第1話 三歳の再起動
熱に浮かされ、暗闇の底を漂っていた意識が、ふわりと浮上した。
重い瞼をこじ開けると、視界に入ってきたのは、現代のLED照明ではない。煤けた太い梁と、茅葺き屋根の裏側――そして、鼻をつく焚き火の煙の匂いだった。
(……ここは、どこだ?)
土木課のデスクで徹夜し、そのまま意識を失ったはずだ。
起き上がろうとしたが、体に力が入らない。それどころか、視界に入る自分の「手」が、驚くほど小さく、ふっくらとしていた。
「……朔? 朔、起きたの!? あなた、わかるの!?」
枕元から、震える女性の声がした。
振り向くと、着物を幾重にも重ね着た、美しいが酷くやつれた顔の女性が俺を覗き込んでいた。その瞳からは、ボロボロと涙がこぼれ落ちている。
「あ……あう……」
声が出ない。いや、出し方がわからない。
彼女は俺を抱きしめた。その温もりと、古い蔵のような、どこか懐かしい匂い。
「よかった……ああ、よかった。山の神様、ありがとうございます……」
彼女が俺の「母親」であることは、本能が理解した。
俺は彼女の腕の中で、混乱する頭を整理しようと必死に耳を澄ませた。
数日後。
ようやく身体が動くようになり、俺は縁側に座って、母・**志乃**の話を聞くことができた。
三歳児のふりをして「ここはどこ?」「お外はどうなってるの?」と、たどたどしく、だが執拗に。
「ここはね、**『那岐の国』の、『御剣城』**よ。あなたはここの大事な跡継ぎなの」
聞いたことがない国名だ。
必死に前世の記憶を辿るが、日本の歴史に「那岐の国」なんて地方勢力は存在しない。
「今は、**『永禄』**の数えも終わって……外では戦が続いているけれど、この山奥まではまだ届いていないわ。安心なさい」
永禄――。
その年号だけは聞き覚えがあった。俺の世界の戦国時代にもあった年号だ。
しかし、志乃が語る周囲の情勢は、俺の知る歴史とは決定的にズレていた。
「西には**『大蛇領』を治める蛇神の一族がいて、東には『鉄の民』**が住む険しい嶺があるわ。お父様は今、その境目の見回りに行っているのよ」
(……大蛇領? 鉄の民?)
信長も、秀吉も、家康もいない。
地名も勢力図も、俺の知る日本地図とは全く別物。
だが、窓の外に広がる景色は、紛れもなく「日本の戦国時代」そのものだった。
急峻な山々に囲まれた盆地。
細々と続く、ぬかるんだ獣道のような街道。
そして、眼下に広がる、荒れ果てた田んぼ。
(魔力なんてなさそうだ。ただ、技術が、あまりにも未開なだけだ)
志乃の話によれば、この「御剣領」は、長引く飢饉と、山の獣による被害で、存亡の機にあるという。
母の細い指、カサカサに荒れたその手を見て、俺の胸の奥がチクリと痛んだ。
「さく、おなかすいた?」
志乃が無理に笑って、差し出してきたのは、粥とも呼べないような、水っぽい稗のスープだった。
一口啜る。薄い塩味と、土の匂い。
(……不味い。いや、効率が悪すぎるんだ)
俺は三歳の小さな手で、椀を握りしめた。
歴史の知識は使えない。地名も知らない。
だが、元・土木課職員であり、農政にも携わった俺には、この土地の「設計ミス」がはっきりと見えていた。
あの山の斜面、あの川の曲がり方、あの土の色。
それらをどう作り替えれば、この母に、この領民に、まともな飯を食わせられるか。
「かかさま、お外……いきたい。お庭で、あそびたい」
「ええ、いいわよ。元気になったお祝いに、少しだけね」
志乃に手を引かれ、俺は初めて「自分の領地」へと一歩を踏み出した。
三歳の視点から見る世界は広大だが、俺の脳内には、すでに**「この地を再生するための収益構造」**の第一案が浮かび上がっていた。
「さあ、何をして遊ぶ? 朔」
「……つち、いじるの。おやま、つくるの」
俺は地面にしゃがみ込み、まだ柔らかい泥の中に、最初の「排水路」の線を引いた。
ここが、俺の、そしてこの名もなき戦国の、再起動の場所だ。




