#49 マーキュリー・ブラッドの懊悩/ソーヤと或る怪人
——わたしにはなにもない。
「どうしたのよ、マーキュリー。大きなため息なんかついて」
寮の一室。食堂の部屋で、親友——クリスちゃんはわたしに尋ねる。
休日の日中。昼食時から少し過ぎたこの広い部屋には、普段は誰もいない。一人きりになりたいときによくお世話になってるこの一室に、わたし以外の人がいるのは珍しい。
「なんでもないよ」
笑って答えてみるけど、小柄な彼女は真面目な目をしてわたしを見つめて。
「そんなことないんでしょ。……なんの解決にはならなくっても、話くらいなら聞くわよ」
軽い嘆息とともに告げられた言葉に、しばし目を丸くして。
「……これはあくまでひとりごとなんだけどね」
自分に言い訳しつつ、わたしは再び息を吐いた。
「わたしって、ほら。——なんにもないじゃん」
——わたしにはなにもない。
魔法の才能は平凡の域を出ないし、頭も決して良くはない。学園での成績は中の下。
個性も薄いし影も薄い。目標とか将来の夢とかそういったのもない。ただこの若い時間を無意味に浪費していくだけの日々だ。
幸いと友達には恵まれたと思う。周りの人には恵まれている自信はある。そうでなければいまここにはいないだろう。
けれど、友達はみんなわたしとは違う。才能に恵まれ、途方もない努力をして、遥か高みへ向かっていく。
ただ一人だけ凡人のわたしは、無力さと悔しさを抱えながら高い空を見上げるしかないのだ。
その光に目をくらませながら、ただ「己はただの平凡な人間でしかない」という事実をありありと刻みつけられるだけなのだ。
「……そう」
クリスちゃんは少しだけ目を伏せた。わたしはあわてて。
「あっ、なんでもない。クリスちゃんに言ってるわけじゃないよ。……これはただの……ただの弱音だから」
ごまかし笑いがどこか空虚に聞こえた。……目を逸らし気味に「コーヒーでもいれてくるね」と逃げようと席を立ったわたしを。
「待って」
クリスちゃんは真剣な声音で止めた。
「……なぁに」
恐る恐る尋ねた。そして、返された言葉。
「あんた、学校やめようとか考えてないわよね」
「…………」
なにも返すことができなかった。
「……それがあんたの選択だって言うなら、止めはしないわよ」
嘆息するクリスちゃんに、わたしは背を向けたまま、何も言わず。
「けど、マーキュリー。あんたには何も無いなんて、そんなのは絶対に認めないわ。……自分を卑下するな、ばか」
厳しそうな強い言葉。けど、とっても優しげな声音。
わたしはついぞ何も返せないまま、その場を去った。
*
休日の日中。
「だうも、ソーヤ・イノセンス孃。……否、少年と呼んだはうがよろしいでせうか?」
寮の自室にて、仮面をつけた少女と対面していた。
僕の銀髪ともマーキュリーのきれいな白髪とも違う、色素の抜けた老婆のような白髪。そしてまるで喪服のような黒い着物を身にまとった不気味な少女。
「……どこから入ったの?」
魔法を繰り出す準備をしながら、僕は彼女を睨みつけていた。
僕を「少年」と呼んだ。——僕の性別を知っている。
警戒する理由としては十分すぎた。
「窓から失敬いたしました。そも、ワタクシは神出鬼沒ですので」
「しんしゅつ……え、なんて?」
「おつと、舊字體が讀めませんでしたか。それは失禮」
言いながら彼女は、喉の下の方をグリグリと押す。声音を調整するかのように。
「あ、ああ、ぁ。おひょ。——これでよろしいですかい、少年」
「……違いがさっぱりわからないんだけど」
「喋り方の歴史的仮名遣いと旧字体の設定をなくしました。雰囲気は損なわれますが、このほうが読みやすいでしょう? 作者としても変換器に通さずに書けて楽でしょうし」
何を言っているのかさっぱり理解できないけど、たしかに聞き取りやすくなったような気がする。
割と釈然としないが、気にしないことにして。
