第12話 「水車」と村の光景
「若君、足元にお気をつけください」
佐々木殿が先導し、俺とレンは城下から少し離れた「龍のなみだ」の支流へと降りていった。
五歳の頃、泥だらけになって「おふね」を走らせていたあのみすぼらしい小川は、今や石積みで護岸され、勢いよく澄んだ水を湛えている。
そこに、大きな木製の輪が、飛沫を上げて力強く回っていた。
「……ほう。軸受けの摩擦はどうだ? 以前伝えた『椿の油』を差しているか」
俺は、轟音を立てて回る巨大な**「揚水水車」**を見上げた。
十歳の俺の身長を優に超えるその装置は、現代の力学計算を応用して設計された、この領地で最初の「動力源」だ。
「はっ! 若君の仰せ通り、油を絶やさぬよう村の若衆が交代で見張っております。見てください、あの樋を!」
佐々木殿が指差す先、水車によって汲み上げられた水が、高い位置にある木樋を通り、それまでは「天水」に頼るしかなかった高台の乾いた田畑へと、こんこんと流れ込んでいた。
「わあ……若君、あんなに高いところまでお水が登っていくよ!」
レンが目を輝かせて声を上げる。十二歳の彼女は、今では村の女たちのリーダー的存在になりつつあり、この水車がもたらす「変化」を誰よりも敏感に感じ取っていた。
「ああ。これまでは人が桶で担いで登っていた。その労働が消えれば、民は他の仕事に手を出せる。……佐々木、次は『精米』だ」
「精米……でございますか?」
「水車の軸に杵を連動させろ。人が足で踏まなくても、水が勝手にお米を搗いてくれる。そうすれば、女たちの仕事も楽になるはずだ」
俺は手帳を取り出し、水車の回転運動を往復運動に変える「カム機構」の図をさらさらと描いた。
前世の物理学者としての知識が、木材の強度と回転数を瞬時に弾き出す。
「……な、なんと! 水に米を搗かせるとは! 驚天動地の発想にございますな」
佐々木殿が震える手で図面を受け取る。
その時、田んぼで作業をしていた村人たちが、俺の姿に気づいて一斉に鍬を置き、泥だらけの膝をついて頭を下げた。
「若様! 若様のおかげで、今年は稲が枯れずに済みましただ!」
「水の神様じゃ、若様は水の神様のお使いじゃ!」
口々に感謝を述べる彼らの顔には、三歳の頃に見た「絶望」の色は微塵もない。
そこにあるのは、明日の飯を信じられる、人間の生気だ。
(……神様じゃない。ただの『効率』だ)
俺は心の中で苦笑したが、表向きは若君らしく、静かに頷いて見せた。
「皆、よう励んだ。この水車はお前たちの宝だ。大事に使うが良い」
「ははーっ!」
民の歓喜の声が、水の音と共に響き渡る。
俺は隣に立つレンの、どこか誇らしげな横顔を盗み見た。
(鉄を作り、紙を売り、水車を回す。……これで、この領地の『基礎代謝』は整った)
だが、俺は知っている。
豊かになればなるほど、外からの「欲」がこの平和な谷を狙い始めることを。
十歳の俺は、空を流れる雲を眺めながら、次の設計図――この国を守るための「防衛」の構想を練り始めていた。
「若君、お顔が少し怖いですよ? お城に帰ったら、志乃様が美味しいお餅を用意して待っていますわ」
レンが茶目っ気たっぷりに笑いかけてくる。
俺はふっと毒気を抜かれ、若君らしい微笑みを返した。
「そうだな。腹が減っては、次の『遊び』も思いつかん」
二人の影が、回る水車の飛沫に濡れながら、夕暮れの道を城へと向かっていった。




