鏡
2011/08 C80で無料配布したホラー短編。鏡の中から窺うモノ・・・
ピクシブには2012年にアップ
1
後に鏡を置いてはいけない。
中から伸びてきた手に、連れ去られてしまうから。
触れるほど近い位置にある鏡から目を逸らしてはいけない。
それはとてもとても、危険なこと?
2
あたしは見ている。鏡の中から。
いつもいつも後頭だけがあって、顔はせいぜい横顔ぐらいしか見えない。
狭い部屋で、窮屈な勉強机。すぐ背中には、手元を明るくしようと大きな鏡が置かれている。
決まった時間、ここで座って何かをしている、あたしと同じ顔の別の人。
引っ張りこんで、入れ替われる位置にいる。
ほら、手が届く。
悪戯で、ぼさぼさした髪をつんっと一本引っ張った。
彼女はうるさそうに手で払い、振り返りもせず乱暴に手櫛で髪を整えた。
散乱しているのは勉強道具。
面白いの、それ?
3
いつでも彼女一人ぐらいこちらに引っ張り込める。
そっと静かに手を伸ばす。
大きな大きな鏡。境界線。
土の境。金の境。
鏡の表面はとても脆い鏡界線。
背後から、まず柔らかく暖かい唇を塞ぐように手を伸ばした。
彼女は緩くもがいた。
でもダメ。もう逃がさない。
何度も何度も警告したわ。
これは、魔が差したというのよ。誘ったのはそちら。あたしは悪くなんかないわ。
そのまま、ずるりと中へと引っ張り込む。
柔らかい、暖かい体。
そんなものばかりの世界。
あたしの体も、暖かくなった。全身を撫でてみる。どこもかしこも柔らかくて、面白い。
鏡の中に閉じ込められた彼女は一瞬、笑った気がした。
いつだって戻れるはずの鏡の世界。だって、彼女だってそんな面白くもなんともない世界に居たいはずがないから、隙あらばあたしのことを引っ張り込んで入れ替わろうって思っているはず。
だから、まずやったことは背中にある鏡の撤去。
これで安心。
両親という存在も、やっぱり柔らかくって暖かった。殴りつけると簡単に肌が裂けて血が出る。痣になる。鉄錆びのにおいと味がする。
やめてやめて、何が不満なの。
女親が怯えた顔であたしに言う。
あたしはわけがわからなくて、首を傾げた。
「あんたは何が不満であたしを叩いたの?」
血塗れの張れた顔が楽しい。紫色に腫れ上がった左頬はあたしが幾度も殴打したの。
「母さんは貴方のこと思ってぶってる……やっ」
平手で叩いたら、鼻血が出た。手にべっとりとつく。
血って粘っこい。水みたいにさらさらしているかと思ったけど、べたべたしている。
服が汚れて不愉快になった。
柔らかい体を柔らかい拳で殴りつける。
男親の方はもう少し、硬い。だから、最初はバットを使った。それから、パイプ椅子。叩きつけ、投げつけて。
この世界はあたしの物ではないから、身勝手にやりたいようにした。
あたしも殴られる。柔らかくなった体はいつだって傷だらけ。
でも、これは自分の体ではないから、最後までぼろぼろに使い尽くしてやろうって決めていた。
拳もとうに骨が歪んでまともに握ることもできなくなっていた。それでも、人を殴るには事足りたから、いい。
痛いのも好きだ。
それ相応に、相手を痛めつけているのだから。
4
殴りつけて殴り返される。
やがて、殴り返してくる量は減っていった。
両親は嵐が過ぎ去るのをひさしの下で待つ鳥のように身を縮めている。
あたしは何度も殴ったが、だんだん馬鹿らしくなってきた。
つまんない。
そんな風に思った途端、痛みは嫌な痛みに変わり、とてつもない疲労感があたしを襲った。
あたしは疲れきり、鏡が恋しくなったのに、その中で彼女が笑った。
確かに彼女は嘲う。
現実になんて、外になんて、出たがって、馬鹿な子。
あたしは誘い出されたことをようやく悟った。彼女がわざと背中に鏡を置いて、振り返らずにいたのだ。そうやって甘い餌を撒いて待っていたのだ。
勝ち誇ったように、彼女は笑う。
鏡の中に戻るすべのない、人間になったあたしは、このままここで生き続けるしかないのだ。




