前編
泰暁十三年 4月某日 朝 大浜綴帝國 首都万京
「整列!」
荘厳な声が響く。
「諸君らは正式にこの部隊に配属されてから間もないが、現状、事態は急を要する。手短に内容を伝える」
空気はピリつき、ここに居る全員が精悍な目つきをしていた。
「今回の事案は昨年10月に発生した高砂島原住民による本土人襲撃事件である六鞘事件を発端としていることが推測される。内容は割愛するが、昨年の事件で収束に向けて他の原住民に協力を仰ぎ一部の武器が彼等に貸与されていたが、元の事件を起こした原住民に対して帝國に協力していた原住民に警察が貸与していた武器を用い、襲撃を仕掛けている。諸君らの初仕事は暴走する原住民を止めることだ。現地警察はもとより総督府率いる現地軍は既に投入されているが現在襲撃している原住民らは我々の作戦や戦闘教義の一部を知ってか、抵抗が強い」
上官が息を一度整え、再び口を開いた。
「大量に本土人殺戮を行った彼等だが、彼等の処遇は司法を持って処罰されるべきであり、警察や我々が私刑を許して良い理由にはならない。本土人を殺戮した彼等に正当な司法の裁きを受けさせるため、当該原住民を守り抜いて生かせ。また、諸君らの命を狙う連中はいかなる存在であっても排除せよ。質問は無いか? ……それでは急ぎ対応せよ、解散!」
そうして俺たちは輸送機に乗り込み、高砂島へと向かった。
同日 昼 高砂島 楓里飛行場
「やっと着きましたね、兄さん」
「軍内では相坂中尉か隊長って呼べ」
「失礼しました、慎治二尉」
「……名字で、あと正規の階級名で呼べ。ここで隠語を使う理由も無いだろ」
大型のジェット輸送機で途中、郊館飛行場と呼ばれる大規模な飛行場へ寄ってから、この小規模な楓里飛行場へと到着した。ここが事件の発生した場所に最も近い陸軍の飛行場ではあるのだが、ジェット機の対応がなされていないので中型のレシプロ輸送機で来るしかない。
「それはそうでしたね。以後気を付けます、相坂二尉」
「……はぁ。周りがいる中では止めとけよ、白伏木少尉」
「『白伏木』は長いので、『愛乃』でも良いですよ?」
「もうすぐ実戦ってことを分かってふざけてるのか?」
「……もうすぐ実戦だからこそ、そう呼んで欲しくもあります」
「あんまり……、“ふざけた”ことを言うなよ」
「失礼しました」
いつもは悠然と、時に飄々とすら感じられるような愛乃だが、初陣ともなれば彼女も思うところもあるのだろう。緊張感のある眼差しを向け、その手先は少しの震えが現れていた。
「ふざけるのも止めてもらいたいけど、そこまで緊張することもない」
「それは……大丈夫です」
見ると彼女は肩の力が入っていたが指摘する前にはその力を抜いていたので、俺は今から乗る機体の方にへと向き直った。
月桂二型。戦闘月桂とも呼ばれる、大浜綴帝國陸軍に初めて制式採用された汎用ヘリコプター、月桂の戦闘対応型だ。軍内部もヘリコプターという新たな航空機の登場に対応しきれてはいないらしく、この航空機の分類は「戦闘可能な汎用機」らしい。固定翼機なら汎用機と戦闘機や攻撃機とは異なる分類になっているが。オートジャイロも長い間使われてはきたのだが、「オートジャイロ」という分類になっており、そこまで重要視もされなかったのだろう。オートジャイロを主に使っていたのは海軍というのもあり、陸軍上層部の中にはオートジャイロ反対派が一定数いたとも聞く。それらの理由もあってか、一部運用面でも重複する面もあるらしいが陸軍はその経験を活かせないでいる。
「相坂中尉、調整が終わりました」
「ありがとうございます。行くぞ」
「はい」
整備兵に礼を言い、愛乃と共に搭乗する。
「各種、始動前確認開始」
「了解。確認項目イ号1から5、確認、良し。6から10、確認、良し。11から……」
即座に離陸へ向けて各種確認を済ませる俺達。
「ホ号1から4、確認、良し。全項目確認完了。離陸可能です」
「了解、駒喰隊一番機より管制、離陸可能だ。離陸許可願う」
『管制より駒喰へ、離陸を許可する。離陸後、方位045を取れ。そして周波数を変更し、先行偵察を行っている司令偵察機の指揮下に入れ』
「駒喰一番機、了解。離陸する。……愛乃、頼む」
「駒喰隊一番機、離陸します」
愛乃は先ほどよりも緊張せず、安定した声を発して操縦桿に手を添えた。
翼が回転数を上げ、浮遊感が身体を支配する。
遂に、俺達の初陣だ。
同日 高砂島 六鞘地域 上空
『こちら陸軍空中司令部、鷹見隊。こちらの電探で駒喰隊の機体を確認した。応答せよ』
「こちら駒喰隊、参照点に到達。駒喰隊から鷹見隊、現状を報告せよ」
『状況は混沌を極めている。良く聞け。昨晩、去年の事件で拘留されていた容疑の掛っている原住民500人の内、襲撃を受け20名ほどが既に死亡、残りの殆どが別の拘置所へ移送が予定されているが、一部が脱走した恐れあり。今回襲撃を掛けた原住民の総数は不明。確認された数は20人ほどであるが、協力者や未確認の襲撃者はこれ以上であると予想されている。こちらからは警察含めた戦力統合を行っている。なるべく捜査範囲が被らないよう細心の注意を払うが、射撃時は現場の軍の他、警察にも注意せよ』
「駒喰、了解」
基地から見えた風景は森と山ばかりだったが、空から見たら更にその森林と山々が延々と続いているということが分かった。
「こんなところで人を見つけろってのか」
「私たちより速い飛行機だと、更に見つけにくいですからね。地面に居ても遭難しそうですし」
愚痴ったところで返って来るのは愛乃からの辛辣な正論だけだった。
『鷹見隊から駒喰隊へ。もうすぐレシプロ偵察機がそちらへ到着するため、周囲に注意せよ。直接の衝突が起こらなくても乱気流で操縦不能に陥る可能性は十分ある。偵察機は進路変更が少ない為、回転翼部隊が固定翼機の動きを予測して回避しろ』
「……駒喰、了解」
鷹見隊の管制官の言い方が多少気に食わなかったが、作戦や状況としては正しかったため素直に了承した。