「……色々聞きたいんだけど——まず、君はだれ?」
問いかけると、彼女は仮面の表情を崩さず答える。
「怪人二千面相とでも名乗っておきましょうか」
「二千……多すぎない?」
「英雄殿——スミカ・イワト女史にも指摘されましたねぇ。落ち着かなければ『ジェーン・ドゥ』と呼んでくださっても構いませぬよ? 今度からそう名乗るつもりなので」
「……どっちが本当の名前なの?」
「どちらも真名ではございませぬ。そも、ワタクシは『本当の名前』というものを持ち合わせませぬ。故、どう呼んでくださっても構いませんよ」
「じゃあ、ジェーン」
呼びかけ——手の内で、魔法の発動準備をしながら。
「どうして、ここに来たのかな」
尋ねると、彼女は「おひょひょ」と一つ笑って。
「——アナタの『秘奥』を、識りたいのです」
答えた。
僕は手のひらに魔力を収束させ——「おお、お待ち下さい早まらないで下さい勘違いなさらないでください」手のひらを前にだして振る彼女に「勘違い? なにが」と尋ねるが早いか。
「ワタクシはアナタたちに一切の危害を加えるつもりはございませぬ。——むしろ、取引をしたいと思いましてですねぇ……」
冷や汗をダラダラ流しつつ答えるジェーン。
「取引……?」
「きっとアナタの不利益にはならないと思いましてですねぇ……? 話だけでも聞いていってはもらえませぬかねぇ……? ……いくらこの世の理を外れているからって、痛いものは痛いのですよぉ……?」
彼女の目は顔全体を覆う仮面で見えないものの、涙目になっているのが容易に見て取れた。
僕は少しだけ考えて、それから息をついて——八割方発動しかけていた魔法を解除した。
「……話して」
ジェーンを座らせてから急かす。すると彼女はどこからか持ってきた緑茶をすすり、ほうっと息をついてから答えた。
「ワタクシの本性は『智慧の龍』。知識欲のためだけに、この世の理を捻じ曲げて悠久の時を生きている存在でございます。
いままでは故有ってとある者のとある野望のために体の一つを貸し出し、アナタの捕縛のために動いていたのですけれども。
——アナタの生み出したあの、仕組みもわからぬ大魔法を見て……考えが変わりましてねぇ」
「……えっと、どういうこと?」
「要は、識りたくなったのです。アナタの生み出した魔法——『天使の輪』と『銀の弾丸』を。
智慧の龍としての本能として。——世界を変えうるその魔法のことを、私は知らねばならぬのです」
熱弁する智慧の龍に、僕はため息をついた。
「でも、それだけだと取引に成らない気がするんだけど。——お返しに、あなたは何をくれるの?」
尋ねてみると、彼女は「おひょひょ」とひとつ笑った。
「ワタクシからは、その魔法の改良と研究のための智慧を与えましょう」
僕は目を見開いた。そんなことができるのか?
けれど彼女はそんな疑問を見透かしたように答えた。
「——ワタクシは『智慧の龍』にございます。悠久の時——少なくとも千年以上は生き続け、その間にこの世のありとあらゆる知識を得続けた……否、現在も得続けており、これからも得続ける……そんな存在でございます。
そうして得た知見を分け与えられる。自ずから言うのは気恥ずかしいことではございますが——人の身では得難い経験であろうことは、間違いないと思いますよ」
そんな口車。乗ってもいいのか? ——いや、迷う余地などなかった。
「わかった。……お願いします」
魔法を極めることに、何をためらう必要があるのだろうか。
「ええ。……こちらこそ、よろしくお願い致します」
ジェーンは仮面を一つ落とし——その下から満面の笑みの顔をした仮面が現れた。
——こうして、僕らは夜な夜な密会を重ねるようになる。
その成果が衆目にさらされるのは、もうしばらく先のことである。
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