第2話 転生②
穏やかで暖かな水の中から引きずり出される感覚があった。
水面に広がる波紋のように、意識が徐々に芽生えていく。
転生したのだ。
漠然とそう悟った時、彼は内側から湧き上がる衝動に任せて雄叫びを上げていた。
「――ンギャァ! オギャ、オンギャァァッ!!」
自分の口から赤子の産声が発せられていることに違和感を抱いていると、誰かに抱きかかえられた。
それからあやすようにしてゆらゆらと揺らされている。
(一体、誰が……)
自分を抱きかかえるこの温もりの正体を確かめようと重い目蓋を必死に開こうとする。
だが、目蓋の向こうから淡く光が差し込んでくるだけで、視界は一向に晴れなかった。
(ああくそ、そうか、生まれたばかりの赤ん坊の視界ってあんまり良くないんだったな)
知りたいことはたくさんあるが、しばらくはこの不自由な赤子の体で我慢しなければならない。
そう覚悟した時だった。
(――え?)
体から何か力が抜けていく感覚と共に、閉じていた視界が一気に開かれた。
赤子である彼自身の目が開いたのではない。目蓋は閉じたまま、見えないはずの景色が見える。
普通の物の見え方ではなかった。もっと別の高い視座から、万物を見通すような――。
突然開かれた視界からは情報が一気に押し寄せてくる。
古いながらも綺麗に手入れされた広い一室。
その中央に設置されたベッドもやはり大きく、豪奢な天蓋が吊されている。
そのベッドの上で、彼は一人の女性の両腕の中に抱きかかえられていた。
青みがかった白銀の長髪に、ぱっちりとした青い瞳をした、綺麗な女性だ。
楚々とした顔立ちはとても可憐だが、慈愛に満ちた微笑みが妖艶な雰囲気を醸し出している。
(この人が、俺の母さん……)
彼は本能的に理解した。
自分を抱きかかえるこの女性が何者であるかを。
同時に、前世のトラウマが蘇る。
『あんたのせいでめちゃくちゃよ!』
優しかった母親からの最後の言葉。
それっきり会うことも話すこともなく、彼は死んだ。
いつの間にか産声は引っ込んでいた。
今世の母となる女性の腕の中で身動ぎをすると、彼女は心配そうに我が子を見つめて何事か言葉を発する。
「■■●、●▲▲●■」
何を言っているのかわからない。聞いたことのない言葉だった。
わからない。だが猛烈にわかりたかった。今世の母となる人が自分に向かってなんと言っているのか、知りたい。
彼がそう強く願ったとき。
再び、体から何か力が抜けていく感覚が彼を襲った。
「可愛いハイド。私たちの念願の息子。どうか健やかに、優しい子に育ってね」
(――?!)
言葉がわかった。一瞬前までは呪文にしか聞こえなかった彼女の言葉が。
――ハイド。それが今世での彼の名だった。
(さっきから一体何が起こってるんだ? いや、もしかしてこれって……)
見えないはずのものが見えて、わからないはずの言葉がわかる。
その違和感に戸惑いながら、ハイドの中で一つの可能性が浮かんできた。
ひとまず、情報を集めたい。
ハイドは部屋の中を詳しく見ることにした。
この部屋には彼と母親以外にも人の姿がある。
壁には何かの植物をモチーフにした華やかな壁紙が貼られていて、その傍に数人の男女が控えている。
いずれも執事やメイドの装いをしていた。
(結構いいところの家なんだろうか)
だとしたらまったくもって身の丈に合っていない生まれになってしまったと、ハイドは項垂れる。
そこからさらに壁伝いに視線を横切らせると、一枚の鏡が目に止まった。
そこにはベッドの上に座る母親の女性と、彼女に抱きかかえられるハイドの姿が映っている。
母親と同じ白銀の髪。
前世の自分とはかけ離れたその容姿に、彼は改めて転生したという事実を強く突きつけられたような気がした。
(それにしても、この距離の鏡に映っている姿がハッキリと見えるのもおかしいよな)
ベッドから壁際の鏡まで軽く5メートル以上はある。
なのに髪の毛一本一本から指先の皺に至るまでハッキリと見えた。
視力が2.0あるとか、そういう次元の話ではない。
(これはやっぱり、【スキル】の影響と考えるのが自然だな)
転生前の神様との会話を思い返す。
この世界では【スキル】という異能があると話していた。
先ほどから起きている不可思議な現象――そもそも転生からしてその最たるものではあるが――それがすべて【スキル】の影響だとしたら納得できる。
何より、神様は最後の最後でハイドの要望に反してとっておきのスキルを授けると口にしていた。
(だとしたら一体どんな【スキル】なんだ?)
そう疑問を抱いたとき。
三度、体から力が抜ける感覚が彼を襲った。
そして視界の先、鏡に映っている赤子の頭上に文字が浮かび上がってくる。
その文字を目で追ったハイドは思わず目を疑った。
鑑定情報
名前:ハイド・リューゲン
所持スキル:【武神の導き】
【神泉の源】
【全知神の目】
【神界の泥人形】
(神様ぁあああああああ!!!!)
ハイドのあらん限りの絶叫は、しかし赤子の泣き声として広い室内を駆け巡った。