『こちら大紫隊。貴君らが先行投入されている回転翼機の偵察部隊か?』
「駒喰隊から大紫隊へ。俺達は対地戦闘部隊だ。偵察が主任務ではない」
『大紫隊から駒喰隊へ、済まない。こちらも緊急かつ複雑な情報を扱う中で把握しきれていないところがある』
「こちら駒喰。大したことじゃない。ただ、大紫隊が敵部隊……もとい、目標を見つけ次第、こちらに情報を速やかに送ってくれ。俺達は固定翼機より足が速くないのでね。迅速な情報共有と先回りが重要となっている」
『こちら大紫隊、駒喰、了解した』
並列して作戦を行う部隊は程度話の分かる人間で良かった。……仕事中だけの話かも知れないし、他の人間は「こう」ではないのかも知れない。まあ、真実がどうであれ職務中だけ話を分かってくれたらそれでいい。
「さて、次の区画だ」
「次、移ります。……駒喰全部隊に通達。次の区画に移る。ついて来い」
『二番機了解』
『三番機、了解』
『四番機分かりました』
愛乃の透き通るようでいて独特の声色の令を下す言葉で、隊の他の機が従ってくる。
『こちら大紫隊。駒喰へ。貴君らの進行方向から10時の方向の山岳斜面森林部に原住民と見られる人影を確認した。俺達は鷹見隊に伝えるから、貴君らは先にそちらに向かってくれ』
「駒喰隊から大紫隊へ、了解した」
現場の偵察部隊からの報告の後からすぐに、司令偵察機からの命令が下りて来る。
『鷹見隊から駒喰隊へ。先ほど大紫隊から連絡があった、次の地点へ急行せよ』
先に移動をし始めていたが、ただただ了解の意を伝えて移動速度を多少速める程度にしておいた。
「見つかるか?」
「いえ……例の報告が見間違えの可能性は十二分にあるとは思いますが……」
「だよなぁ……」
この作戦、俺たちの役割は直接射撃することよりも追い込み漁の「追い込み」をする役割であるように感じる。回転翼の騒音がずっと同じような位置に一定時間鳴り続けるために逮捕・鎮圧対象を牽制できるというモノもある。……上層部がどこまで考えているのかは考えどころだが。寧ろ俺たちがここに居続けることで警戒されて俺たちが射撃することも無さそうとすら思えるな。
『鷹見隊から駒喰、その区域の詳細調査はもういい。指定する次の区域に行け』
「駒喰、了解」
結局のところ、俺達の初出撃は1発の実弾を撃つことも無く帰投することになった。
同日 夕方 高砂島 楓里飛行場 食堂
「まあ、警察と歩兵部隊がやってくれてるんだろうし、これで良い……のか」
晩飯を食す中で、そんなことを考える。
「仕事をした」という実感が全くないのが、こんなことを考えてしまう理由だ。
「相坂隊長、同席しても?」
「……白伏木か、良いぞ」
少し遅れて食堂に来た愛乃が俺の目の前の席に腰掛けた。
「初仕事、緊張してましたね」
「そりゃするだろ。白伏木もしてたろ」
「ええ、そうですね」
部隊外の人間も多くいるところでは、いつも以上に畏まっている愛乃。
普段から丁寧な言葉遣いをしているのでそこまで違和感は無いのだが、出撃前の態度を思い起こされ、そこからの多少の違和感のようなものが喉奥というか、頭の中か、そのどちらかに引っ掛かりを生んで心をゆっくりとかき混ぜた。
「でも少し、安心してしまっていたような気もします」
「……安心?」
「作戦が終わった時ですけど……まだやはり、目の前で人が死ぬ場面というのを覚悟できてないのかも知れないです……」
「……そうか」
いつも丁寧な言葉遣いと言ったが、少し違うかも知れないな。愛乃は生き方が丁寧で、真面目なんだろう。そこから丁寧な言葉遣いが出て来るんだろうな。
「その上私は……血で言えば本土の浜綴人と違っているので、本土の人ではない人を……殺めてしまうことに抵抗があるのかも知れません」
「……」
その言葉に対して返す言葉を持ち合わせてはいなかった。軽々しく俺の考えで彼女の考え、意思を汚したくはなかったからだ。
「甘い、でしょうか……」
「んなこたぁ無い。俺があい……白伏木だったとしても、その理由で躊躇う気持ちってのは分かるからな」
「でもその躊躇いで……隊長や他の人を危険に晒してしまったら……」
「撃つのは俺だ。主操縦手は移動と回避に集中したらいい」
「だからって……」
愛乃は自分の声が大きくなっているのに気づき、一度途中で言葉を止め、周りを確認してから再び話し出した。
「私は撃つ行為すら……任せているのに……」
「軍の活動として役割分担してるだけだ」
「……」
「白伏木の葛藤も多少は分かってるつもりだ。だけど、その感情を戦場にまで持ち越すなよ。それで判断力が鈍ればそれこそ死なないはずの人間が死ぬからな」
「……分かりました」
「ああ。これでこの話は終わりだ。飯食う時くらいは気にするな」
「……はい」
自責の念なのか何なのか、愛乃は少し涙目になっていた。暫く黙食していると、愛乃の顔色は元に戻っていった。
もう少し彼女の精神の安定に向けて何かしらしなければならないかと思っていたので、内心ホッとしていた。彼女自身の一種の安定した心の持ちようというか、その辺りは見習わなければならないところだろうなと思った。
「ごちそうさまでした。……隊長、今日はありがとうございました」
「俺は何もしてないと思うが……」
「それでも私の話に付き合ってくれて、私は助かりました。自覚は無くても、『私の為に』感謝を受け取ってください」
「……そうか。じゃあ、そういうことにしておく」
「はい。改めてありがとうございます。それではまた明日」
「ああ」
翌日 昼 高砂島 六鞘地域 上空
『鷹見隊から駒喰隊へ。先ほど原住民を都市の留置施設へ移送する警察部隊から連絡があった。次に伝える地点へ急行せよ』
明くる日の朝から索敵のみで緊張感も途切れてきたその昼に、眠気も失せる情報が入って来た。
