こんなはずではなかった!
※「春のチャレンジ2025・学校」参加作品です。異世界転生ラブコメディです。
高齢者の梅子が突然、異世界の悪役令嬢バーブラに転生する。
転生した異世界は梅子が好んで鑑賞していた「マリリンは聖女の微笑み」の人気アニメの住人世界だった。
悪役令嬢に転生した梅子の行動は──。
※ 4/30 一部加筆修正済
◇ ◇ ◇
ここはライトファンタジー王国の貴族学院。
生徒会室内。
「あははははっ──!」
何やらけたたましい男の笑い声が聞こえてくる。
「失敬、バーブラ、君がこんなに面白い娘だなんてねえ!」
「殿下、先ほどから貴方様は笑ってばかりですけど、私のどこがそんなに面白いのでしょう?」
「全てだよ。もう驚くほど全てだ、ゲホゲホ⋯⋯ああ失敬!」
レッドフォード王子は、笑い過ぎて咳き込んだのか、紅茶の入ったティーカップをゆっくりと飲み干した。
「殿下、お願いですから、どうか私の話を信じて下さいませ!」
バーブラの顔は必死の形相だった。
「私は悪役令嬢なのですわよ! だからどうしても殿下が私を嫌ってくれませんと、物語はスムーズに進みませんのですわよ!」
「クク……ほら面白い! 一体どこの令嬢が自ら私は悪役令嬢などというかい?──それにバーブラ、また言葉づかいがおかしいぞ!」
「はっ、いけない私ったら! 申し訳ありませんでございますわ!」
バーブラは慌てて椅子から跳び上がった。
そのまま恥ずかしげに俯いてしまう。
レッドフォード王子は、苦笑しながらバーブラを穴が空くほど観察する。
──ふ〜む、確かにアンリの言う通りだな。
バーブラは以前とはまるで違う、何でこんなに変わったのか?
あの女王のようにそびえ立つ、“氷の女”と言われた同一人物とはとても思えん。
レッドフォード王子は、突然のバーバラの変化に驚きを隠せなかった。
だが王子には、今のバーブラの方が好ましく思えた。
彼の眼差しはバーブラを優しげに見つめる。
これには少し訳があった──。
◇ ◇
王子の婚約者バーブラ・ストライド公爵令嬢は、先月自宅で転倒して頭打してしまう。
頭部のケガは大した事はなかったが一部、記憶を忘れてしまったのだ。
バーブラを診察した医師は“記憶喪失傷害”と診断した。
バーブラの兄アンリが言うには
『妹は過去の記憶は覚えているが、貴族の所作や言葉遣いをすっかり忘れてしまった』のだそうだ。
特にアンリが何より嘆いたのは、バーブラの“姿勢の悪さ”であった。
記憶喪失後のバーブラは、何故か背中を丸めて歩くのだ。
『バーブラ、そんな猿みたいな姿勢はよせ! もっと背筋をシャンと伸ばせ!』
兄のアンリが幾度となく注意しても、バーブラの姿勢は治らなかった。
バーブラはそのままの姿勢でヨタヨタと歩き出す。
それはまるで“腰の悪い老婆”が歩くようだと、アンリはレッドフォード王子に伝えたのだ。
──ふふ、腰の悪い老婆とはアンリの言葉は言い得て妙だな。
確かに言われてみればバーブラの後姿は、老婆と見間違ってもおかしくはない。
レッドフォード王子もバーブラの猫背を見て、アンリの嘆きに同調した。
だが王子はしゅんとしているバーブラを気遣う。
「バーブラ、元気をだせ。僕は言葉遣いなどプライベートでは気にしないよ。ただ君の最後の言葉にひっかかっている」
バーブラは顔をレッドフォード王子に向けた。
「物語がスムーズに進まないとは、一体どういう事かね?」
途端にバーブラの顔は急に晴れやかになった。
「はい殿下、何度も申し上げますが、この世界は現実ではなくて物語の中なんですわ!」
