第10話 モンスター
「この、大馬鹿者がぁッッ!!」
リューゲン邸から目的地であるルーリャ村までのちょうど中間地点。
最初にして最後の休憩地点として設定されているその場所に、雷が落ちていた。
ドルフに怒鳴りつけられたエンジュと、そしてハイドは、荷馬車の床に正座している。
なぜ俺まで、と思わなくもないが、兄貴として妹と一緒に叱られるのは当然の摂理なのかもしれない。
荷馬車の中から外を馬に乗って走る騎士団員たちに声をかける手段を持っていないハイドは、結局一行が立ち止まるこのタイミングまでエンジュの存在を知らせることができなかった。
「……だって、兄さまが心配だったから」
「私も騎士団もついているだろうが! お前が心配するようなことは何もない! スキルが目覚めたからといってお前が一人前になったわけではないとあれほど言っているだろう!!」
「まあまあ、団長、その辺りでいいじゃないですか。今回のゲートは驚異度も低いんですし、人員も十分。子守が一人増えたからってそう変わりませんよ」
かれこれ十分近く続くドルフの激昂に、見かねた団員の一人が仲裁に入る。
「……私は、出立の前に再度荷の確認をするよう言ったはずだ。にもかかわらず子どもの侵入に気付けないとはどういうことだ?」
ギロリと睨み付けられた団員は、一瞬エンジュに視線をやってから騎士の礼をとる。
「や、やはり勝手に荷馬車に忍び込むのは問題です! 団長、ここは厳しく言い含めるべきかと」
「うむ、よろしい」
「それでは俺は周囲の警戒にあたります!」
ドルフの説教は馬の休憩が終わるまで続いた。
◆ ◆ ◆
結局エンジュを乗せたまま一団は再出発した。ここまで来て引き返すわけにはいかないという判断だった。
動き出した馬車内で、ようやくドルフから解放されたエンジュはこの状況を楽しんでいた。
車内の隙間から外を眺めては何かにつけてハイドへ話しかけている。
まったく反省していない。
(わかってないなぁ。帰ったら母様が待ってるのに)
ハイドは屋敷に戻ったときのことを想像して心の中でエンジュに手を合わせるのだった。
明朝に出立した一団が目的地へ着く頃にはすでに太陽は頭上にあった。
団員たちに指示を飛ばすドルフをハイドたちは荷馬車の陰から眺める。
程なくして用意が調い、ゲートが出現したという樹海の中へ踏み入れることとなった。
今回の遠征に参加した団員はドルフを含めて十五名。
そのうちの三名は近くのルーリャ村で待機し、残りの十二名で隊列を組むと、その中央にハイドたちを配置した。
「少しイレギュラーなこともあったが、まあよい。今回のゲートは比較的小規模なもので、私たちの隊列の間にいればそう危険はないだろう」
ハイドたちに寄り添う形で歩くドルフが話す。
「今回はあくまでもモンスターがどのような存在なのかを見ることが目的だ。討伐は私たち騎士団が行うから、勝手な真似はしないこと。わかったな」
「はい、わかっています」
「…………エンジュ」
「は、はいっ」
ドルフの強い語気にエンジュは背筋を伸ばして答える。
索敵を繰り返しながら進むこと十数分。
一団がピタリと足を止めた。
「来たか。……総員、戦闘準備」
その言葉につられてハイドたちは前方を見つめる。
何も見えない、そう感じたのも束の間。
それは、突然現れた。
「LUAAGYOOOOO!!!!」
耳を劈くような咆哮が轟く。
現れたのは巨大なトカゲのような異形の怪物だった。
全長三メートルほどのそれは、焦点の狂ったゾンビのような双眼をギョロリと向けてくる。
(あれが、モンスター……)
狂気に満ちたその怪物は、今まで出会ってきたどんな生き物とも違う、破壊の臭いを漂わせていた。
思わず身が固くなる。
それだけの威圧と忌避感を抱かせた。
「……エンジュ?」
ハイドは不意に裾を掴まれていることに気付き、隣を見た。
するとエンジュは顔面を蒼白させて縋るようにハイドに身を寄せている。
「兄さま、怖い……」
先ほどまでのお転婆っぷりはどこへいったのか。
エンジュはモンスターを前にして怯えていた。
(まあ、あれは確かに今のエンジュにどうこうできる存在じゃないな)
【剣術】で斬りかかったとして、一撃で仕留められたらいいが、そう上手くはいかないだろう。
自分では敵わないことを悟って恐怖できるのは、ある意味では生き延びる上で必要な資質だ。