『移動しながら聞け。件の襲撃はやはり今回の事件の発端になった原住民だ。襲撃を受けている原住民とは我々が統治する以前から対立していたらしい。まあ、半年前にこちらの鎮圧の支援行ったのはそういった対立からの感情もあったんだろうな』
鷹見隊の司令は諸情報を交えながら続ける。
『気になる情報が入って来た。それは警察内部に内通者がいる可能性が高いというものだ』
そして流れるように、重要な情報を流してきた。
『これを受けて陸軍では警察には警察現地部隊内の内通者を炙り出すことに専念してもらい、鎮圧は我々が主導して行うという判断をすることになった。ただ我々は警察部隊とは違い、暴動鎮圧用の武装は限られており、また火器類は暴動鎮圧を考えれば過度に強力であって、使用に伴う市井に対する安全性や奪われた際の危険を考え、歩兵部隊は安全の確保と要衝に駐留し監視の任務を主とし、牽制と攻撃は航空部隊を主とすることが決定した。そして』
息を継ぐために止まった言葉が再び紡がれる。
『小回りの利く諸君ら回転翼部隊が現地の鎮圧・戦闘を主として請け負うことになった』
「……っ」
司令の言葉に、愛乃が動揺したようだった。
『もうすぐ現場に到達するが、その時に改めて説明する。以上』
ブツンと通信は切れ、搭乗席は周期的に翼が空を切る音で包まれていた。
2人、沈黙のまま、地上はいつの間にか鬱葱とした山林の緑から、人工物が自然の中でも存在感のある風景へと変わっていた。
「見えました。1時の方向に護送車と見られる青い大型の車両」
「こちら駒喰、護送車の見える位置まで到着した。指示を請う」
『鷹見から駒喰。こちらからも諸君らの位置を確認した。現地から襲撃者の逃げた方向の情報が入っている。まずはそちらへ向かえ』
「駒喰隊、了解」
機体は指示された方向に正面を迎え、その前方へと傾いた。
六鞘地域 地上 山間部
「浜綴軍は?」
「歩兵共は撒いた。だが空のヤツらはダメだ。どうにもならない。陰に隠れる以外にやり過ごす方法が無い。隠れたうえで見つかったら逃げるしかない」
「卑怯な連中だ……」
「まあ、“アイツら”の数を減らせたのはそいつらを使ったからでもある。始める前にもっと調べた方が良かったな。……で、方法は何かあるか?」
「槍と……数は少ないが銃はある」
「銃は良いが……届くのか?」
「これから試すが……当たらないのか届かないのか分からないかも知れないな」
「『速いヤツ』は無理だろうが、『遅いヤツ』は槍を投げて届くかどうかも試した方が良いかもな」
「そうか。分かった」
「空がうるさい……そろそろ浜綴軍が来る頃だぞ」
「囲まれる前に逃げるんだぞ」
「分かってる」
同時刻 六鞘地域 上空
「断定はできませんが……いますね」
「ああ。木や草葉の影に紛れて、人の影が動いているのが見て感じられるな」
先ほどから更に山間部へと進んだところ、ただの山や森からは感じない違和感、緊張感が感じられた。人の気配があるだけで、こうも違うものなのか。
「駒喰から鷹見へ。周囲の地上部隊と警察はどうなってる?」
『鷹見から駒喰、その周辺の地上には軍、警察のどちらも展開していない。好きにやれ。ただ、弾切れには注意しろよ』
「駒喰、了解」
とはいえ、この機体に搭載されている弾薬などたかが知れている。気を引き締めなければ。
対して多くも無い7.62粍の機銃が1門、そして多連装空対地噴進砲が2門。
今回の事件の鎮圧で噴進砲については人道的配慮と万が一鹵獲された際の危険性を顧みられ、使用が禁止された。それなのに俺たちの機体に噴進砲が付けられていて、代わりの機銃や機関砲などが換装されていないのかというと、それは上層部と現場の連携が取れていないためだ。基地司令などはその旨を報告して申請しているはずなのだが……。
『二番機から一番機へ。こっちは西側から探索しても良いか?』
「一番機から二番機、分かった。地形は勿論、何も無いとは思うが念のために地上からの攻撃にも気を付けろよ」
『二番機了解』
「駒喰隊全機へ、二番機同様、各機散開して牽制と攻撃を行え。懸念事項は先ほど二番機に伝えた通りだ」
『三番機、了解』
『四番機了解。こちらはより東側へ移り任務を遂行する』
山を虱潰しに調べる4つの影。
人の気配を感じるが、その形を明確に捕らえることは未だ出来てない。
『二番機、牽制で発砲する』
「発砲の許可は既に出ている。態々言わなくていい」
二番機以外のところからも発砲音が聞こえてきた。痺れを切らしてきたらしい。
「駒喰から鷹見へ。暫く牽制射を続けてきたが、何か変化はあるか」
『鷹見から駒喰。地上部隊からの連絡は無い。任務を続行せよ』
「了解」
やはり多少の弾薬を山にばら撒く程度じゃいくら民間組織に毛が生えた程度の集団だとしても、あまり効果は望めないらしい。
「……にしても、狭くなってきたな」
「増援はありがたいですが……司令はちゃんと密度というものを考えているんでしょうか……?」
「さあな?」
軽く辺りを見回すだけで、俺たち以外の機が空を飛んでいるのが見える。
報告から恐らく偵察部隊や対地攻撃部隊なのだろうが、ここまで多いと衝突、墜落のことを考えてしまう。
「そろそろこっちも撃つか……」
「……はい」
鷹見の司令官が俺達へ現場での射撃の命令を出したときほどではないが、愛乃が動揺しているのが分かった。
多少の後ろめたさというか、躊躇いのようなものを感じる。が、それを瞬きで振り払い、引き金に指を掛けた。
「射」
曳光弾の先を眺めて確認する。
「手応えはまるで無いな」
「……」
俺の言葉に、愛乃は何を思っているのだろうか。
そのまま山に向かって数秒ずつ数回発砲するも、手応えは無かった。
「駒喰から鷹見へ。他の任務を考えるなら残りの燃料も考える必要もあるが、どうだ?」
『少し待て……ああ、その他の任務を考える必要は無いが、友軍の事情もある。帰投せよ』
「駒喰隊了解。駒喰一番機から駒喰各機、聞いたな。帰投す――」
――――――ッッッ!!!!!!