「は?」
またしても王子は爆笑したくなるのを必死にこらえた。
「クッ、君は何を言ってるんだ、白昼夢でも見たかい?」
「いいえ殿下! 白昼夢など見ておりませんわ。私の意識はハッキリとしておりますです!」
「クククッ、バーブラ、確かに君は頭を打ってから、人格が変わったね──その、アンリが云うには妹がとんでもない意味不明な願いをしたとか──」
「はて、とんでもない意味不明なお願いなど、私がしましたかしら?」
すっとぼけたバーブラの顔を尻目に、レッドフォード王子はバーブラ風にモノマネをして話した。
『──アンリお兄様、私は悪役令嬢として罪を犯してきました。ですので学園卒業後、直ちに修道院へ行かせてくださいませ。余生はそこで懺悔をしながら暮らしとうございます』って──いったそうじゃないか」
「ああ、その事でございますか⋯⋯」
「アンリはカンカンに怒っていたが本当なのか?」
「はい、仰る通りですわ殿下」
「修道院に行くと言った事もか?」
「はい、仰る通りですわ殿下」
レッドフォード王子は半眼になった。
「はあ? やはり君はおかしいな。そもそも父上のストライド公爵はその事をご存じなのか?」
「いえ、父にはまだ話してはおりません、ですが折をみて話すつもりですわ」
「ふうむ……」
バーブラの堅固な表情をみて、先ほど迄のバーブラをからかっていたレッドフォード王子の笑みが、ピタリと止まった。
「いいかね、バーブラ。そもそも僕たちの婚約は、子供の頃、親同士が決めたんだよ。勝手に婚約解消できないのは君も知ってるだろう?」
「はい殿下──もちろん重々承知しております。ですから殿下から国王様にマリリン嬢を見初めたので、私たちの婚約解消を進言してくださいませ!」
「はあ? バーブラ、君は正気か?」
「はい、正気ですわ──殿下」
「おいおい、冗談ではないぞ。第一マリリン嬢なんて僕は知らない。この学園にいるのかい?」
「はい、この春、高等部の新入生で入学したマリリン・モンモン嬢様ですわ」
「あ⋯⋯ああ、モンモンは聞いたことがある。新入生のモンモン男爵家の令嬢か⋯⋯」
レッドフォード王子は思い当たる節があるのか。
「そういえば──僕の護衛騎士たちがダジャレで話してたな。
『あの娘さあ、見るからにモンモン体型がいいよねぇ!ちょっと唆るよなあ!』と噂してたグラマーな令嬢がいたな」
レッドフォード王子は、柄にもなく騎士の真似をしてくだけて言った。
──不味い、今日の僕はおかしいぞ。
どうも最近バーブラといると、こんなジョークやバカっぽい会話が、自分の口から自然に出てきてしまう。
「そうですわ殿下! そのグラマーなモンモン令嬢様ですわ。マリリン・モンモン──。彼女こそ貴方様の運命の女神なのですわ。この国を救う救世主の御方なのです!」
「は、モンモンは救世主だと──?」
思わずレッドフォード王子は、頬杖をしていた手から頭がずりっと落ちた。
「バーブラ、戯言はよせよ。これでも僕はこの国の王位継承一位だ。一介の男爵令嬢と結婚なんて無理に決まっているだろう!」
「まぁ、そうですが⋯⋯」
レッドフォード王子が婚約解消をすぐさま否定したので、バーブラの瞳は陰ってしまう。
暫し二人の間に重たい空気が流れた。
王子はしげしげと、バーブラのスレンダーな肢体を凝視した。
金褐色の美しい豊かな髪。エメラルド色の瞳。
肌は真っ白だ。
恐ろしいほど、顔立ちが整った美人である。
以前のバーブラと何ら変わらない。
そう、酷い猫背以外は──。
──やはりおかしい。バーブラはどうしたのだ?
