第32話 変化
帝都から帰還した翌日。
《城壁の箱庭》の依頼達成報告を経てリューゲン邸へ戻ったハイドは、《神界の泥人形》で眠気を吹き飛ばし、普段通りの生活を送っていた。
朝食をとり、午前中は勉学や読書、そこそこの自由時間。
そして昼食後には、リューゲン邸の訓練場で剣の修練。
ただ、この修練には変化があった。
「――【剣術】」
訓練場に設置された、人型に見立てた巻藁。そこへ向けてハイドは剣を振るう。
そしてその最中に【剣術】を発動させ、木剣の動きが加速した。
ダァンという重い音が鳴り響き、周囲の騎士団員から「おぉ」というどよめきが上がる。
その剣戟の鋭さは、誰の目から見てもスキルのものであると明らかだった。
「兄さま! 今のって【剣術】……だよね? すごいすごい! おめでとうっ!」
「ありがとう、エンジュ」
ぴょんぴょんとしながら木剣をぶんぶん振り回すエンジュを宥めつつ、今し方振り抜いた巻藁を見やる。
抜群の耐久力を誇る巻藁は、木剣の打撃を受けた箇所が大きく凹んでいた。
(鑑定情報を偽装するだけでなく、スキル自体も完全に模倣できるのか……)
【剣術】は確かに発動していた。
よく知るスキルでなければ【神界の泥人形】で模倣できないとはいえ、後天的にスキルを授かることが基本的にはないとされているこの世界で、それは破格の性能となる。
「父さまも今日来たらよかったのにね~」
「仕方ないよ。父様はモンスター討伐に出ているんだから」
今日はドルフが不在であり、この訓練場にはハイドたちと待機中の騎士団員しかいない。
(モンスター討伐……か)
貴族の責務の一つ。
当主が早くに亡くなった場合を除いて、基本的に貴族の跡継ぎは成人である十五才を迎えると、領内に出現したモンスターを討伐する任を帯びる。
(そう考えると、今回のことは決して悪いことではなかったのかな)
今し方のハイドの動きを真似して「えいやぁ!」と叫ぶエンジュを眺めながら思う。
なし崩し的に【剣術】スキルに目覚めた体で振る舞う形となってしまったが、あのままスキルを扱えずにいれば、モンスター討伐の任はエンジュに課せられていただろう。
しかし長子であるハイドがリューゲン家の【剣術】に目覚めたことで、名実共にハイドはリューゲン家の跡継ぎとなる。
(【剣術】も、伯爵家の跡継ぎっていう立場も、俺にとっては分不相応だ。でも、エンジュにすべて押しつけるぐらいなら――)
家族の安全と、自分の求める平穏な生活。
それらを両取りする生き方を望むなら、これが一番丸く収まるのではないか。
【剣術】を振るった手を眺めながら、ハイドはそう思った。
「ねねっ、兄さまっ! ちょっとだけわたしと打ち合おうよ! スキルありでっ」
木剣を手に、キラキラと期待に満ちた目で見上げられる。
「やらないよ。俺たち同士で木剣を打ち合ったら怪我するから危ないって、父様に言われてるだろ? 母様も、父様がいない間は素振りとか型合わせとかに留めておきなさいって言ってたし」
「少しぐらい~い~じゃ~ん。父さまはでかけてるし、母さまもいないんだから、バレないよぉ」
「エンジュ……」
遠征での一件以来お転婆っぷりは少しはマシになったと思っていたが、人間早々簡単に性根は変わらないらしい。
困りながら視線を彷徨わせたハイドは、ふと訓練場の入り口に立つ人影を見つけた。
「みんなも母さまたちには黙っててねっ!」
まだ受けるとは言っていないのに、エンジュは周囲の団員たちに口止めを敢行している。
そんなエンジュの肩をハイドは優しく叩き、訓練場の入り口を指差した。
ハイドの指の先をゆっくりと目で追ったエンジュは、びくっと肩を震わせる。
「エンジュ、いらっしゃい」
訓練場の入り口で。
コーデリアがにっこりと微笑みながら手招きした。
「……兄さま」