機体から響いた高い音が、俺の言葉を遮った。
「回避します!」
愛乃がそう声を発したと同時に、座席が急に傾き、機体は回避機動を取っていた。
『駒喰二番機から一番機へ、応答せよ。何があった?』
「心配するな、敵地上部隊の発砲で被弾しただけだ。機体にも搭乗員にも異常は無い。対空砲ではなく、警察の使う拳銃の弾がまぐれで掠っただけだろうからな」
『そうか』
「それに今から帰投する。過剰に不安がる要素も無い。とっとと帰るぞ」
『了解した』
「改めて、駒喰隊は一番機の下に集合せよ。その後に帰投する」
搭乗席に用いられている強化ガラスは軍の機関砲などには耐えられないが、下からの機銃なら耐えられるようであるし、低空飛行しているとはいえ警察の拳銃程度の弾を数発受けた程度で堪えるような機体でもない。
『駒喰四番機、全機、一番機を中心にした集結の完了を確認』
「一番機了解。帰投する」
今日も一日、特に成果という成果は無い日に感じられた。昨日との違いは前線らしい前線にいたというところだろうか。
と、思っていたときだった。
『鷹見から駒喰、どうした』
司令偵察機から、意外の言葉。
「どうしたとは、どういう――」
『二番機が地上からの『何か』に当たったぞ! 大丈夫か!?』
身体を捻って二番機がいたはずの方向へ振り向くと、想像した位置から少し離れたところで「何か」が刺さっている機体がフラフラとした挙動を取っていた。
「二番機、状況を報告せよ」
『……』
「応答せよ、二番機」
『……あ』
高度を取りつつ二番機を捕捉できる向きに変わり、声を掛け続ける。このまま応答なく墜落してしまうのかと思ったが、連絡があった。
『こちら……二番機』
「何があった」
『槍が……前方から……ガラスを破って……』
通信機器がやられているのか、それとも声を出すのも辛いのか、通信から雑音が多く聞こえてくる。
『砲手は……胸を……返答、無い……俺も……腕を……』
「近場で着陸できる場所を探す。それまで機体を持たせられるか?」
『操縦……旋回、不能……推力、低下……』
「分かった。喋らず操縦に専念し、出来るだけ着陸しやすい場所に降りろ。駒喰から鷹見。至急、救援部隊を」
『こちら鷹見、了解した。直ちに部隊を現地に送る』
「駒喰各機、警戒態勢を取れ」
『了解した』
『了解』
状況を把握して指示を送り、着陸する二番機を見守る。
『……墜……ち、る……』
「吉谷!」
呼びかけは空しく、機体は倒れるように傾いて山の中にへと墜ちていった。爆発こそしてはいなかったが、墜ちた後に黒煙が出ているのが見えた。
「鷹見、救助部隊はまだか」
『落ち着け。先ほど要請をしたばかりだ。早くても数十分は掛かるぞ』
「……っ。そうか、分かった。周囲への警戒を続ける」
暫く待ってみるも、再び二番機からの無線が繋がることはなかった。
『鷹見より駒喰、燃料の問題もある。貴君らは帰投せよ。別部隊に航空機による警戒を引き継がせる』
「……了解」
そしてそのまま、俺たちは基地へと帰投することとなった。
同日 夕方 高砂島 楓里飛行場
「ふっ……ふっ……」
「相坂中尉、いるか?」
作戦の事後報告を終え、何をしても墜ちた彼らのことが気になるため、自主鍛錬をしていると、俺を呼ぶ声がした。
「ああ。……樫田と吉谷が?」
「そういうことだ。正式な報告はこちらでやる。服を正してから来い」
服を着直すと会議室へと案内され、更にそこには部隊の他の隊員もいた。
「来たか」
「それで、状況は」
「それは……ああ、今から報告する」
召集を掛けたであろう士官が集まった隊員らに向き直り、息を整える。その雰囲気の変わり様に、こちらも息を呑んだ。
「まず彼ら、墜落した駒喰隊二番機搭乗員、主操縦手吉谷 術少尉、砲手樫田 充邦少尉の二名は現地時間午後三時二五分頃に救援部隊が墜落した機体の中で発見。その三〇分後に近場の病院へ搬送。後に両名とも死亡が確認された」
「「「……」」」
覚悟はしていたことだが、それでもこの報告には堪えるものがある。
「その両名を診た医師によると、主操縦手だった吉谷少尉は左腕部に刺さった槍を自力で引き抜いたと見られ、その時に既に損傷していたとみられる腋窩動脈……脇の下の動脈から大量の出血が発生し、そのショックにより死亡した……とみられるらしい。砲手の樫田少尉は槍が刺さった場所が心臓だったらしく、ほぼ即死だったとされている。なお、遺体には槍や墜落時の衝撃とみられる外傷以外の傷があり、恐らく我々と敵対する原住民による生死確認または遺体損壊がなされた可能性がある……とのこと」
俺たちの沈黙は続き、皆無力感に打ちひしがれていた。隊が結成されて短い間ではあったが、それでも彼らの死に何も心動かされないほど人を辞めてはいなかった。
「そしてこの件に関して両名には、二階級特進が授与されることとなった。その他墜落した機体については――」
その後、事務的な報告と質疑応答がなされた。
「――その他に質問などは無いか? ……無ければこれで報告を終了する。最後に、黙祷!」
黙祷をし、その場は解散。それぞれその後の話は無く、各自元の場所へ黙って戻っていった。
「ふぅ……」
就寝しようと身体を横にした時、思わず出た溜め息。
「……」
目を瞑り、再び彼らを想う。
