新生活と孤独な夕食
佐藤晴斗は、東京の片隅にある小さなワンルームで一人、引っ越しの段ボールに囲まれながら、新生活の初夜を迎えていた。大学を卒業してからずっと実家暮らしだった彼にとって、初めての一人暮らしは胸の高鳴る冒険でもあり、不安でもあった。
「よし……まずはご飯だな……」
晴斗は、段ボールから引っ張り出した古い炊飯器と、百円ショップで買ったばかりの包丁を前に、意気込む。だが、料理初心者の彼にとって、これほどまでにハードルの高いミッションはなかった。
スーパーで買った米を研ぎ、水の量を計り、炊飯器のスイッチを押す。最初の一歩は簡単だと思った。しかし、炊飯器のタイマーが切れる頃、部屋中に異様な焦げ臭さが漂った。
「え……ちょ、まさか……!」
恐る恐る蓋を開けると、中には完全に焦げ固まったご飯があった。まるで黒い岩のようで、到底食べ物には見えない。
「うわ……人生初の自炊、これで終わりか……」
晴斗は落胆しながらも、まだ諦めきれず、電子レンジで冷凍食品のチキンライスを温める。しかし、包みを開けると、なぜか見た目が劇的にしょぼく、匂いも微妙に怪しい。
「……これが、現実か……」
結局、晴斗は小さなテーブルに向かい、一人で黒焦げご飯と微妙なチキンライスを前に、深いため息をついた。
その時、チャイムが鳴る。戸惑いながらも玄関を開けると、そこには笑顔の美咲が立っていた。
「兄ちゃん、引っ越し祝いってことで来たよ!」
彼女の手には大きな紙袋。中からは湯気が立つ手作り弁当と、家庭の香りが漂うおかずがぎっしり詰まっていた。
「え、なにこれ……?」
「ほら、兄ちゃん、一人で食べるご飯なんて寂しいでしょ? 私が作ってきたから、さあ、食べなさい」
晴斗は半信半疑で箸を手に取り、一口。すると、口いっぱいに広がる絶妙な味わい。甘さと塩気のバランス、素材の香り……これが本物のご飯なのかと、思わず目を見開いた。
「……う、うまい……!」
美咲はにっこり笑って言った。
「でしょ? 兄ちゃん、自分で作るよりまずは食べることから覚えないとね」
その夜、晴斗は思った。自分の料理の道は遠いけれど、家族や友人と一緒に食べることで、毎日の食事がこんなにも楽しいものになるのか、と。
テレビの音も、外の風の音も、段ボールの山も、全部が背景になり、ただ美味しいご飯を食べる時間がそこにあった。
「よし……明日からは、ちゃんと作れるようになるぞ……」
晴斗の決意は固まった。しかし、彼の挑戦はまだ始まったばかりであり、次々に巻き起こる小さな食の事件が、彼を待ち受けていることを、この時はまだ知らなかった。
部屋には、美咲の作った温かいご飯の香りだけが、優しく残った。