「俺は知らないよ」
「そんなぁ……」
両肩を落とし、ずるずると足を引きずるようにして、エンジュはコーデリアの下へ歩いて行った。
◆ ◆ ◆
それからの日々はとても忙しないものになった。
日中は剣と【剣術】の修練に勤しみ、夜はヘレネーと共にダンジョン攻略。
どうやらギルドの依頼は日が変わると新たに発行されるようで、ハイドたちが依頼を受けるのはちょうどその間際。
その時間まで残っている依頼は、報酬が渋いか等級の割に難度が高いか。
そうした依頼をハイドたちが受けていくので、ギルドはありがたく思っているらしい。
先日、受付嬢に感謝された。
(別にそんなつもりはないんだけどな)
夜にしか活動できなくて、たまたまそういう依頼を受けるしかないだけで、感謝される謂われはない。
とはいえ、決壊を防ぐことを目的に冒険者としての活動を始めたので、そういう意味では好都合と言えた。
そんな生活が続いたある日のこと。
「ふふん」
いつものようにギルド会館へ赴くと、ロビーで待っていたヘレネーがこれ見よがしに弓矢を見せつけてきた。
今まで使っていたものとは違って、どことなくオーラがある。
「どうしたんですか、その弓」
「買った。ショウのおかげでマナストーンを備蓄しておかなくてもよくなったから、奮発した」
《城壁の箱庭》での一件以来、ヘレネーは戦闘でマナを惜しみなく使うようになった。
そして、今まで【吸収】の効果を抑えるためにマナストーンは依頼分しか納品してこなかったが、最近では討伐分はほとんどギルドへ納めている。
「鏃にマナストーンが埋め込まれていますね」
「そう。これで矢自体にもマナを籠められるから、さらなる威力アップを期待できる」
心なしかヘレネーのテンションがいつもより高い。
尖った耳はしきりにぴょこぴょこ動いているし、体勢も前のめりだ。
「等級ももう少しでCになりそうって言われた。ずっとD等級で停滞してたから……すごく嬉しい」
「それはよかったです。俺もヘレネーさんとダンジョンに潜り続けたおかげでD等級に上がれましたし、パーティ等級もあっという間にE等級ですからね」
D等級に上がったおかげでセントリッツへ入る際の通行税が免除された。
門番とのやり取りが省略されたことは、金銭以上に大きい。
「ショウは武器、買わないの?」
「あー……」
初めて買った剣が当日に壊れてからというもの、ハイドはずっと拳で戦い続けてきた。
あの時目標としていたグレードの高い剣は、今の懐事情なら手が届く。
ただ、ハイドは悩ましげに答える。
「どうせ買うならもう少し貯めてもっといいものを買った方がいいんじゃないかって思ってしまって。今のところ不自由もないですし……あとは、そろそろ宿を探そうと思っていたので」
「そっか、ショウはまだ野宿だったね」
「野宿というわけではないんですけどね……」
ヘレネーの中でハイドはすっかり領都の外の平野で野宿していると思われているようだ。
強く否定するわけにもいかないので、結局その誤解は解けずにいる。
「ふふっ」
不意に、ヘレネーが笑った。
「どうしたんですか?」
「ううん、このまま依頼をこなしていって、パーティ等級がもっと上がって、そうしたら大手のパーティみたいになるのかなって想像してた」
「大手のパーティみたいに……?」
こういう時間にしかギルド会館に顔を出さないものだから、ハイドはいまだに一線級の冒険者に会ったことがない。
だから大手のパーティと言われても、いまいちイメージを掴めずにいた。
ハイドが訊ねると、ヘレネーは顔を真っ赤に染め上げる。
「な、なんでもないっ。それよりもショウ、宿は早い内に見つけた方がいい。連絡、大事!」
なぜか早口で捲し立てられて、ハイドは若干気圧されながら「そうします」と頷き返した。