俺が耳にした樫田と吉谷の最期の通信。樫田は砲手で、通信の殆どが彼のものだった。彼との最期のやりとりは俺たちの機体に銃弾が被弾して、それについて憂う話だったか。樫田は俺たちのことを案じてくれたが、俺は彼の最期に憂いの言葉を掛けることすらできなかった。吉谷は主操縦手で、彼らの乗る二番機が攻撃を受けた後に通信を行っていたのが彼だ。彼は槍を引き抜いた時の出血での死亡。樫田とは違い、墜落後も生きていたと考えられている。通信が途絶する前に、何か言えば彼は助かったのだろうか。それとも、原住民によって拷問などを受けていたのだろうか。今の自分には、どうしたって後悔の念以外は湧き上がってこなかった。
眼が冴える。
出来ることなら夜風にでも浴びたかったが、それをする訳にも行かないので目を瞑り、自分に眠るよう暗示を掛けた。起きていたのか寝ていたのかも自覚なく、いつの間にか窓から光が挿し込まれていたのだった。
5月1日 高砂島 楓里飛行場
二人が亡くなってから一週間程度経ち、月が替わった。俺たちの属する帝國陸軍第一〇〇飛行師団はヘリコプターを専門として運用と研究を行う師団であり、また遊撃師団としての側面も一応考えられていたが、現在のように扱われるほどその運用がなされるとは編成した軍上層部自身、その確度は低く見積もっていた。そのためか俺たちの部隊に新たな人員も機体も補充されることは無かった。駒喰隊は少なくともこの戦いが終わるまでは搭乗員6名、3機の編制のままであるらしい。
「状況を説明する――」
この作戦が開始され、1週間以上経った。警察に内通者がいるとの疑惑が生じ、活動の殆どが軍によるものだけになってしまったので当初予測されていた進捗よりも明らかな遅れが生じているらしいが、それでも自体は収束しつつある、とのこと。
「そしてこの周辺の地形にも慣れてきた諸君らには別の任務が用意されている」
そんな俺達に下された命令とは、夜間任務だった。航空機用の暗視装置の実装は以前からなされていたが、それをヘリコプターに搭載して大丈夫なのかの議論は以前からあり、この作戦を通してその使用が認められたということらしい。
今回の事件で航空機の損害は俺たちの部隊以外はないらしい。地上では何名かが犠牲になっているようではあるのだが。軍上層部の判断として、一定以上の損害が認められ、そして補充されていなく、こういった新たな危険の伴う任務に配されたとなると、恐らく上層部は俺たちを“損害の出ても良い部隊”と認識したのだろうと考えられる。
……我が国におけるヘリコプターの父と呼ばれる人物の娘もこの部隊にいるのだが、それでもそのような任務に就かされたということは、軍内政治の何某に巻き込まれてしまっているのかも知れない。「軍に属すると、こういうことが起こると父が言っていた」……と、俺の親父も言っていた。また、親父も自覚は薄いが巻き込まれていたかもしれないと言っていたので、これは“そういうこと”である可能性は高いな……。
「――以上が作戦の内容だ。質問はあるか? ……無いならこれで解散、一九〇〇時まで待機とする。本日急に伝えられた負担の多い作戦だが、昼の内に睡眠を取っておけ。以上だ」
その言葉に敬礼を返し、俺たちは宿舎に戻ったり待機所へと行き休憩を取ったりするのであった。
同日 午後8時 楓里飛行場
1時間前に招集が掛けられ、そこから準備と改めての作戦の概要の振り返りなどを行い、離陸する時間となった。
「全項目確認完了、離陸準備完了」
「こちら駒喰隊一番機、管制塔、離陸許可を願う」
『こちら管制塔、駒喰隊の離陸を許可する』
こうして、事態終息へ向けた締めへの作戦が開始された。
「こうしてみると、殆ど実験飛行みたいなものだな」
「実験自体は済んでいるので、実地試験とか情報収集を兼ねた実戦投入が正しいかも知れないです」
「そういうことじゃなくて……まあいい」
愚痴を続けようとも思ったが、態々士気を下げるようなことは言うべきでないと思い直し、口を噤んだ。
「にしても、見えんモノは見えんな」
「地形が多少分かるだけでも恐らくマシなんでしょう」
「砲手としてはな……特に相手が森の中の人となると、『居る雰囲気』も分かったもんじゃないからな」
「それは……そうですね」
操縦手としては地形さえ分かればあとは銃弾を避けるだけ。しかも夜だから敵が対空砲を使うなら曳光弾も分かりやすいはず。もしそうでない歩兵銃などだったら高度を取れば射程から離れられる、ということだろう。
この暗視装置で見える範囲は決して広くはないし、薄い葉っぱが木の下を隠しきらない程度なら兎も角、木々や葉が生い茂っているようなところでは透過しないので現状、役に立っているとは言えない。
「これで確実に出来るのは夜に相手の精神を削り取ることくらいだな」
「全くです」
この作戦に大した意味を見出せないのは愛乃も同じらしい。
「相坂中尉」
「どうした?」
「そろそろ時間です」
「そうか……駒喰隊各機、生きてるな」
『駒喰隊三番機、生きてます』
『駒喰隊四ば……二番機、大丈夫です』
「作戦終了時刻まであと……2分か。2分後に帰投するぞ」
『二番機了解』
『三番機、了解』
そうして帰投。
その後更に1日夜間作戦を実施してみたが、特にこれといった成果は無かった。
5月3日 午後6時半頃 高砂島 楓里飛行場 会議室
「大丈夫……ですか?」
「ん? ああ、愛乃か」
事前の作戦会議が始まる約三〇分前、早く目覚めてしまったがためにその会議が行われる会議室で待機していたが、俺が部屋に着くとすぐに愛乃が話しかけてきた。