「大丈夫だよ、エンジュ。ここには父様たちがいるんだから」
ハイドの言葉に合わせて、騎士団が動き出す。
前方の四人が抜剣と共に左右に分かれて展開し、モンスターを囲い込む。
大蜥蜴もどきは即座にそのうちの一人に飛びかかった。
(――速い)
あの巨体では考えられない機動力でモンスターは距離を詰め、団員の懐へ襲いかかる。
普通であれば為す術もなく噛みつかれるだろう。
だが、この世界にはスキルがある。
「はぁ……!」
団員はモンスターの攻撃を軽々と受け止めると、動きが止まった大蜥蜴へ残りの団員が飛びかかる。
追い込み漁をするように大蜥蜴の四肢へ斬撃を繰り出すと、モンスターは苦しそうに咆哮を上げた。
「団長!」
「ああ、よくやった」
ハイドの隣にいたドルフがいつの間にか剣を抜き、モンスターへ肉薄している。
そして、モンスターの頭部へ向けてスキルを載せた一撃を振り下ろす。
「――【剣術】」
「LOAAAA――……」
モンスターの頭部が真っ二つに両断され、断末魔の叫びが繰り出された。
ずしんと音を立てて巨体が地面に頽れ、その肉体が漆黒の光となって空中へ霧散する。
後に残ったのは、神秘的な輝きを宿した石のような物体だけだった。
「お前たちも本で読んだことはあるだろう。モンスターは絶命するとマナストーンというマナを内包した石を遺して消える。」
剣を鞘に収めながらドルフが話す。
まるでモンスターを倒すのが日常であるかのように平然と。
いや、事実そうなのだ。
(素人目から見ても洗練された討伐だった。よく訓練された連携。それぞれが自分の役割をまっとうしていた。けどだからといって命の危険が無いわけじゃない)
ハイドは改めて思う。
これは、自分にはできない生き方だと。
「父さま、ごめんなさい」
不意にエンジュが謝罪の言葉を口にした。
先ほどまでとは違った、心のそこからの謝罪だった。
モンスターの脅威を前にして自分の行動がいかに軽率だったか理解したのだろう。
「……わかってくれたのならいい。今回のゲートは規模からしてモンスターも少ないはずだ。エンジュは先にルーリャ村へ戻っていなさい。おい、頼めるか」
「お任せを」
ドルフの言葉に隊の後方にいた三名がエンジュを連れて元来た道を引き返していく。
エンジュは不安げにハイドの方を見たが、何も言わず大人しく従っていた。
「やれやれ、いい薬になればいいのだがな」
再び歩き始めた時、ドルフが疲れたように零す。
「父様は最初からこうなると思われていたのですか?」
「おおよそは予想通りだ」
「でしたら最初からエンジュをルーリャ村に残した方がよかったのでは」
ハイドがそう言うと、ドルフは肩を竦めて言う。
「そうしたらあいつは屋敷へ戻っても自分の力を過信し続けただろう。多少時期尚早だったが、世界の広さは知っておいた方がいい。また勝手なことをされても困るからな」
「……ということは、今回の遠征に俺を連れてきたのもそういう目的があるのでしょうか」
「はははっ、それは考えすぎだな。お前を連れてきたことに他意はないとも」
ドルフは愉快そうに笑った。
何がそんなに愉快なのだろうとハイドは思うが、彼はとにかく豪快に笑う。
ひとしきり笑った後、ドルフは表情を引き締め直した。
「さて、一体倒したとはいえ、ゲートまではまだ距離がある。事前の調査からして決壊までは相当猶予があるが、討伐は早いに越したことはない。急ぐとしよう」
ゲートを通じて地上に溢れ出たモンスターは、しばらくの間ゲート近辺の領域から外へ出ない。
だがダンジョンと同じように、ゲート近辺のモンスターの数が許容量を超えると、モンスターはゲートを離れて真の意味で地上へ解き放たれる。
それが、決壊。最も防ぐべき事態だ。
一度緩んでいた空気が引き締まったその時、遠くの空が赤色に光った。
(なんだ……?)
木々の向こうから見える人工の光。それはエンジュたちが戻っていったルーリャ村のある方角だが――。
「ッ! 総員、撤収だ! 直ちに撤収する!!」
ドルフの叫びと共に団員たちが一斉に反転する。
「あの、父様、あの光は一体?」
「あれは信号弾だ。広い場所を捜索する際にモンスターの発見をいち早く知らせるために、団員は全員が所持している」
先程までとは比べものにならないほどの焦燥に満ちた表情で、ドルフは告げた。
「赤は救援要請。――エンジュたちが危ない」