怪我する前のバーブラは、影で氷の公女と揶揄されるくらい常に表情が冷ややかだった。
そして、スッと天井から糸で吊ったような姿勢の良さ。
まるで雪の女王のように威風堂々としていた。
それに何より今までのバーブラなら、王子の目の前で真っ赤な顔をして『殿下、お願いです!』なんてしなかったぞ。
それにグラマーなんて市井の下品な言葉など、バーブラはその意味すら知らないはずだ。
◇ ◇
レッドフォード王子はバーブラとの、過去の歳月を思い出していた。
──そもそもバーブラと、こんな楽しい会話など一度もなかったはずだ。
彼女は常に冷静沈着で物静か──。
たまに笑う時も微笑だけ。
それでいて周りの人間がゾッとする、残酷な仕打ちを平気でする女だった。
それも己の手を使わず取巻令嬢に指示する。
そんな黒い噂は、王子の耳にも少なからず入ってきていた。
正直、親同士が決めた政略結婚でなければ、バーブラを妃にしたいとは、これっぽっちも思わなかった。
──それでも初めてあった時は、子供心に彼女の美しさに僕は惹かれたのだが。
王子は幼少期を思い出して苦笑いをした。
だが初恋は瞬く間に終わった──。
バーブラはただ美しいだけの氷の人形だったから。
それも酷くプライドが高く高慢だった。
彼女は王妃の地位にしか興味がない女だった。
二人の会話はいつも儀礼的なもので、王子はバーブラといると窮屈で退屈で仕方がなかった。
それでも僕はバーブラとの婚約を了承した。
筆頭公爵家との縁を繋いでいくのは王族の、強いては王国の安泰のためだと、幼き頃より教育されてきたからだ。
たとえ愛情を持てない氷の女でも、王妃の役目を果たしてくれればそれでいい──と王子はいつも心に言い聞かせていた。
ロマンチックな愛のある結婚や、温かな夫婦の睦まじさなど、未来の王たる者には必要なき事。
世迷言など以ての外と、己を戒めていた。
いつしかレッドフォード王子は、能面女のバーブラと接していても、なんの感情も抱かなくなっていく。
──だが、それなのに、今のバーブラはどうした!
頭部の怪我が回復して、学園に戻ってからの彼女はまるっきり別人だ。
バーブラの行動は常軌を逸していた。
学園内に至る所で神出鬼没に僕の前に現れる。
それもほぼ毎日だ──。
中庭を散歩してる時も鉢合わせするし、昼食で食堂に出向けば、バーブラが僕の席をわざわざとって待っていた。
あろうことか、僕の教室まで来て、彼女は屈託ない笑顔で話しかける。
『おい、見ろよ。バーブラ様がにこやかに、殿下に話しかけてるぞ⋯⋯』
クラスメートも僕とバーブラの、珍しい光景に呆気に取られてたよな。
今日だって生徒会の資料整理を部室に、わざわざ残って手伝ってくれている。
──あきらかに彼女は変わった。
王子は首を傾げた。
◇ ◇
生徒会室の窓から美しい夕日が差し込んでいる。
ようやく資料整理が済んで、二人はお茶を飲んでいた。
バーブラはレッドフォード王子の真向かいに座っていた。
時折、じっと王子を見つめる。
王子はバーブラの目線に気がついた。
「何だい?」
「あ、いえ⋯⋯何でもないですわ」
バーブラは慌ててお茶をクビっと飲む。
──はあ、さっきからこの会話、何度目だ?
面白いことにバーブラは王子と目が合うと、慌ててササッと目を逸らすのだ。
この挙動不審は経験済みだ。
──そう、これではまるで他の令嬢たちと同じバーブラは『乙女』ではないか!
王子が『乙女』と称したのは、自分を憧れの対象の眼で見つめる学園の令嬢たちを意味した。
あきらかに僕を意識している、バーブラがそこにはいた。
おいおい、常に冷酷無情の『氷の女』は何処へ消えたんだい?
この数日間、彼女の突然の変化にレッドフォード王子は、何やら心臓がドキンドキンと高鳴るのを、むず痒くて堪らなかった。
同時に彼女の不可解な行動と会話はとても楽しいと王子は素直に感じもした。
──頭打してからというもの、バーブラはユニークすぎる。
突然『我は悪役令嬢ぞ!』と自ら揶揄したり、意味不明な空想話はするわ、公女らしくない敬語を連発したり、果ては挙動不審でオタつく。
王子はバーブラの全リアクションがおかしくて、毎回笑いをこらえるのに必死だった。
しかし、滑られていかん、いかん──!