「大丈夫そうじゃないのは愛乃の方だろ、操縦手なんだから」
「そうですかね? 確かに暗闇の中を暗視装置だけで飛ぶのは緊張感の絶えないモノですけど……兄さんもちょっと疲れてるんじゃないかと」
「そうか?」
「現に今、『兄さん』って言っても咎めませんでしたよ?」
「それは……あー……迂闊だったな」
あと、寝不足もあって頭がまだ寝てるな。
「それで、どういうところが疲れるところだと思いますか?」
「そうだな……夜間の任務は当然として……やっぱり管制もやってることかな。慣れないことに加えてその上慣れないことをしてるからな」
「いつも以上に疲労が多く溜まっている原因としてはあり得ますね……」
部隊の行動では管制機が指揮しないことも普通にあることではあるのだが、今まで昼で実地の任務は管制機ありきでの作戦が全てだった。それが突然夜間の作戦で部隊を指揮するとなっては、精神の表面的な部分では「多少疲れた」くらいで済んでいても、実はそれが溜まってきているのかも知れない。
「まあ、事態は徐々に収束し始めているし、どうともないことを祈りたいが……」
「……気は抜けませんね」
俺達には前例と言えるようなものがあった。俺達はただそのことを忘れず、注意し続けることが一つの弔いにもなるだろう。
そして昨日、一昨日と変わらず、この一時間半後に出撃となった。
六鞘地域 上空
「……残り時間はあと半分だ。集中して周囲を警戒せよ」
『二番機了解』
『三番機、了解』
慣れてきた分、素の眠気が襲ってくることもなくなったが、それに対して緊張感の低下は自分自身感じられた。
そして任務の一つの区切りがついたときに、改めて緊張の糸を結び直そうとしたときだった。
『こちら二番機、10時の方向に炎が見える』
その無線に、嫌でも背筋が伸びる。
すぐに二番機が示した位置へと向かい、状況を確認した。
「う~ん……火は明るいですけどそれでこちら側の周りが照らされてるわけでは無いですし、何が起きているかは分かりませんね……」
「歩兵部隊や警察がいるかどうか……無線で応答を試みてみる。あー、あーこちら帝國陸軍第一〇〇飛行師団所属、駒喰隊。応答可能な部隊は応答せよ」
事態の変容のため開放されている無線周波を使って呼びかけて数秒。
『こちら第四八師団通信隊。駒喰隊、どうした』
現地で活動する部隊の通信隊へと繋がった。
「こちら駒喰。こちらから見える位置に炎が上がっているのが見える。そちらに異常は無いか」
『こちら第四八師団通信隊、こちらへはまだ火災などの被害報告は上がって来ていない。こちらも上層部へ指示の確認を取ってみるが、駒喰隊も詳細な状況の把握は可能か?』
「その言葉が偵察を指すならそれは可能だ」
『では頼む。他に何かあるか?』
「公開回線では内通している警察関係者にここで話した内容が筒抜けになる可能性がある。これからは次に示す周波数へ通信帯域を替えてくれ。これから替える周波数は――」
必要な準備を済ませ、炎が燃え上がっている場所に更に近づいていく。
「これは……車両か?」
「……みたいですね」
見えて分かったのは、何かしらの車両が燃えているということだった。
「人は……ここからじゃいるかどうか分からないな」
「回り込んで見てみますか?」
「頼む。駒喰一番機から各機、周囲に武装した集団がいるかどうか、確認せよ。駒喰隊から第四八師団通信隊へ、火災の発生地点を改めて伝える。場所は、六鞘の――」
通信しながら機体が燃え上がる日の向こう側へと回り込む。
「こちらからみても人は……いないですね」
「変だな……何の車か……警察車両か?」
「田舎とは言え警察車両が燃えて周りに人がいないのは変ですね……本当に何があったんでしょうか……」
「野次馬も居ないのはな。駒喰隊から第四八師団通信隊へ。燃えているのは警察車両であることが分かった。周囲には野次馬も含め人っ子一人も居ない。燃料が自然発火している可能性も無いことも無いとは思うが、異常事態が起こっている可能性も否めない。念のため、警戒せよ」
『第四八師団通信隊、了解した。地上部隊全体に情報共有をしておく』
「よろしく頼む。……後は……警察に無線で呼びかけてみるか。こちら帝國陸軍第一〇〇飛行師団駒喰隊、応答可能な警察部隊はあるか。繰り返す、こちら帝國陸軍――」
警察に対して呼びかけること数十秒。
「……応答は無いな。駒喰隊他、そちらの無線でも聞こえてないか?」
『こちら二番機、聞こえてこないな』
『三番機、二番機と同じくだ』
「そうか。本当に何があった……」
詰め所とかに人が居ないのか? 若しくは本当に廃棄された警察車両が自然発火したのか? いくら田舎とはいえ、こんなところに警察の車両やらが廃棄されているとは到底思えないが……。
そう思っていた時だった。
「ん? 人……か?」
「……っ! 一応上昇しておきます」
愛乃が何かを察知したのか、機体を少し上昇させる。
「やっぱり……撃ってきましたね」
「何かの罠か?」
「でしょうね」
被弾は無かったが突然現れたその影から、発砲炎と見られる光が胸から腰あたりから放たれた。
「駒喰隊から四八師団通信隊へ、燃えている車両の近くから人を確認。暗くてよく見えないが、発砲された。もしかしたらそちらにも何らかの攻撃などが発生するかも知れない。こちらも反撃するが、近くに帝國軍部隊や警察部隊の展開は無いな?」
