦労話に終始していた。

     *

 翌朝起き出し、洗面台で歯磨きをして、髪の毛を整える。特にスタイリングムースなどを付けたりすることはなかった。単に手櫛(てぐし)で綺麗にするだけだ。モーニングコーヒーを淹れる前に電機ポットでお湯を沸かす。ガス台は滅多に使わない。ガスは相当な使用料金が掛かるからだ。返って電気の方が安くていい。生活感覚は十分あった。長年貧乏してきたからだ。直木賞を獲ってからも、とにかく蓄財の方を優先してきた。それは文も知っている。俺の昔身に付けた貧乏性を。お湯が沸いてからコーヒーを一杯ブラックで淹れる。そしてカップに口を付け、飲んだ。熱々のコーヒーを舌先で味わう。今日は日曜で午後から彼女と会える。楽しみだった。普段街の人間とはほとんど関わらない。それでいいのだった。別にこんな田舎の人間で物書きの苦労などを理解できるのはよほど文芸などに関心がある人だけだからだ。幸い、文は俺の出した本を紙・電子書籍問わず全部読んでくれている。付き合い始めてからある程度が経ち、お互いしっかりと分かり合えていた。別に街に住んでいる彼女以外の人間などとは全く接触がない。それでいいのだった。そんなヤツらとは付き合うだけ時間の無駄だと思っていたからだ。ただ病院関係者にはずっと世話になっている。これからずっとこういった状況が続くだろう。でも怖くも何ともない。単にゆっくりと歩いていくだけだ。人生は長い。そういったことは言わずもがなである。有益(ゆうえき)な過ごし方ならいくらでもあるのだった。俺はそう思い、外出の準備が整ったので必要なものを持って歩き出す。精神安定剤などの薬類は穿いていたジーンズのポケットに入れていた。扉を開けて外に出、バタンと閉める。オートロック式のマンションで管理人もいるからセキュリティーも万全だ。泥棒などに入られることはまずない。

     *

 冬らしくジャンパーを羽織って歩きながら、

〝今日の文はどんな格好してるのかな?〟

 と考え続けていた。彼女は結構お洒落である。大抵街の古着屋で買った洋服で全てを(まかな)っていたので安上がりだ。その分、買い込んだ洋服は上手く使っていた。コーディネートだけで全然変わるのである。特に文ぐらいの年齢なら何を着ても似合う。ファッションセンスはいい方だった。まあ、別に会ったとき普通に見るぐらいで、まじまじと見ることはなかったのだが……。

 十一月下旬で冷える。疲れていた体も彼女や病院関係者から癒してもらえばそれで済むのだ。ゆっくりと文のマンションへ向かう。歩いて二十分ほどのところに部屋があり、来ようと思えばいつでも来れる。だけど平日は彼女も仕事が忙しくて、残業などもすれば午後七時過ぎぐらいにしか帰ってこられない。だから日曜日会うときは、前もって連絡してから行っていた。午後二時過ぎからが俺たちの休日の時間だ。実に何気ないのだが、これが一番の楽しみなのである。ゆっくりと手を(たずさ)え、歩いていくつもりでいた。何を言うこともなしに楽しめた。会えば会ったでいろいろと話が出るのだから……。健全な証拠だろう。互いに忌憚(きたん)なく何でも話せるというのは。そして日曜が終わると、また互いに一週間仕事だ。次会える日を心待ちにしながら……。

                               (了)


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