王子として厳然たる尊厳を失くしてはならない。
王子は「コホン」と咳きばらいした。
「バーブラ、さっきの話だが、何故マリリン嬢を僕の妃にしなければならないんだい?」
「え? 話しても良いのでしょうか?」
「うん、君がそこまでマリリン嬢に、こだわるのがどうも気になってね」
「はい、ありがとうございます、殿下!」
バーブラはマリリンの事を聞かれて、明るい表情になった。
「殿下、マリリン様はこの王国のヒロインともいえる令嬢なのですわ。彼女は生まれながら聖女のパワーを秘めているのです」
「聖女のパワー?」
「そうですわ」
バーブラはスッと席を立った。
珍しくバーブラの顔立ちが、以前の氷の女になった。
一瞬ゾッとするレッドフォード王子。
「殿下、驚かないで聞いてくださいまし。近い将来、王都は大天災に見舞われますわ」
「!──何だと?」
「殿下、話を最後まで聞いてください!」
バーブラは緑の瞳で王子をきつく睨んだ。
「あ⋯⋯すまん」
バーブラは王子を窘めた後、静かに目を瞑った。
「それは千年に一度という、滅多にない大災害なのでございます。多くの市井の者たちが川の氾濫で水害に遭ってしまいます」
バーブラはソネットを詠むように、抑揚をつけて語リ始める。
「──その時、突如、女神の如くマリリン嬢が白い衣装を纏って現れます。彼女が不思議な呪文を唱えると、みるみる内に王都の水が河に戻っていくのです。──そして民たちは大歓喜して、『王国の大聖女様!』と口々に崇めたてまつるのですわ!」
王子は口をポカーンと開けて呆けた。
お構い無しにバーブラの口上は続く。
「──ああ、市井の女神となったマリリン嬢と貴方様は、運命の如く惹かれ合うのです。──そしてめでたくご結婚されます。殿下は王妃となったマリリン妃の介助でより一層、王国中から“偉大なる堅王”として未来永劫、讃えられるのですわ!」
バーブラは細い手を高々と振りかざして、何故か体を回転する。
そのまま王子が見たことのない踊りをした。
まるで舞台照明を浴びた女優さながら、彼女は舞いを披露する。
しかし──その姿は余りにも滑稽だった。
何よりもバーブラは猫背すぎた。
それもヨタヨタとバランスを崩し、時にはふらついて踊っていた。
「ぶっ、ぶぶ──!」
王子はたまらずに吹きだした!
「ぶっ?」
悦に浸っていたバーブラも、王子の苦笑で我に返った。
「ぶっははははは!──あはははは──!」
王子はもう無理だと言わんばかりに大爆笑した。
バーブラはあっけにとられた。
──嫌だ、王子さん、日頃の金髪碧眼、端正なお顔はどこへいったんや? ホンマによう笑うお御人や。笑い上戸なんやねえ。
何故かバーブラの体内から、しわがれ声が聞こえてくる。
バーブラは笑い転げる王子を見てゲンナリした。
レッドフォード王子の爆笑は中々収まらない。
「ぶっははは!──あははは──!」
「あの〜殿下。楽しそうな時に、申し訳ありませんが⋯⋯そのご様子ですと私の話を信じてませんわね?」
バーブラは少々、不貞腐れて言った。
「クククッ……悪い、すまん」
レッドフォード王子は涙を流して返答した。
「──だがバーブラ、君は何だね、預言者か? 本当は君こそ聖女なんじゃないのか、ひひひっ! 駄目だ、おかしくてたまらん!」
王子は腹を抱えて笑い転げる。
「いいえ、いいえ殿下、これは笑いごとではございませんのよ! 私は大真面目にマリリン嬢の話をしたのです」
「わかった、わかったすまん。君が余りにも悦に浸ってる姿がおかしくて、それにとても可愛くてな!」
「は、可愛い──私が?」
バーブラの頬が少しだけピンク色に染まった。
「あ、いやその⋯⋯大笑いしてすまなかった」
王子ははっとして我に返った。
「──そうだな、実際、王都の河川側は街沿いになっている。大嵐がくれば水害のリスクは高い。──マリリン嬢が聖女としての力が本物ならば、役に立つだろう。だがどうして、僕が彼女と結婚しなくてはならない? その根拠を教えてくれないか?」
レッドフォード王子は真面目な顔に戻って、バーブラの話を真摯に聞こうという態度になった。