『……』
「……第四八師団通信隊、応答せよ。どうした?」
一応の確認として報告を含めた連絡をしてみたが、無線は先ほどよりも長く沈黙を保っていた。
『こちら第四八師団通信隊。駒喰隊へ、こちらも状況に変化があった。何者かから攻撃を受けている。そちらの方面には部隊の展開は警察含めてあるとは聞いてない。そちらの鎮圧が完了次第こちらへの支援に来ることは可能か?』
「分かった。こちらが済み次第そちらへ支援に向かう」
どうやら思ったよりも大規模な計画の中の攻撃だったらしい。
「駒喰隊各機、聞いたな? 射撃開始」
二番機、三番機からの了解の声を聞き、鎮圧を開始した。
「命中したか、はっきりとは分からないが……」
「当たったのか弾切れをおこしたのかしたんでしょう。意図的に高度を下げても撃ってきてはきませんね」
「だな。駒喰隊各機、他の脅威は無いか?」
『二番機、ありません』
『こちら三番機、こっちも無いです』
「分かった。では第四八師団の支援にまわるぞ」
『『了解』』
「こちら駒喰隊。第四八師団通信隊、こちらの仕事は終わった。そちらに向かう。位置を伝えてくれ」
またも通信の返答が遅かったがために多少肝を冷やしたものの、位置情報を伝える声が聞こえてきたため、しきらない安堵の情が生えてくるのだった。
「駒喰隊、先に言われた位置にまで着いた。どうすれば良い」
『早速だが二機を部隊右翼陣の支援、もう二機を部隊中心を軸に哨戒を頼みたい』
「……っ、通信隊へ、悪いがこちらは諸事情あって稼働機は三機だけだ。どちらを一機にしたらいい?」
『……済まない。部隊中心にまわす機を一機、右翼陣側を二機で頼む』
「駒喰隊、了解した。二番機、ここに残れ。三番機、行くぞ」
部隊を二分して、言われた配置に着いた。
『こちらが見えるか?』
「誘導灯も探照灯も無いが……」
『そうか、少し待ってくれ……。こちらの位置を敵に知らせない為、こちらから光を焚くが、3秒で消す。良いな?』
「分かった。注目する」
地表をよく見ると、ある場所に振られる光。そして暫くしない内に消えてしまった。
「今消えた、振っていた光だな?」
『そうだ。この上で滞空してくれないか?』
「射撃目標はどうだ?」
『こちらも曳光弾を使って射撃している。その命中した周りに牽制射を頼めるか?』
「分かった。ただ搭載されている機銃の弾数はそこまで多くない」
『分かっている。弾切れ、燃料切れを感じたら報告し、帰還してくれ』
「駒喰了解。交戦を開始する」
通信を終えて数秒と経たない内に真下の部隊から光の尾を曳く弾が幾か所にへと集い、回転翼が生み出す雑音を越えて爆音が肌身を通じて届いた。
「駒喰隊、撃ち方始め」
『駒喰隊二番機、了解』
そして始まる俺たちの目線の高さから流れる曳光弾。
「下が止めたな……。駒喰隊、撃ち方止め」
下の部隊が撃っている地点に敵対している集団がいるかどうかも分からなかったが、いつの間にか他の射撃が止んでいたのでこちらの射撃も止めてみた。そもそも今敵対している連中が件の襲撃を引き起こした原住民という確証も無い。
本部に対する猜疑心が表れつつあったところで状況が移った。
「駒喰隊、撃ち方始め」
俺たちの目に映ったのは、着弾したあたりの地点からの発砲炎だった。
「駒喰隊、撃ち方止め。……第四八師団、問題無いか?」
向こうからの発砲炎が静まり、地表の部隊に安全を問うた。
『……こちら第四八師団通信隊。先ほどまで対応していた岡原少佐に代わって対応する。岡原少佐含め複数名が被弾したが、部隊としては問題ない。こちらが確認する限りでは反撃は見られない。駒喰隊は中央を軸とした周囲への警戒に当たってくれ』
「……そうか、分かった。攻撃支援に当たっていた駒喰隊は警戒に当たる」
編成を整え、警戒態勢を敷く。
「それにしても、何故今になって攻撃を仕掛けてきたんでしょう?」
「断定はできないが、彼らも戦闘にまわせる資源が枯渇しているのかも知れない。残りの資源が枯渇してできることは投降か打開するための戦闘だろうからな」
「そう……ですか」
「何か他の考えが?」
「いえ……少し、感傷的というか何と言うか……」
「……まあ、無理に口にしなくていい」
「……ありがとうございます」
その後、暫くして燃料の残りから考えて警戒の任を降り、帰投したのだった。
5月8日 正午前頃 高砂島 楓里飛行場 会議室
「注目!」
俺達が高砂島に来てからおよそ二週間が経ち、ヘリで射撃を要するような戦闘は無くなっていた。そんなある日の昼に、召集が掛けられた。
「作戦本部より、命令が下された」
その内容とは――この作戦を、終了とすることだった。
陸軍情報部がいつの間にか今回の襲撃を決起した先住民族の個人情報の把握とそれに連なる逮捕者と死亡者の照合、襲撃を受けた昨年の事件の関係者のより安全の確保された拘置所への移管が完了したことで、残す問題は裁判で解決すべき内容のものや民事やらのものだけが残っているらしい。俺達前線で戦う軍人はお役御免となったようだ。
「――そして、第一〇〇飛行師団の本土基地への帰還と編成の再確認を以てして、当師団にとっての事案の完結とする。この報告後、明日〇八三○時までを休息時とし、〇九○○時から本土への帰還を開始する。他に質問は……無いな? 以上、解散!」
