第8話 はじめての「たんけん」
「さあ、出発だ! 朔、しっかり掴まっておれよ」
父・景虎の広い肩に乗せられ、俺は生まれて初めて御剣城の門をくぐった。後ろからは、志乃と、おめかしをしたレンちゃんが、竹籠を背負って楽しそうに付いてくる。
門の外に広がっていたのは、俺の想像を遥かに超える「剥き出しの自然」だった。
(……道が、狭いな。それにこの傾斜、荷車を通すには勾配がきつすぎる)
職業病がまた顔を出す。現代の土木基準なら、間違いなく「通行止め」か「改良工事対象」だ。だが、三歳の視界から見る景色は、そんな理屈を吹き飛ばすほどに美しかった。
「わかとのー! お花、きれいに咲いてるよ!」
レンちゃんが道の脇に咲く、薄紫色の小さな花を見つけてはしゃいでいる。
「ほんとだ! むらさき、かわいい!」
俺は肩車の上で身を乗り出した。
一見、のどかな野花だが、サバイバル知識がその正体を告げる。
(……あれはシオンか。あっちにはカキドオシ。……ほう、薬草が自生しているな)
豊かな植生は、土壌の良さを示している。
山道を登るにつれ、空気はひんやりと湿り気を帯び、水の流れる音が聞こえてきた。
「見ろ、朔。あれが我が領の水源、『龍のなみだ』の泉だ」
景虎が指差した先には、切り立った岩肌から、水晶のように透き通った水がこんこんと湧き出ている池があった。
「わあ……! キラキラしてる!」
俺は景虎の肩から降ろしてもらい、トテトテと水辺へ駆け寄った。
池の底には、レンちゃんがくれたのと同じ、白い石がいくつも沈んでいる。
(……なるほど。この湧き水、流量が極めて安定しているな。周囲の地層が天然のフィルターになっているのか)
俺は三歳の小さな手で、冷たい水を掬って一口飲んだ。
驚くほど甘く、雑味がない。
(これだけの良水があれば、酒造りや、精度の高い手漉き和紙も作れるかもしれない。……いや、今はまず、この水がどうやって田んぼまで届いているかだ)
俺は池の縁を歩き、水が流れ出していく「出口」を探した。
そこには、木をくり抜いた簡素な樋が置かれていたが、継ぎ目から水が漏れ、周囲はぬかるんでいる。
「……あ、おみじゅ、もったいない」
俺がポツリと呟くと、景虎が隣にしゃがみ込んだ。
「もったいない、か。確かにそうだが、この樋も古くなっていてな。直すにも、人手が足りぬのだ」
景虎の言葉には、領主としての苦渋が混じっていた。
戦に備え、兵を養うだけで精一杯。インフラに回す余裕がないのが、この時代の「弱小領主」の現実なのだ。
「ちちうえ。さく、ここでおふね流したい!」
俺はレンちゃんの手を借りて、池の周りに落ちていた枝や石を拾い集めた。
ただ遊んでいるふりをして、水漏れしている樋の根元に、粘土質の泥と石を詰め込んでいく。
「おみじゅ、こっちいっちゃダメだよー。まっすぐ、いってねー」
「レンも手伝う! 石さん、ぺったん!」
二人の子供が泥まみれで遊ぶ姿を、景虎と志乃は微笑ましく見守っていた。
だが、俺の手は正確だった。水漏れを止め、水圧が最も効率よく樋にかかるように「堰」の形を整えていく。
(……これで、村まで届く水の量は、一割は増えるはずだ)
「龍のなみだ」を汚さぬよう、慎重に、かつ大胆に。
名もなき戦国の水源で、三歳の技官による「第一次水利改善事業」が、遊びのふりをしてひっそりと完了した。