「ならばよござんす、殿下には私も降参致しました。こうなったらすべて、私の不思議な秘密をお話しましょう!」
「え? ならばよござんすって……何だよそれ──」
王子はバーブラが、次から次へとポンポン飛び出すおかしな言葉に面くらう。
いつしか、この先バーブラからどんな話が飛び出すのか、王子は楽しくて仕方がなかった。
そんな王子の気持ちにバーブラはとんとお構いなしに、自分の正体を淡々と話していく。
◇ ◇
バーブラ・ストライド公爵令嬢。御年16才になる。
彼女も貴族中等学園の3年生で、3学年上にはレッドフォード王子と兄のアンリが在籍している。
学術も社交ダンスも優れており、生徒会の役員でもある。バーブラは他の学年の令嬢からも一目おかれていた。
元々彼女は感情が乏しい──。
王子との中はあくまでも形式だけの関係だった。
生まれた時から、バーブラは王妃になるのは当たり前と認識していた。
同年代の令嬢たちがいくら王子を崇拝しても、バーブラは無関心だった。
氷の女王のハートは、王子自身に対して愛情も執着もなかった。
だが今の状況はどうだ!
数日前から王子が接したバーブラは別人としか言いようがない。
そう、バーブラはバーブラではなかった!
転倒した時、別の女がバーブラに憑依したのだ。
女の正体は蔦屋 梅子
異世界からきた人間。
国籍:日本 70歳 繰り下げ年金生活者1年目。
20代で結婚、一男一女をもうける。専業主婦をしていたが、40代で夫が病死。
その後シングルマザーとして、69歳まで地元のデパート地下街で販売を続けて子供たちを育てた。
現在、子供らもそれぞれ所帯を持ち独立した。
梅子はマンションを借りて一人暮らしを始めた。
時々、上の子供の孫が梅子に良くなつき、息子夫妻が多忙の時は、面倒を見ていた。
梅子は最近、骨粗鬆症で背骨が曲がってしまう。
ある日、杖をつきながら街を歩いていたが、転倒して頭を強打した。
意識不明になり直ぐに救急車で運ばれた。
梅子が目覚めたら、そこは日本の病院ではなく絢爛豪華な部屋にいた。
恐る恐る部屋の中を歩く梅子──。
銀の鏡台に映る姿を見た梅子は、自分がバーブラに転生したのだと悟った。
──ああ、ここは私の良く知っている世界なんだと、直ぐにわかった。
なぜ梅子が異世界と分かったのか?
バーブラはアニメの「マリリンは聖女の微笑み」の悪役令嬢のキャラクターだったからだ。
このアニメの漫画は若い女性を中心にヒットして、見事にアニメ化された作品だった。
愛読者の間では「マリ笑み」の愛称で親しまれており、年配の梅子も孫娘とアニメを見ている内にドハマリしてしまう。
梅子は原作本やグッズまで購入して主要キャラクターも殆ど覚えた。
あらすじはこうだ。
『聖女の魔力を持つヒロインの男爵家の娘マリリンが、貴族学園に入学してレッドフォード王子に見初められる。
それ以降、執拗に婚約者のバーブラ令嬢から苛めにあいながらも、自らの魔力で危機を脱しバーブラを失墜させる。
最後はレッドフォード王子とマリリンが、めでたく挙式となるお話だ。
初め梅子は異世界転生した時、悪役令嬢のバーブラが元々好きだったので、何とか彼女の未来を変えようと努力した。
だが転生したとはいえ梅子の脳は70代の高齢者である。
デパ地下で69歳まで働いていた梅子なのだ。
貴族ではなく使用人の立ち位置で数十年生きてきた。
確かに長年働いた職業柄、敬語はできるが、公爵令嬢の所作やダンスはとても無理だった。
寄る年波には勝てないとはよくいったもの。
梅子にとって異世界を体験して分かったのは、アニメで見ていた異世界と、現実に生きてる異世界では勝手が違ったのだ。
──とてもではないが私はバーブラ公爵令嬢にはなれない。
記憶喪失症とみなされていても、このままだと老婆の梅子の本体が如実に出て、薄気味悪がられるだろう。
ならば最初から観念して修道院に逃げ込めば、マリリン嬢や殿下も命だけは取られないかもしれない。
追放されれば、過去のバーブラを知る者は誰もいない。
それに長年庶民で生きてきた梅子には、豪奢な王族生活は性にあわなかった。
更に梅子は考えた──。
それならば一層の事、二人のキューピッドになればいいのではないか?
