エピローグ
章明七年 6月下旬 帝國陸軍航空技術研究所庁舎
「相坂大佐、今良いですかな?」
「なんでしょうか?」
夏入り前、梅雨の季節のある日のことだった。
「浜綴航空技術研究所の方からの仕事が来たらしい」
「浜綴航空って……」
「あぁそういや、大佐は身内がHATIにいたようだったな。だがその身内からの仕事ではない。気まずいと思ったのならそうではないから安心してくれ」
「そうですか……」
正直言って航空機関連ではあまり関わり合いのないことだし、身内と職場で話すのは……確かに多少は気まずさを感じはするのだが。まあ、良い。
「して、その仕事とは?」
「詳しくはHATIの研究員からの説明がある。来てくれ」
会議室
「失礼します」
会議室に入ってみると壮年と中年くらいの2人の男性が座っており、こちらに気付いてから立って腰を折っていた。
「私、今回の研究依頼を出しました、浜綴航空技術研究所の回転翼機第一研究室室長の槌田 懸明と申します。よろしくお願いいたします」
まずは中年男性の方が先に自己紹介をしてきた。もう1人の方は部下なのだろうか。
「私、今回の研究に出資しております今藤航空輸送の営業部、技術営業課の技術主任を務めております、南 浩です。よろしくお願いします」
「今藤航空の方が、何故?」
てっきり研究所の部下の人かと思ったが、どうやらそうではないらしい。思っていた以上に複雑な話になりそうだ。
「実は現社長である今藤 貴行は前々からヘリコプターの民間活用に注目しておりまして――」
今藤航空輸送と言えば、旅客から貨物から手広く我が国の民間航空輸送を担う企業だ。業界内でも売上が最も高い企業に何度もなっていたような気もする。その企業様方が何故ヘリコプターに注目したのかというと、ヘリコプターの飛行場に必要な面積の小ささ、小回りの良さから民間用ヘリコプター旅客機、貨物機に適した能力を欲し、それにHATIが優れたヘリコプター輸送機、そして旅客機を元に人員輸送機、連絡機としての転用を見込んでの出資と研究に来たということだ。そして何故俺だったのかというと、彼らが「最も腕の立つヘリコプター操縦手」を求めたからであり、最も操縦手として腕の立つ愛乃の部隊の隊長であるから呼ばれたらしい。勿論試作機の操縦を試す為だという。
とはいえ、陸軍としてもそれなりの階級、それなりの戦力と考えられている操縦手らを試験飛行で失う可能性を恐れているのもあり、俺たちの任務はあくまで「一般の操縦手としての実用的な運動性能、そして操作性の確認を行う」ことのみに限られた。俺たちが確認する以前の「そもそも飛ぶのかどうか、継続飛行に耐え得るのかどうか、飛べる限度の性能はどうなのか」を確認するのはHATI専属の操縦手が行うらしい。
……態々俺たちが構う必要があったのかはかなり謎だな。こういう任務は大抵高空……高須賀海軍航空隊が行う任務であるように感じる。
彼らとしては、ある程度腕の立つ操縦手が良いという話だったので、戦場での実戦経験の多いこちらに話が来たのだろう。輸送と言っても海上飛行を行う機会は少ないだろうし、それでも良いのかも知れない。固定翼機と違って回転翼機に海上、艦載用の仕様というものは塩害対策以外に基本的にあまり無いし、陸上で運用出来さえすればそれでいいのかも知れない。というか、予定が開いていた操縦手を持つ部隊というのが俺たちくらいだったのかも知れないが。兎も角これも複雑に理由がからまってか、それとも政治が絡んでいるか。政治か……、結局その手の話からは離れられないのかもしれないなぁ。
「――であるからして、相坂大佐の部隊に試験飛行の依頼をしたというわけです」
「なるほど……」
「ということで、お受けいただけますか?」
「……分かりました」
それでも正当に断る理由も無いわけだし、する以外に選択肢は無いのだろう。という訳で引き受けることになった。
7月中旬 帝國陸軍航空技術研究所 飛行場
試験飛行も程度軌道に乗って来たというか、全体の流れが分かるようになるまで1か月足らず。
「大佐、今日の試験飛行前に少し良いか?」
「何です?」
「今藤航空輸送の方がお見えになっている。来てくれ」
