第26話 第四皇女
五日間の長旅を終えて、ハイドたちを乗せた馬車は帝都オニクスを囲う城門をくぐる。
領都セントリッツも立派な都市だと思っていたが、帝都を見た後ではどうしても見劣りしてしまう。
なにせ、帝都オニクスには端がない。
地上からではその全容をうかがい知れないほどに広大で、ドルフの話ではいくつもの町が吸収・合併を繰り返した結果、今の帝都が完成したそうだ。
ようやく帝都に着いたと思っても、城門をくぐってからまだしばらく馬車は走り続ける。
貴族街や平民を区分する壁をいくつも越えて、その度に移ろう町並みに目を奪われながら、帝都の中心地に辿り着く。
皇帝が公務を執り行う皇城や皇族たちの住処である数多くの宮殿を取り囲む城壁は堅牢であり、その周辺を多くの衛兵が巡回している。
煌びやかな敷地を抜けて馬車が止まったのは、貴賓の滞在用に建てられた宮殿の前だった。
「長旅で疲れただろう。スキル鑑定は明日とのことだ。今日はひとまずゆっくり休みなさい。私は所用で少し出てくる」
宮殿のメイドたちから建物内の説明を受けた後、ドルフはそう告げるとどこかへ行ってしまった。
「はぁ……疲れたな」
いくらこの世界基準では上等な馬車とはいえ、五日間の移動は流石に身に堪えた。
軽く伸びをするだけで体の至る所がゴキゴキと悲鳴を上げる。
そうした身体的な疲労に合わせて、何より精神的にも消耗していた。
「スキル鑑定……明日か……」
この五日間ハイドを悩ませ続けている皇族の【鑑定】スキル。
その性能がどのようなものかはわからないが、仮に【全知神の目】の鑑定能力と同程度であれば、言い訳のしようがない。
ふと、客室の窓から差し込む日差しが目に入る。
夕暮れまではまだ随分と猶予がありそうだ。
「この宮殿の敷地内なら好きに出歩いていいみたいだし、少し外を見て回るか」
ハイドは気分転換も兼ねて宮殿の庭園を散策することにした。
◆ ◆ ◆
「リューゲン邸の庭園も整えられた美って感じで見事だったけど、流石は皇帝陛下のお膝元だな。こっちは荘厳で雄大な自然っていう感じだ」
ハイドたちが滞在することになったアーレ宮の庭園には、国内外から取り寄せた多様な樹木が植え付けられている。
宮殿には外国からの貴賓や使節も滞在するため、帝国の権威をアピールするような趣向は各所に凝らされていた。
ハイドは庭園を眺めながら伸びをしたり体を捻ったりして凝りをほぐしていく。
そうしていると、庭園の一角にこじんまりとした花壇を見つけた。
歩み寄って覗いてみると、そこにはパンジーのような花が植わっている。
「華美なこの庭園の中だとちょっと浮いているような気がするけど、なんだか落ち着くな……」
花壇の傍に屈み込んでぼんやりと眺める。
不思議なことにあれだけ雑然としていた脳内がすっきりしていく気がした。
思いがけずいいリフレッシュになった。
もっとも、【神界の泥人形】を使えば眠気を飛ばすのと同様に、こうした精神的な疲労も立ち所に癒やすことができるだろうが。
(……いや、待てよ?)
立ち上がろうとしたその刹那、脳裏に鮮烈な閃きが走る。
【神界の泥人形】はあらゆるものに変化することができる。
それはたとえば動物の姿だったり、前世の自分の容姿だったり、――あらゆる状態・環境への適応だったり。
外面の変化だけでなく、精神的なものでさえ、【神界の泥人形】は望んだ状態に変化できる。
ならば。――【スキル】はどうなのだろうか。
(いや、いくらなんでも飛躍しすぎか。容姿みたいにスキルまで模倣できるなんて……)
だが、明日の【鑑定】を乗り切る妙案が他にないのも事実。
早速、鏡のある客室へ戻って検証しようと立ち上がった時だった。
「あら……?」
背後から人の気配がした。
振り返ると、そこには淡い配色のドレスを纏った一人の少女が立っている。
美少女、という形容が似つかわしいほど可憐な少女だった。
毛先がウェーブがかった水色の髪は肩ほどで切り揃えられ、ぱっちりとした濃紺の瞳はハイドを捉えて見開かれる。
年の頃はハイドと同じ七歳前後に見えた。
(子ども……? なんでこんなところに)
この宮殿にはすでにハイドたちが滞在している。
ハイドのように宮殿に滞在しているとしても別の宮殿があてがわれているはずだ。
そこまで考えて、ふとハイドはドルフの話を思い出した。
――第四皇女が、ちょうどお前と同い年だったな。
ハイドは慌てて立ち上がると、片膝をついて頭を垂れる。臣下の礼だ。
「私はリューゲン伯爵が長子、ハイド・リューゲンと申します。……失礼ながら、御身のお名前をお教え戴けないでしょうか」
ハイドがそう言うと、くすりと小さく笑う気配がした。
そうして清流のような澄んだ声が飛んでくる。
「わたくしはモニカ。バーナード帝国第四皇女、モニカ・バーナードですわ」
「……大変なご無礼を」
皇族に背を向けるなんてことは不適切な振る舞いだ。
たとえ非が無くても謝意を表する必要がある。
「顔を上げてください、ハイド。この宮殿は今はあなたたちのために用意された場所。勝手にお邪魔したのはわたくしの方ですわ」
「ご配慮、痛み入ります」
ゆっくりと顔を上げると、モニカはその大きな瞳を爛々と輝かせていた。
「ハイド、あなたはどうしてこのような庭園の片隅に?」
「……その、こちらの花壇に見惚れておりました」
「ふふっ、嬉しいことを言ってくれるわね」
モニカはくすりと笑いながらハイドの隣を横切ると、花壇の近くに屈んだ。
そうして手にしていたジョウロで花たちに水をあげていく。
(……そうか、どうして皇女殿下がこんなところに現れたのかと思ったけど、この花壇の世話をするためか)
とはいえ、皇女殿下がなぜ花壇に水をやっているのかという疑問が新たに湧き上がるが、この際どうでもいい。
(この子も皇族ということは……【鑑定】を持っている可能性がある)
内心で警戒を強めていると、水をやり終えたモニカが振り向く。
「ハイド・リューゲン……そう、確かスキルを【鑑定】するために帝都へ、でしたわよね?」
「っ、はい」
「ふふっ、それで宮殿に滞在しているというわけね。帝都へ着いたのならお父様なりお兄様なりがささっと【鑑定】すればいいのにね。箔をつけるためだとか、権威を保つためだとか、そんな理由で待たされるなんておかしいわ」
くすくすとモニカは笑うが、ハイドからすればまったく笑えない。
皇族である彼女ならいざ知らず、ここで下手に笑えば不敬と罰せられるかもしれない。
(それにしても想像していた人物像とは違うな)
皇族というのはもっと格式張った人種だと思っていたが、ジョウロを手にして笑うモニカは、どちらかといえばエンジュに似ていた。
そんなことを考えていると、モニカがじぃっとハイドを見上げてきた。
彼女の遠い青空を思わせる瞳がハイドを射貫く。
そして、顎先に指を添えながら彼女は悪戯っぽく微笑んだ。
「ねぇ、ハイド。あなたのスキル、わたくしがこの場で視てあげましょうか?」




