プロローグ
「公爵セドリック・クレストリアは、伯爵令嬢リアーナ・グランディールとの婚約を、ここに正式に破棄する。」
静寂の広間に響いたその一文は、まるで冷たい刃のように、リアーナの胸を深く刺し貫いた。
目の前に立つセドリックは、完璧な立ち居振る舞いで告げた。
その表情には、かつて自分だけに見せていた柔らかな笑みも、優しさも、微塵もなかった。
「……理由は?」
唇をかすかに震わせながら、リアーナは問いかけた。
彼女の声は震えていたが、瞳には決して涙を浮かべていなかった。
伯爵家の令嬢として、最後の誇りを捨てるつもりはなかったからだ。
セドリックはほんのわずかに視線を落とすと、冷たく答えた。
「君に……相応しくない女性と密会していたという噂が、王都中に広がっている。婚約者として、これ以上関係を続けるわけにはいかない。」
「それは——誤解です!」
彼の隣に立つ侍従たちは微動だにしない。
まるで、これが全て“仕組まれていた”ことのように。
リアーナはその場に立ち尽くしたまま、唇を噛みしめた。
彼は、自分を庇わなかった。
否、庇えなかった。
「お引き取りを。……国外追放の命も、すでに国王から下っている。」
その瞬間、彼女の中で何かが音を立てて崩れ落ちた。
恋も、信頼も、未来も。
すべてが終わったと思った。
でも——
(……どうして、あなたは、私を見ないの?)
セドリックはその視線を、最後まで彼女と合わせようとはしなかった。
そして、リアーナが静かにドレスの裾を翻し、広間を後にしようとしたその瞬間。
背後で、誰にも聞こえないような声がした。
「……ごめん、リアーナ。」
それは、冷たい仮面の裏に隠された、たった一つの“本音”だった。