第19話 【吸収】
「落ち着きましたか?」
あれから数分。ようやく嗚咽が聞こえなくなってから、ハイドは優しく声をかける。
ヘレネーは目元を拭いながらゆっくりと立ち上がった。
「……ごめんなさい、みっともないところを見せてしまって」
「いえ、こちらこそ本当にすみませんでした」
「……? どうして謝るの」
こてんと首を傾げる。
その拍子に彼女の尖った耳がぴょこんと揺れて、ハイドはついそれを目で追ってしまった。
「~~~~っ」
その視線に気付いたヘレネーは慌ててフードを被り直す。
先程までよりもずっと深く、赤くなった目が見えなくなる深さまで。
(やっぱりエルフ、だよな……)
この世界には人族の他にも多様な種族が存在している。
その中の一種族であるエルフは、長く尖った耳と整った容姿が特徴的な種族だ。
彼ら彼女らは人混みを嫌い、自然の多い場所に住んでいる。
人の多い町に出てくることは珍しく、まして定住しているエルフとなるとその数は限られる。
(まさかこんなにすぐ会えるなんて……)
じんわりと感動していると、【全知神の目】が再び異変を捉える。
先程ぽっかりと崩れ落ちた石レンガ造りの床が、まるで逆再生でもされているかのように再構築されていった。
「ダンジョンはモンスターを生み出す時に内部構造の一部が崩壊することがある。それが修復されたということは、すでにモンスターがポップしたということ」
綺麗になった床を見ていると、ヘレネーが説明してくれた。
確かにモンスターの気配が増えている。
(なんだそれ。天然のトラップじゃないか)
一歩遅れたら奈落の底である。
【全知神の目】と【武神の導き】がある限り、巻き込まれることはないだろうが、他の冒険者たちは一体どう対処しているのか。
「あの、ヘレネーさん。でしたらなおさら、あまり離れすぎない方がいいと思います。ヘレネーさんが俺に近付いて欲しくないというのはわかっていますが、安全が第一です」
「…………うん」
正面から真っ直ぐに顔を見つめて言うと、ヘレネーは俯いた。
「ねえ」
「はい?」
「本当に、私が近くにいても大丈夫?」
「……? ええ、もちろん」
どこか怯えた声に、ハイドは困惑しながら答える。
(それはどちらかというと俺のセリフなんだけど)
近くにいて欲しくないと言っているのはヘレネーの方なので、いまいち釈然としない。
「…………っ」
ヘレネーは意を決した様子で一歩、ハイドへ向けて足を踏み出す。
「大丈夫?」
「はい」
相変わらず何のことを言っているのか疑問に思いながら、ハイドは頷き返す。
そしてまた一歩、距離を詰めてくる。
「本当に大丈夫?」
「当たり前じゃないですか」
さらに一歩。
「ほんとのほんとに、大丈夫……?」
「だからなんなんですか、大丈夫ですって」
流石にむっとなるが、その時にはすでにヘレネーは目の前に立っていた。
頭一つ分だけ背の低い彼女は、ハイドの顔を見上げる。
そうして赤くなった目を爛々と輝かせて、上目遣いで見つめてきた。
「嘘じゃ、ないんだ。……さっきから私にはすごい力が流れ込んできてるのに、全然平気そう。……ショウ、あなた何者?」
「すみません、ずっと置いてけぼりなんですが。一体何の話をしているんですか?」
ハイドが訊ねると、ヘレネーは一瞬考え込む素振りを見せてから、やがて意を決したように頷いた。
「そうだね。ショウには話しておきたい」
彼女はそう前置きをしてからフードを外すと、透き通るような碧眼でハイドをジッと捉えて告げた。
「私のスキルは【吸収】。周囲のマナを吸い上げて自分のものにする能力を持っている」
◆ ◆ ◆
ヘレネーの口から語られた話の内容は中々に衝撃的なものだった。
彼女の所持スキル【吸収】は一般的なスキルとは異なり、本人の意志に関係なくひたすら周囲のマナを吸い上げ、自分の力にするのだそうだ。
(言われてみればやけにマナが減る感覚に襲われるなと思ってたんだよなぁ。【神泉の源】がその分だけ補充してくれるから、途中から忘れていたけど)
思い返せば、ヘレネーを助けるために彼女を抱きかかえたとき、ごっそりとマナが減る感覚があった。
てっきり【武神の導き】をめいっぱい使ったからだと思っていたが……。
「それで俺に近付くなって言ってたんですね」
近くにいればいるほどに対象のマナを吸い上げる。
それを防ぐための処置だったらしい。
嫌われていなかったことに安心する反面、その対応に至るまでの彼女の冒険者生活に思いを馳せる。
ギルド会館で聞いたニックの話にようやく得心がいった。
恐らく、彼女とパーティを組んだ冒険者たちは皆マナを吸われてしまったのだろう。
マナを消耗すると、スキルが使えなくなるのはもちろん、体が重たくなったり思考力が鈍る。
ヘレネーと組むと本来のパフォーマンスが出せなくなる。だから呪われる――と、噂されるようになったんだ。
「私はさっきからずっとあなたのマナを吸い上げてる。普通の人ならとっくの昔にマナ切れを起こしている量を。でもあなたは全然疲れていない。……だから何者って訊いた」
言うまでもなく【神泉の源】のおかげだ。
誇張でも何でも無く、本当にマナを無尽蔵に扱えるのだ。
ハイドはヘレネーの追求に曖昧な笑みを返した。
「俺もそういうスキルを持っているんですよ。安心してください。ヘレネーさんが近くにいたぐらいでマナ切れを起こすことはないですから」
「……ゴブリンとの戦闘術に、私よりも早くダンジョンの崩壊に気付く索敵能力、それと膨大なマナを生み出すスキル……。もしかしてショウって、すごい?」
直球過ぎる問いに困ってしまう。
とはいえ、答えは決まっている。
「俺はすごくないですよ」
すごいのはスキルで、自分ではない。
ハイドはショウとして力を振るう上で、その一点だけは忘れずにいようと心に誓っていた。
「謙虚だね。でも、謙虚すぎるのはよくない。特に冒険者として生きていくなら」
「覚えておきます」
「……どうせ、ショウのことだから忘れるに決まってる」
「ど、どうしてですか」
「だってショウ、ずっと先輩の忠告無視するから」
「それは……まあ、否定はできませんけど……」
痛すぎる指摘にしどろもどろになりつつ、ヘレネーと距離が詰まったことを嬉しくも思う。
「それにしても俺たちって相性がいいですよね」
マナを吸収するスキルと、マナを生み出し続けるスキル。
実質、二人ともマナを無制限に扱えることになる。
「~~~~っ、ぁ、ぅ、うん」
何気なく口にしたハイドの言葉に、ヘレネーはぎゅっと口元を引き結びながらフードの陰に顔を隠すのだった。




