第4話 転生④
「ごめんなさいね、ハイド。お父様は今日もお仕事で遅くなるそうよ」
食堂に顔を出すと、先に席に座っていた女性――ハイドの母親が心底申し訳なさそうに謝ってきた。
自分の席へ向かいながら、ハイドはにこやかに微笑む。
「いえ、母様。父様が大事なお仕事をなさっていることはわかっています」
「まあ、ハイド! なんて良い子なんでしょう! ね、貴方もそう思うでしょ?」
「はい奥様、ハイド坊ちゃまは大変聡明であられます」
「ふふふ、当然よ。私とあの人の子どもなんだから」
感極まった様子でメイドと語らう母親を眺めつつ、ハイドは内心でため息を零す。
(やっぱり二歳にしては賢すぎる、というか弁が立ちすぎるよな……)
平穏な人生のために平凡な子どもを演じたくても、やはり前世があると難しい。
ハイドは自分の席に向かいつつ、スキルを使って母親を見つめた。
鑑定情報
名前:コーデリア・リューゲン
所持スキル:【治癒結界】
現れた鑑定情報のスキル名をさらに注視すると、新たに文字が浮かび上がってくる。
【治癒結界】……範囲内に留まることで治癒力が増幅する結界を展開できる。
(やっぱりどう考えてもぶっ壊れてる。【全知神の目】は)
鑑定能力は【全知神の目】の能力のほんの一端だ。
だがその一端でさえ、強大な力を有している。
こうして他者のスキルを詳らかにしてしまうのだから。
前世でいうところの『いただきます』にあたる神への感謝の言葉を口にしてから、コーデリアとの昼食が始まる。
つい半年前まではメイドに食べさせてもらっていたハイドだが、ここ最近は一人で食べられるようになっていた。
「ハイド、今日は部屋で何をしてたの?」
「絵を描いていました」
「そう、絵を。ハイドは絵を描くのが好きね。そういうスキルを持っているのかしら」
コーデリアは穏やかに微笑む。
まだ二年しか経っていないが、ハイドは新しい母親のことが大好きだった。
彼女の優しい笑顔を見ていると、前世のトラウマが洗い流されるような気分になる。
不意にコーデリアの表情が曇った。
「と言っても、あなたはきっとあの人と同じ【剣術】のスキルなのでしょうね」
ぼそりと独り言のように呟かれたその言葉は、しかしハイドの耳にしっかりと届いた。
あの人、というのは他でもないハイドの父親、ドルフ・リューゲンのことだ。
貴族然としていて、真面目で実直な男だ。
そもそもこのリューゲン家は元々が騎士の出だ。それが数代にわたっての功績を認められ、現在では伯爵位にまで上りつめている。
リューゲン家の躍進を支えてきたのは、代々遺伝によって受け継がれてきた【剣術】のスキルによるものだ。
(そりゃあ貴族制が敷かれているわけだ)
地球ではただ権力という曖昧なもので貴族階級は形成され、時代が経るにつれて淘汰されていった。
だがこの世界では、スキルという明確な力が存在している。
強力なスキルを有する一族が貴族として大衆の上に立つのは至極当然の流れだった。
(まあ、俺には【剣術】のスキルはないんだけど)
そのことを知ったら母様は悲しむだろうかと不安に思っていたハイドだったが、今のコーデリアの反応からするにそうではなさそうだ。
「母様は俺が【剣術】のスキルを持っていると嫌なのですか?」
率直に訊ねると、コーデリアは気まずそうにした。
「いいえ、そんなことはないのよ。……けれど、家で待つ身としては、無事を祈る相手は一人で十分なのよ」
その言葉は二歳の子どもに聞かせるというよりは、自分自身に向けた弱音のような言い方だった。
(そうか。父様が貴族の責務として領地のモンスターと戦っている間、母様は一人だもんな)
モンスターと呼ばれる怪物から領民を守るのが貴族の仕事の一つ。
【剣術】のスキルを有する優秀な剣士であるドルフは、度々領内のモンスター討伐に出向いていた。
(やっぱり、力なんてろくなものじゃないな)
【剣術】のスキルがあるから、モンスターと戦わなければならない。
分不相応な力は身を滅ぼしかねない、その典型的な例だ。
(よし、決めたぞ)
ハイドはスプーンを持つ手に力を籠めながらコーデリアに笑いかける。
「安心してください、母様。俺は母様と一緒に父様を待ちますっ」
「……ハイド」
瞳を潤ませるコーデリアは、遂には顔を背けてしまった。
気を利かせたメイドが差し出したハンカチで目元を拭っている。
そんな彼女の姿を見守りつつ、ハイドは誓う。
(俺は、神様から授かったスキルを隠して、平凡な人間として生きていく!)
すべては、前世では叶わなかった平凡な幸福のために。
ハイド・リューゲンは二歳にして今世での指針を定めたのだった。