──マリリンと王子の仲を取り持てば、彼らから同情されて、バーブラの悲惨な最期は免れるのではないか?
こうして、バーブラ(梅子)は正直に王子にこれまでの説明を終えた。
◇ ◇
「以上が、私の話は終わりでございます。殿下、信じていただけましたでしょうか?」
「⋯⋯⋯⋯」
レッドフォード王子はデッキチェアに腰かけて、バーブラ(梅子)の話を無言で聴いていた。
その表情は先ほどの、茶化されていた時とは違って、口をへの字に曲げて怒っているように見えた。
王子から返事がないので、バーブラは不安になったが再び頼みこんだ。
「殿下、お分かりになりましたでしょう? 中身が70歳の老婆では、殿下との結婚は無理でございます、たとえ外見は若く見えても精神が追いつきませんですわ!」
最初、王子は70歳という言葉に体がピクっと反応したが、突然立ち上がるといつもの爆笑をした。
「あはははは──バーブラ長々と摩訶不思議な話、面白かったぞ! 実に愉快だった……」
そういって再び笑い出すレッドフォード王子。
──ああ、殿下は笑い出すと止まらない。
顔が崩れるくらい腹を抱えて笑うのだ。
バーブラ(梅子)は王子の反応に正直がっかりした。
──そうさな、殿下はこんなに笑い上戸で大丈夫なんかね。将来国王として政務を果たせるのじゃろか?と。
余計な心配までするバーブラ(梅子)。
ようやく笑い終えた王子は言った。
「バーブラ、正直にいうが、君の話を直ぐに信じろといっても無理だ、荒唐無稽すぎる。無理すぎる。君が別の世界からきた老婆だなんて⋯⋯それはその外見からは⋯⋯やはり信じられんな……無理だよ」
──あらら、三度も無理と言ったわね。
まあ無理もない。
信じろというのが土台無理な話なのだ。
「ええ、信じてくれるとは半分も思ってませんでした。ですが、貴方様が信じようが信じまいが、私が話した内容は真実でございます──私は物語の筋書きのように殿下から婚約破棄されて、プライドをズタズタにされたバーブラ嬢の最期。彼女が選んだ自害だけは避けたいのです。せめて修道院だけは行かせてくださいませ⋯⋯」
そういって深々とお辞儀をした後、バーブラは生徒会室を出ようとした。
その時、王子はバーブラの手首を掴んだ。
「殿下!」
「だめだ、バーブラ、君はもう僕から逃れられないよ!」
手を掴まれたバーブラは一瞬驚いたが、危険を察知したのが、燃えるような氷の冷たい眼でレッドフォード王子の顔を睨みつけた。
だが──爛々と輝くバーブラの瞳を、とても愛おしいそうに見つめる王子。
彼の碧い瞳が初めて男らしく妖しげに煌めいた。
◇ ◇
「君が率直に話したから僕も率直に言おう。僕は昔からバーブラには、ほとんど関心はなかったんだ」
「はぁ……でしたら話は早いですわ。私との婚約は解消するのは願ったり叶ったりなのでは?」
バーブラは王子の手を振り払って、逃れるようにドアへと歩きだした。
梅子は『バーブラに関心がない』と殿下の答えを聞いて、なぜか『自分に関心がない』と言われたようで切なくて涙が溢れそうになった。
すかさずレッドフォード王子は「待てよ!話はまだ終わってない」
と言って、バーブラの肩を強く掴み、そのまま無理やりドン!と彼女を部屋の壁に押し付けた。
「きゃっ!」
バーブラ(梅子)は突然王子の荒っぽい行動に悲鳴を上げる。
「どうか僕の話を聞いてくれ!」
「………壁ドン!?」
