第55話 弁論
「だ、団長! これはどういうことですか!」
首根っこを掴まれ、地面に押し倒されたジョナス。歯を食いしばりながら抵抗する素振りを見せるが、身動きが取れずにいた。
その状態でも何とか顔を上げ、前方に佇むアウグストへ抗議する。
アウグストは静かに彼の元へ歩み寄ると、すらりと腰に佩いた剣を抜き放った。
「どういうことだ、だと? 本当に心当たりがないとでも言うのか、ジョナス」
「……ッ」
アウグストの静かな問いと陽光を弾く剣身に、ジョナスが息を呑む。
一連の緊迫したやり取りを眺めていたハイドのすぐ傍から、どこか愉快そうな声が聞こえてきた。
「ざまあないわね」
「ヴィオラ……さん」
ジョナスを見下ろしていた赤い瞳が不意にこちらを向く。
「ヴィオラでいいわ。あたしたち、ここじゃ立場も何もないただの見習い騎士でしょ? あたしもあんたのこと、ハイドって呼ぶから」
「わかりました」
頷き返すと、ヴィオラは薄く笑みを零し、ジョナスたちへ視線を戻す。
そうして呆れまじりに呟いた。
「大方、家では自分勝手が許されていたんでしょうけど、お生憎様。モニカ皇女殿下のお膝元で見逃されるわけがないのに」
ふんっと鼻を鳴らす。
さらりと垂れた赤髪の合間から、侮蔑するようなヴィオラの横顔が見えた。
その横顔をチラリと眺めつつ、ハイドは訊ねる。
「それって彼が決闘中に使用したスキルのこと?」
「なんだ、気付いてたの」
「そりゃあね。ただの身体能力では説明できない動きだったし」
「その動きに難なく対処したあんたが言うと、皮肉に聞こえるわね」
歯噛みするような、あるいは値踏みするようなヴィオラの声に思わず身を固くする。
「……もしかして、俺もスキルを使ったんじゃないかって疑ってる?」
ハイドの問いに、ヴィオラは「まさか」と肩を竦める。
「もしそうだったら、今頃あんたもあいつみたいになってたわよ」
くいと顎で示された先をハイドも視線で追う。
取り押さえられていたジョナスはいつの間にか手首に縄を巻かれ、拘束されていた。
そのまま膝立ちにさせられた彼へ、アウグストが冷ややかに問う。
「ジョナス。私は今回の決闘において、スキルの使用を禁止したはずだ。にもかかわらずお前はそのルールを破った。これについて弁論はあるか」
「俺……いえ、私はスキルなどッ」
「下手な嘘は吐かぬことだ。騎士団にはスキル行使を感知できる者もいる」
団長であるアウグストの言葉に呼応するように、隊列の中から一人、一歩前へ歩み出した。
(スキル行使を感知できる……殿下の【鑑定】のスキルと似たものなんだろうか)
ジョナスの動きに違和感を覚えながらもルール違反を訴えなかったのは、同室であるジョナスとこれ以上ことを荒げたくなかったという気持ちもあったが、何よりもスキルの使用を立証できないという問題があった。
ジョナスもそう踏んでスキル使用に踏み切ったのかもしれないが、その辺りの対策があるからこそのルール設定だったのだろう。
(そのことを事前に伝えなかったのは、不正を行う者を炙り出すため……っていうのは、考えすぎかな)
そう考えてしまうほどに、アウグストは整然とジョナスを追い詰める。
「騎士団において最も重要なことは規律だ。規律のない集団など、暴徒と変わらん。規則を破る者に我らが騎士団員たる資格はない」
「ご、誤解です! あれは反射的にッ、そう、反射的に使ってしまっただけで!」
焦りと共に捲し立てるジョナスを、しかし冷ややかに見下ろしながら嘆息する。
「ならば、なぜ決闘を終えた直後にそう申し出んのだ。|スキルを使って負けた上でも、その手続きを行わなかったお前に弁論の余地はない」
「……っ、くっ、…………ッ」
何かを言い返そうとしたジョナスだったが、最早何の言葉も意味をなさないことを察したか、歯を食いしばりながら力無く項垂れた。
アウグストは静かに騎士剣を納める。
「沙汰は追って伝える。それまでお前はモニカ殿下の騎士として振る舞うことは許さん。連れて行け」
二人の騎士に両脇を抱えられながら、引きずられるようにして広場から連れ出されていく。
すれ違いざま、ジョナスの憎悪を帯びた眼差しが向けられた。
◆ ◆ ◆
一悶着、と評するには大きな騒動があったものの、入団式が終わってからは騎士見習いとしての一日が始まった。
午前中は剣術や体術といった、戦闘技術の訓練。
午後は礼儀作法や尊き方に対する立ち居振る舞いの指導、算術や歴史などの勉学の時間に当てられる。
日によっては馬術の訓練も行うとのことだった。
騎士として日々の訓練や業務をこなしている間も、騎士団のうちの数名は護衛としてモニカに帯同している。
その仕事は持ち回りであり、騎士見習いであるハイドたちにもその機会は回ってくるとのことだった。
説明を受けたヴィオラなどはやる気に満ちた表情を浮かべ、対するビリーは恐縮しきっていた。
長い一日を終え、宿舎の部屋へと戻ったハイドは、ふと思い出す。
「そっか、ジョナスは懲罰房に入れられているんだっけ」
しばらく続くと思われていた相部屋生活が、まさか初日にして終わるとは思っていなかった。
これが一時的なものなのか、永続的なものなのかはアウグストが口にしていた 沙汰次第ではあるだろうが。
息を吐き出しながらベッドに腰を下ろしてそのまま後ろへ倒れ込む。
そうして頭だけを持ち上げて、空いたもう一方のベッドを見つめた。
「……これって、チャンスじゃないか?」
冒険者ショウとして帝都で活動するためにもリューゲン邸にいた時と同じように宿舎を抜け出したかったハイドにとって、同室のジョナスの存在は大きな壁となっていた。
しかし今、その問題は一時的にだが解消されていた。
ハイドはすぐさま起き上がると、身支度を始めるのだった。
◆ ◆ ◆
一方その頃、騎士団長であるアウグストは今日の報告のためにモニカの私室に参じていた。
「失礼いたします」
部屋へ足を踏み入れると、部屋の主人は窓辺から外を眺めていた。
華奢なその背中が僅かに揺れ、ゆっくりとこちらを振り向く。
万人を惹きつける濃紺の瞳が嫋やかに微笑んだ。
「お疲れさま。今日は色々と面倒をかけたわね」
「そう思われるのでしたら、もう少しご自重なさってください。殿下のお立場で貴族と無用な軋轢はお避けになられるべきです」
「ふふっ、心に留めておくわ。だけど、わたくしがいた方があなたも都合が良かったでしょ?」
「…………お戯れを」
返事に窮するアウグストを横目に、モニカはウェーブがかった空色の髪を細い指でくるくると弄びながら執務机の席に着く。
「それじゃあ、報告を聞かせてもらいましょうか」
「……はっ」
じぃっとモニカに見つめられる中、アウグストはいつものように報告を行なった。
一通りの報告を終えて閉口したアウグストへ、モニカは愉快そうに訊ねる。
「それで? 今年の騎士見習いたちへのあなたの所感はどうかしら?」
その声音が楽しげに弾んでいることに内心でため息を零しながら、アウグストは主への問いに答えるのだった。