こうして俺たちは、胸の内にある種のもやもやを抱えながら、本土へと帰還することになったのだった。
同日 昼食後
「相坂中尉」
「……ん、どうした? 白伏木少尉」
久しぶりの緊張の解けた昼食の後に、愛乃が話しかけてきた。
「少し、よろしいでしょうか?」
「良いが……場所を変えた方が良いか?」
「そう……ですね、あまり他の人に聞かれないところの方が良い、ですかね」
「うーん……外はそこそこ暑いけど、外と中、どっちがいい?」
彼女の意を汲んで、あまり人から聞かれなさそうな部屋に移動することになった。
「本題に入る前に、その……口調を崩しても良いでしょうか?」
その言葉に一度周囲を確認する。
「……まあ良いが。で、その話って?」
愛乃が話を始める前に、その喉がほんの少し鳴った気がした。
「私、何もかもが甘かったなって……」
「俺は別に、そうは思わなかったがな。愛乃が全うすべき任は果たしていたし。……俺もこの通り生きているし、な」
多少ばかり彼女のことを庇ったつもりだったけど、彼女の顔色は変わらなかった。
「任務の方は……なんとかこなせましたけど……。そもそもの考え方、と言いますか……」
「考え方……」
作戦が始まる前、彼女は話し方や雰囲気が変だったし、それなりに精神的な負担が大きかったのもある。それに初日の仕事を終えてから俺に話をしたのは、彼女のこの国に於ける立ち位置についての苦悩だった。
彼女にも「思うところ」というのがあるのは理解しているつもりだけど、俺にはその内容の全てを理解できるとは思えない。例え理屈を理解できたとして、共感はできない可能性は高いだろう。
「私は最初、『血は本土の浜綴人と違うから、本土の人ではない人を殺めてしまうことに抵抗がある』と、言いました。その後、私は私について、甘いかもって言ったのを、兄さんが否定してくれました。けど、やっぱり……」
そう言って彼女は、床を見ていた視点を彼女の組んだ手に移した。
「私は、私が考える以上に、甘かったんです」
彼女は続ける。
「樫田さんと吉谷さんが撃墜されたとき、私は、二人を墜とした人を、どうしようもなく許せませんでした。それだけだったらただ仲間意識での怒りでこの感情を説明付けることができます。でも私は――墜とした人だけじゃなくて、その原住民族の人たちまで呪ってしまったんです」
目を瞑り、まるで自らに罰を課すかのように組んだ手には力が込められていた。
「仲間として過ごした時間は決して長いとは言えなかったかもしれません。でも、怒ってしまった……“怒れてしまった”んです。二人が命の危険に瀕して死んでしまったことには勿論、怒りはあります。その上で私は……『もし墜ちたのが私たちの機体だったら』って、考えてしまって、それで……」
以前とは違い、彼女が泣きそうになることはなかった。だがその代わりと言ったら良いのか、その顔は自らへの怒りで染まっていた。
「私は……私はこんなにも自己中心的で、考えの無い――」
「愛乃」
「だって!」
「まずは落ち着け。周りに聞こえる」
「それはっ……んうっ……」
宥めてはみるも、その怒りが和らいだようには見えなかった。
「戦場に憎しみ、ひいては感情を持ち込むべきじゃない。それは確かだ」
「……」
取り敢えずはこちらの話を聞いてもらえるように、彼女の意見の一部を肯定してみる。
「だが、前線の兵士は感情を持った人間だ。仲間が殺されたら殺した人間、またその属性を憎しむことになるだろうし、自分が死ぬかもしれない環境に置かれたら恐怖するのも当然だ。愛乃も……俺だってな」
「……」
「それは他の人たちもだ。心のどこかに憎しみはあるし、恐れだってある」
「じゃあ、どうしたら……」
「俺達は司法じゃない、ただの軍人だ。任務にあることをする。本当にただ、それだけなんだ」
俺の言葉に顔を上げた彼女の瞳を真っ直ぐに見て、言葉を続ける。
「与えられた任務に集中してこなしていて、余計なことをせずにいるのなら、その任務にどんな感情を乗せていても構わない。問題になるのは感情が先に出て注意が散漫になったり、任務外の行動を取ったりすることだ」
「……」
愛乃は何か言いたげではあったけど、俺の言葉を咀嚼しているようでもあった。
「例え戦場で、感情的になっても良い、と……?」
「それが任務や軍法に背くことが無い限りは。任務や軍法、仲間の命より感情を優先させるのなら、その限りではないが……。要は自分の感情との付き合い方次第、ということだ」
「……はい」
「何か……懸念点でもあるか?」
「いえ……ただ、まだ自分の感情がその……追いついていないというか……頭を冷やす必要があるかなって、思いまして……」
「そうか……分かった。また何か相談があったら、言ってくれ」
「はい……」
「もし俺に相談がし難かったり嫌だったりするなら、他の隊員や医師に相談もできることを――」
「ありがとう、ございます。……でも、私が一番に相談できるのは、兄さんなので」
「……そうか。他は大丈夫か?」
「ええ。それでは、失礼します」
自責の念に駆られ、自罰的だった愛乃の態度は緩和していた。
彼女だけが精神的に参っている訳じゃないかも知れないと思い、帰る前に駒喰隊の他の隊員とも話をしてから楓里飛行場の宿舎に於ける、最後の就寝に向かうのだった。
結局、俺たちは仇討ちも果たせたのかも分からないまま本土に帰還し、政府の宣言によってこの戦いは終わりを告げたのだった。