「分かりました。……調整の方は続けててくれ。どうせ飛んでいるところが見たいとか、その辺りの話だろう」
整備士に仕事を続けるよう指示して話をしてきた将校について行った。
応接室前
「応接室とは、また珍しい」
「……誰が来ているか言って無かったか?」
「? えぇ」
あまり使われない応接室の室内を思い出しつつそのことを口に出すと、将校が首を傾げて振り向いた。
「済まない、言っておくのを失念していた」
「いえ。で、誰です?」
「現社長が来られている」
「……えぇ?」
本当に何故今まで忘れていたんだ、そんな大事なことを。
「コホン……。部屋に入る前に少し息を整えて良いか?」
「ああ、深呼吸一つくらいならする時間はあるだろう」
「では遠慮なく。スー……、ハ―……。よし、行けます」
「じゃあ、入るぞ。……失礼します」
将校はそう言って戸を小気味いい音を立てて叩き、取っ手を回し引いた。
応接室
「お待たせいたしました。彼がここでの試験飛行を担当している駒喰隊の隊長、相坂慎治大佐です」
「相坂慎治です。本日はよろしくお願いします」
「君が……いやはや、話はかねがね……」
応接室の中に居たのは派手なスーツを着た白髪の男と、質素なスーツで黒髪ながらもそれなりに歳の行っているであろう秘書らしき男性の2人だった。
「はぁ……こちらからはどのような話がなされているのかは聞いてないのでどんな話なのかは存じ得ませんが……」
「大佐殿は、ご家族はどちらかというと海軍の家系だった……のですよね?」
「あー……父と祖父はそうですね。一応、母と祖母も海軍で働いていたことが」
「やはりか。私の父は元海軍軍人でね、その頃に相坂という男と同じ戦場を駆っていたという話を良く聞いていたので」
「なるほど……」
「父は同年代に凄く秀でた飛行機乗りがいると言っていて、その中で最後まで飛行機乗りとしての腕が辿り得なかったという内の1人としてよく挙げていた。確か、相坂慎太郎元大佐と言ったていたか……どこまでの繋がりがあるのかは知りませんでしたがもしかしたら、と」
「相坂慎太郎は祖父ですね。戦闘機乗りであるとは聞いていましたが、本人はあまり過去の話をする人ではなかったので、そう言う話はこちらとしても初めてです」
「こちらとしても――」
なんとかこの話を終わらせようとしても社長が話を続けるためどうしようか悩んだ。
「……コホン。時間のこともありますので、このあたりでその話題はもうよろしいでしょうか」
「おっと、済まない。知った名前を聞いたので意識がそちらに逸れてしまった。では早速本題の方に移ってくれ」
「それでは本日の演習について、そして演習の変更点についての説明を行います」
説明された内容は至って簡単。試験飛行を行うヘリコプターに社長を同乗させて試験飛行を行え、とのこと。今日の飛行試験の内容は貨物を乗せての実航続距離測定試験。一部の貨物代わりの重量物を追加で搭乗させる体重分だけ下ろしてこの試験を行うらしい。
「では早速ですが飛行場へと向かいましょう」
説明の終えた将校の一声で4人全員立ち上がり、そして部屋から出て飛行場へと向かった。
帝國陸軍航空技術研究所 飛行場
「済まない。遅くなった」
「大丈夫です。こちらの各種確認は既に終えてあります」
「助かる。今日の試験内容の変更については――」
「聞いてます。既に聞いた分の重量具の荷下ろしも終わってます」
「ありがたいな。じゃあ俺は貨客室に今日の同乗者を乗せてくる」
「分かりました。ここで待機しておきます」
操縦席の愛乃と状況確認などを行い、後部座席の扉側へと回った。
「お待たせいたしました。足元、お気を付けください」
「悪いね」
「失礼します」
扉を開けて社長と秘書を乗せ、その後に操縦席へと戻った。
「用意は出来た。出してくれ」
「了解しました。出力開放、上昇します」
帝國陸軍航空技術研究所周辺空域
「いやぁ、はっはっは、これがヘリコプターかね。不思議な乗り心地だねぇ」
「いまだ試作段階のこともあって、少し乗り心地というか、座り心地が独特……ですね」
「……」
「……はは」
急に当日に乗り込んできたかと思えばお喋りばかり。一応、高度やら出力値やら燃料残量の計測の仕事もあるんだが……。こちらも苦笑いしか出やしない。愛乃に至っては無言だ。
