クリスタリゼーション
部屋に石があった。
それは角の鋭い賽子のようであり、つるりとし、黒漆で仕上げられたかのような照りがあった。
果たしていつからあったのだろう。
鮮やかな色合いをしたカーペットの上で日々積み重なる大学の授業のレジュメが織りなす地層の一番底に眠る。それは、いよいよ部屋の掘削工事をせねばならぬ、と思いつつも気が乗らずにいた住人が、寝転ぶための領土を増やさんと脚を伸ばした拍子に、「カツ」と足先に当たったのだった。
チクリと足に不快感を与えるそれに、重い身体をもたげて、指でつまみあげてみると、それは手の平に収まるぐらいに小さかった。しかし、その大きさに見合わず、まるで鉄のようにずっしりとした重さがあった。
再び重力に任せて背を地面に横たえ、天井の照明に透かすように石を眺めると、黒く透き通っていながら、絵の具では成しえない構造的な煌めきを持って輝いていた。光にかざしてゆっくりと揺れ動かしてみれば見る角度によって色を鮮やかに切り替えて、赤、紫、青、緑…。手元で願えば何色にも変わった。
かつていた彼女が残した海亀の形をしたかわいらしいスポンジが住む海辺に溜まった皿や、彼女がいた時にはまず見られることはなかったであろう床に描かれた丸められたティッシュの星座を忘れて、その面白さにしばし、しげしげ、しげしげと眺めていたが夕方になる街のチャイムの音で我に返り、棘のように角が鋭いそれを踏まぬように部屋の隅に押しやって夕食を取りに家から出て行った。
家から馴染みの中華料理屋に着くまでの間、何かを考えずにはいられない。自分の人生、これからの進路、自分の興味関心…あるいは、出て行った彼女について。同棲していた彼女が家を出て行ってから2週間、自堕落の限りを過ごしていた。春眠暁を覚えず、などと洒落ているどころの騒ぎではない。大体、もう初夏である。寝ているとするならばそれは自分か、冬眠をした切り目が覚めなかった熊ぐらいなものである。
彼女と口論をしたのは何が原因だったか。あれほど心を焼いたというのに不思議と、抜け落ちたかのように思い出すことが出来ない。ただ楽しかった出来事が波の反射のように輝く様を思い出せるぐらいである。
彼女はギターをつま弾くのが好きで、誕生日にギターをバイトで稼いだ金をつぎ込んで贈ったものだった。ただ、今では部屋の片隅には相棒を失って寂しそうにしている。
ひと月ぐらい経った頃だったろうか。いよいよ足の踏み場を失った床に痺れを切らして片づけをしていると、あの時見つけた石がまた大きくなっていた。いや、大きくなっていたというよりも成長しているようだった。ツンと刺々していた石はさらに突き刺さんばかりに、小さい立方体が途中から生えてくるようについており、どこか石というよりも結晶が成長しているかのようだった。
その不思議さに面白さを感じて、これは写真を撮らねばなるまいとスマートフォンを引っ張り出して何枚か撮ってアプリを確認すると、ギョッとした。過去に撮った写真の中に見知らぬ女の写真が何枚もあるのだ。この見ず知らずの女性は、写真としてあるのだからおそらく自分が撮ったのだろうが全く覚えがない。不安を感じて指を繰ってみると見知った色んな場所で撮ったものが次々と出てくる。女の顔はどこか楽しげだが、それがかえって気持ち悪い。あまりの気味の悪さにまるで自分の手元にあるものが別人のものであるかのような居心地の悪さを感じて、衝動的に写真を削除していくとスマホの記憶容量はずいぶんと軽くなったようだった。
この薄気味悪い体験を友達に話さねばなるまいと思わず電話で1時間も長々と話した後、ふと結晶に目をやると、どこかその結晶の形はまた変わっているようなそんな思いがした。
あれから1年が経った。その間も不可思議なことは起こり続け、ギタリストを志した覚えがないのに部屋にギターがあったり、母親がお袋便で送ったものに詰め込まれていたものだったか、記憶が定かではない海亀の形をしたスポンジがあったりしたが、卒論も無事出し終わり、内定も有難く頂戴し、いざ新社会人への道を着々と踏み出していた。ただ社会に羽ばたくのに向けて部屋の整理やら身支度を整えていると弱ったことがあった。
あの結晶である。結晶はいよいよ大きくなり、その大きさはボウリング玉ほどの大きさになり、その大きさもさることながら重量もズッシリとして、持ち上げて手を滑らせて床の上に落そうものなら、おそらくタダではすまないと感じさせる迫力があった。
したがって、今では部屋の片隅に置かれ、いよいよその大きな荷物は放置していた自分を恨み始めるほど扱いに困っていた。
これでは近々職場近くへと予定している引っ越しを行うことが難しい。
仕方がないので何か策はないかと考えたが何も思いつかないので、大学で不用品として売っ払うこととした。
就活が終わった後の暇に任せて、人通りの多い大学の広場でこっそり大学のサークルに打ち捨てられている台車を拝借して転がし、結晶を引き取るものがいないかと貰い手の募集をしてみることにした。しかし、タダだとやたら変なのも寄ってくるだろうと思い、申し訳程度に3千円の値をペタリと張り、待つこととした。
しばらくすると、遠目からちらちらと好奇心に駆られてこちらの様子を見ている人はいるが、数人の友達と話している合間の隙間だったり、次の授業へと向かう狭間だったりで足を止めて見る者はいない。
数時間が経ち、最初は期待していたまだ見ぬ来客の到来を待っていた心も浅はかだったかもしれないと後悔し始めた頃、ふと目の前を立ち止まる足音がした。顔をあげてみると、学内では珍しくスーツを着た女の人がいた。その顔は少し複雑そうな顔をしていた。彼女は一言、
「それを下さい」
と言った。
これ幸いと、彼女の気が変わらない内に丁寧に感謝の言葉を捲し立てて、5千円札をもらい「重いですよ」と一声かけて渡すと、彼女はどこか傷ついて潤んだ目をしてそれを受取った。お釣りを渡そうと顔を上げると彼女は足早に去ってゆこうとしていた。お釣りありますよと声をかけると、彼女は「いいんです、いいんです」と繰り返し断りを入れると、足早にどこか赤子を抱くかのように結晶を抱えて去っていった。
去ってゆく女性が小さくなっていく姿を、ぼんやりと眺めているとふと彼女がどこか誰かに似ていたような気がした。しかし、その思いは握りしめた5千円札の存在に気が付くと、今日は奮発していつもの中華料理屋で少し高い定食を頼もうと決めて、忘れた。
腹が満たされ家に帰ると、部屋にあった違和感は消えて、まるで最初から何もなかったかのように自然にぽっかりとした空間が広がっていた。ただいま。
記憶と心の在り方についての話でした。…たぶん
感想待ってます。