「壁ドン? 何だそれは──?」
「あ、いえ……どうか離してください!」
「駄目だ、もう逃がさないといっただろう?」
「ひ、殿下……」
「いいから最後まで僕の話を聞いてくれ、どうか頼むよ⋯⋯」
殿下がバーブラ(梅子)の耳元に囁く。
「は、はい……」
バーブラ(梅子)は耳たぶに、王子の熱い吐息を感じて心臓がドキドキした。
「確かにバーブラは昔からとても美しかったよ。だが“氷の女”の表情は冷たすぎて、僕は彼女と接するといつも心が凍りついた」
王子は苦しそうに顔を歪めた。
「──僕と会話しても、バーブラは『左様ですか』『殿下のご自由に』『私はかまいません』とおざなり程度の返事ばかりだ。あの女は何ひとつ僕自身に関心をしめさなかった。正直僕はそんなバーブラが大嫌いだった!」
バーブラ(梅子)は『バーブラが大嫌い』と言われてまた心がチクチク痛んだ。
「だが──君は違う。君は、真っ赤になったり、青褪めたり表情をくるくる変えるのには驚いたよ。まさか、氷のようなバーブラが僕の言葉ひとつで赤や青く変化する──。君は意外かも知れんが、僕が笑い上戸なんて、バーブラはまったく知らなかったんだ!」
「⋯⋯殿下」
「分かるかい?──君の前だから僕は思い切り大笑いできるんだ! 君の表情は目まぐるしいほど生き生きとして可愛いんだよ!──僕は君といると凄く楽しいから笑っているんだ! バーブラ、いや梅子──僕は君を愛してしまったらしい!」
「⋯⋯⋯⋯⋯」
バーブラ(梅子)は胸が詰まって、何も言えなかった。
「だから君との婚約は絶対に解消しない! ずっとこれから先も君は僕のものだ!」
「で、でも殿下……それではこの王国は滅びて……」
「迷信だ、戯言だ。僕は信じない──」
「けれど……マリリン嬢は聖女様です」
「そんなの、別に結婚しなくたっていいじゃないか──聖女なら王都の聖教会で大いに務めてもらえばいい。本物ならば、見返りなく民の奉仕に役立ってくれるだろう」
「それは……そうですけど……」
バーブラ(梅子)は王子が自分の耳元で、甘く囁くので顔が茹蛸みたいに真っ赤になっていく。
「それに……君の話が真実ならば、もう運命は変わっただろう?」
「え?」
「考えても見ろ、信じられんが君の心は、“老女の梅子”から今は“バーブラ”に転生したんだろう!」
「あ、そう言われると、そうですね……」
「ならば、バーブラは既に悪役令嬢ではない。優しい思いやり溢れる公爵令嬢に変化したではないか!」
「あ……あの殿下……」
「ああ、もうお互い黙ろう。少し喋りすぎた!」
王子は壁ドンから、バーブラ(梅子)の体ををぐっと引き寄せて抱きしめた。
有無をいわさずに、王子の唇がバーブラ(梅子)の唇に蓋をした。
バーブラ(梅子)は思わず息が止まった。
そのままバーブラ(梅子)は抵抗もせず、レッドフォード王子にされるがままに瞼を閉じた。
バーブラ(梅子)はドキドキと胸の鼓動を感じながら思った。
──ああ、こんなはずではなかった。
なんでこんな事になってしまったのか?
多分、もうバーブラ(梅子)は殿下からは逃れることはできないだろうと確信した。
体の中から梅子のしわがれ声が聴こえてくる。
──なんとまあ、この異世界という場所は“甘美な世界”じゃねえかい。
梅子の異世界物語はここからがスタートだった。
──完──
※ 最後までお読みくださりありがとうございました。