「しっかし飛行機に乗ったことはあるが、ヘリコプターだと速度が違っているから高速輸送にはあまり適さないな」
「構造上の違いがありますが故……」
「でもまあ、遊覧飛行としてなら使い道があるかも知れん」
「流石社長! 目の付け所が違いますね!」
……俺たちはこの後、地上に戻るまでこの愚痴混じりの批評とゴマ擂りを見せつけられなければならないのだろうか。降りる頃には機内がゴマダレで溢れそうだなと思ったり。
「――だというのに允貴のヤツ、今藤家の男かという疑問が出てくるほどに“火遊び”が下手でなぁ。大事にして他の企業にまで悪評が広がるところを何とか俺が収めたが、ありゃまたやらかすかなぁとな。相坂大佐もどうだね? “火遊び”の方は」
「えぇ……? ハハハ、まぁ、それは……それなりに? 軍で階級が上がるとその手の暇はあんまり……」
「そりゃ済まなんだ、はっはっは。時間があれば今度、良い店にでも行かんかね? あの基地の近くにもカフェーはあったが」
「あー……時間があれば……ハハハ」
この男は俺の隣に妻がいるということを伝えられていないのだろうか。俺は社長らが体重を量ったりした後に会ったため、そういう話があったのかどうかは知りようが無い。
「コホン……うぅん……」
咳払いをして喉を整えた愛乃の表情は読み取れない。彼女の目線は眼球保護の為に掛けられた黒眼鏡の不透明度によって遮られている。……因みに近年の飛行機乗りの間で黒眼鏡を掛けるのがひとつ流れになっている。伊銀田の陸軍航空軍の流行からその話題が流れ着いて来たらしい。
閑話休題。
この試験飛行自体、第三子を出産した愛乃にとって、復帰後としては大きな任務だった。それでこういう話題を投げられてはなぁ……という所感。
「隊長」
「どうした?」
「次の参照点はあとどれ程でしょうか?」
「おっと……あと2海里、もうすぐだな」
「了解しました」
……声色も普段と変わらず至って普通、内心怒っているのかどうか分かりづらいが、外部の人間、それもそれなりに気を遣わなければならない人の前だから抑えているのだろうか。
「――まあとにかくこれも允貴が唾を付けた娘の親の会社たる山洋製鋼の経営の傾き、そして資金集めで怪しいことに手を出していたという情報手に入れられて、何とか金で解決できたことが不幸中の幸いってヤツだったがな! はっはっは!」
「いよっ社長!」
「はぁ……」
この後、この社長らが話していたのはご自身やら親族やらの自慢話だけで、こちらに相槌の要求以外の話が来なくて安心したのだった。
帝國陸軍航空技術研究所 飛行場
「お疲れ様でした。お帰りの際はお足元にお気を付けください」
「はっはっは、中々の体験だったよ。ありがとう。ではまた、会う時があれば」
「お元気で」
「失礼いたします」
午前の試験が終わり、今藤社長とその秘書を見送ることとなった。
機体の再調整の為に整備士たちが頑張ってくれている間の時間を昼食時間に充て、調整が完了して午後の試験へと移った。
「昼からの試験は低高度の為に調整された機体に於ける機動性の試験を行い……ん?」
「……どうしました?」
「『どうしました?』も何も、その手は……何?」
愛乃は拳一つ作って俺の肩にゆっくりと当てていた。殴っている訳では無いが、少しだけグググという圧力を感じる。
「何でもありません」
「何でもないわけないだろう」
「止めて欲しいですか?」
「うーん……できれば?」
この程度で何かあるとは思わないが、試験機を飛ばす前に変なことをしたくない。
「分かりました」
「どうも」
「でも」
拳を押し付けるのを止めた愛乃は、開いた手で俺の服を摘まんで言葉を続けた。
「私も……嫉妬とか、するんですからね? “兄さん”」
……今後の“生活”の為にも、言葉や対応についてしっかりと考えようと改めて思うのだった。
因みに俺たちが行った試験についてはこの後、数か月に渡って試験を続け、輸送機や民間機としての評価と試験、そのための改造が行われ、年末に差し掛かる頃には完了していた。この試験が後に俺たちの子どもたちにとってのある関わりの一つとなっていくのだが、それはまた、別のお話。