第35話 約束
「……やっぱり見間違いでもなんでもなかったか」
掛け布団をそっと戻してから、再びちらりとめくる。
心地よさそうにすぅすぅと眠るエンジュの姿は健在だった。
あまりにも堂々と眠っているものだから、入る部屋を間違えたかと不安になる。
しかし何度部屋を見回しても、ここはハイドの自室だった。
(どうしてエンジュが俺の部屋で寝てるんだ)
ベッドの脇でエンジュの寝顔を眺めながら、起こすかどうか悩んでいると、唐突に彼女が身を捩った。
「んぅ……」
そのままゆっくりと目蓋が開き、父親譲りの赤い瞳がハイドを捉える。
するとエンジュはのっそりと起き上がり、乱れた白銀の髪をそのままに伸びをした。
そしてゆらりとベッドから降りて自然な動きで扉へと向かった。
「いやいやいや、何もなかった感じで出て行こうとしてもダメでしょ」
「にへへ、バレちゃった」
ハイドに呼び止められて、エンジュは決まりが悪そうに振り返る。
「なんで俺の部屋で寝てたのさ」
「別に兄さまの部屋で寝るつもりはなかったもん。最近、夜に兄さまの部屋に行ってもいないから、ちょっとベッドに潜って隠れておこうとしただけだし」
ぷくぅと頬を膨らませるエンジュの発言に、ハイドはドキッとする。
「ちょっと待って。もしかしてエンジュは今日以外にも夜中に俺の部屋に来てたのか?」
「ふふん、誰にもバレてないよ」
「なんで得意げなんだ」
突っ込みながらも冷や汗が湧き出る。
ハイドが夜中、自室を空けて冒険者ショウとしての活動に集中できたのは、自室に誰も入らないという前提があってのことだ。
部屋の主から入室の許可が出ない限り、部屋には立ち入らない。
それは使用人はもちろんのこと、たとえ家族であっても適応されるこの世界の常識だ。
そしてそのことを理解しているからこそ、最初エンジュはしれっと部屋から立ち去ろうとしたのだろう。
今は完全に開き直っているが、彼女のお転婆っぷりを甘く見ていた。
(つまり、エンジュには俺が夜中に出歩いていることがバレている……)
どう取り繕うべきか、頭をフル回転させる。
夜風に当たりに庭園を散歩していた?
いや、いくらなんでも無理がある。
そもそもエンジュがどれぐらいの頻度でどれぐらいの時間部屋にいたかもわからない。
その辺りの探りを入れようと、平静を装いながら訊ねる。
「それで、エンジュは夜中になんで俺の部屋に?」
「兄さまと一緒に寝ようと思って! 最近全然兄さまとゆっくりできてないから、せめて夜の間は一緒にいたいなって」
そういえば、と。ハイドはここ最近の生活を思い返す。
二人が【剣術】に目覚めるまでは、昼食後から夕食後までの時間、二人で遊んだりする時間があった。
しかし今はその時間が剣の修練に充てられている。
最近ではその修練の時間も伸びていて、訓練場以外で二人きりになる時間は確かにめっきりなくなっていた。
(夜も、すぐに部屋に戻っていたしな……)
少しでもショウとして活動できる時間を増やそうと、ハイドは夕食後すぐに自室に戻り、就寝するように装っていた。
コーデリアは剣の鍛錬で疲れているのかと心配していたし、ドルフは育ち盛りでいいことだと笑っていたが。
しかし、まさか妹に寂しい思いをさせていたとは。
「ごめんな、エンジュ。俺、剣のことで頭がいっぱいで」
「ううん、いいよ! 今度エンジュのお願い聞いてねっ」
「ああ、わかった……うん? お願い?」
「約束した! したからね!」
してしまった。
したり顔で念を押してくるエンジュは、五歳ながらにある種の風格があった。
「じゃあ、わたし部屋に戻るね。おやすみ~」
「えっ」
「? 兄さま、どうかした?」
「いや、……俺がどこに行ってたのか、訊かないのかなって」
ドルフとどこかへ出かけることになる度に羨ましがっていたエンジュのことだ。
てっきり白状するまで追求してくると思っていた。
エンジュはきょとんとした顔でハイドを見つめる。
「訊いたら教えてくれる?」
「それは……」
「でしょ? だからわたしも訊かないよ。それに、兄さまのことだから――」
そこまで口にして、エンジュはパッと手で口を押さえた。
「なに?」
「ううん、なんでもなーいよ」
どこか誇らしげな笑みを浮かべて、エンジュは今度こそ扉へ向かう。
その態度から本当に追求する気がないことを感じ取ったハイドは、ホッと胸を撫で下ろしつつ、ぽつりと呟いた。
「というか、そういう気の使い方はできるのにどうしてお転婆っぷりは治らないんだ?」
「……兄さま、夜どこに行ってるの」
「なんでもないです」
◆ ◆ ◆
「昨日はごめんなさい。勝手に帰っちゃって」
「気にしてないですよ」
ギルド会館に到着して早々に、ロビーにいたヘレネーに頭を下げられる。
余程後ろめたかったのか、しゅんと身を縮こまらせているヘレネーへ笑いかけた。
「昨日は久しぶりにお酒も飲めて楽しかったですから」
「お酒、好きなの?」
「一人では飲みませんけど、それなりには」
大学時代、友人と朝まで飲み明かした記憶を懐かしみつつ答える。
「……そっか。ねぇ、ショウ。私たちの等級がまた上がったら、その時は一緒にお祝いしない?」
「お祝いですか?」
「うん。いつも、ダンジョンに潜ってばかりだから。たまには一緒に飲みたいなって」
「ああ、ヘレネーさんも意外とお酒好きなんですね」
「……うん」
少し釈然としない様子のヘレネーへ、ハイドは頷き返した。
「わかりました。じゃあヘレネーさんがC等級に上がったらお祝いしましょう」
「うんっ」
そうして二人で掲示板の前に向かい、依頼書を吟味しながらふと思い出す。
「そういえば昨日酒場で飲んでいる時に、ニックさんのパーティに勧誘されたんですよ」
「! そ、そうなんだ」
「もちろん断りましたけど、パーティメンバーのヘレネーさんには一応伝えておいた方がいいかと思って」
「別に、冒険者のパーティ移籍は日常茶飯事だから、わざわざ教えてくれなくてもいいよ」
「それ、ニックさんにも言われました」
あははと笑うハイドへ、ヘレネーはぽつりと呟く。
「でも、ありがとう。教えてくれて」
どういたしまして、と応えようとしたその時。
ギルド会館の出入り口が騒がしくなる。
この時間に珍しいなと思って振り返ると、そこには見慣れた甲冑を纏った一団がいた。
「団長、おられました」
「そうか」
リューゲン伯爵家直轄騎士団。
その団員たちの間から現れたドルフは、真っ直ぐにハイドたちの下へ歩み寄ってきた。
そして、ハイドへ向けて頭を下げた。
「ルーリャ村以来になるな、ショウ殿。ご健勝のようでなによりだ」




