#29 皇女様は遊びたい 下
狭い寮の部屋。
「紅茶、美味しいですわね」
嘆息した私に、白い長髪の彼女——マーキュリーさんはふふんと胸を張って。
「ありがと。ソーヤちゃんに習ったんだー」
自慢しました。誰に言われているでもないのに。
「あの方、そんなに美味しいものを作れるんですのね。教え方は下手なのに」
「そうだねぇ。あの子、なんというかすっごく頭固いところがあるから……」
笑う彼女に、私は俯き——軽く頭を振り。
「そういえば、アリアさんはどこに行ったのかしら?」
「神社のお掃除らしいよ? ボランティア。大変だね」
「……クリスさんは?」
「さっき出ていったソーヤちゃんの後を追って出てっちゃったみたい。寮母さん、怒るとすっごい怖いんだよー」
「へぇ……」
へらへらと微笑む彼女。私はまた押し黙りました。
沈黙が数秒。
「あの、とても聞きにくいんだけど……」
彼女が口を開いた。
「シャルちゃんって、どうしてこんなに勉強が嫌なのかな」
そんな飽きるほど聞いたような質問に、そういえば彼女たちにはまだ詳しくは言ってなかったなと答える。
「意味がないからですわ」
「どうして、意味がないと思うの?」
「……すぐに死ぬからですわ。もうすぐ死んで消えてしまうのに、要らぬ努力をして最期まで苦しもうとすることほど馬鹿げたことはありませんもの」
この考え自体も、きっと魂とか死後の世界とかの概念が根付いたこの世界では珍しいかもしれません。
けれど、死んだら結局、残るものは骨だけなのです。しかも私は死後、存在した記録も消えます。骨も合同墓地にバラバラと撒き散らされるのみで、きっと誰の記憶にも残らないでしょう。
死はすなわち存在の消滅に過ぎない。私はその運命すらも当然のように受け入れていました。
もう何もできる余地などないのに、どうして努力をする必要があるのでしょうか。
「なので、私は座して、ただ来たるべき終末を待つ。ただそれだけのことですわ」
微笑を浮かべて答える私に、しかし彼女は。
「——なら、どうしてそんな、泣きそうな顔をしてるのかなぁ」
そんな事を言いました。
沈黙、再び。
今度は少し長い無言の時間。その後。
「……似てるなぁ、あの頃の私と」
切り出したのは彼女でした。
「どういうことですの?」
そう尋ねると、彼女はまた目を細めて、話しました。
「私はね、凡人なんだ」
彼女には——マーキュリー・ブラッドには才能がなかったといいます。
判明したのは、彼女が十歳の頃です。
何不自由ない環境で育ち、吸血鬼としての才能で褒めちぎられて育った彼女。当時はおどおどしつつもそれなりの自信を持った健やかな子どもだったそうです。
けれど、その自信は簡単に崩れ去りました。
「わたしの生まれ育った村に、一人の天才が降り立ったんだ」
彼女は悲しそうに笑いました。
その少女は、幼馴染だったといいます。
昔からよく遊んでいて、よく知っていたはずの相手。しかし、その少女は数日で異様なほど強力な魔法を使いこなしていました。
曰く、少女は家出をして——その中で、とんでもない天才と出会ったのだそうです。そして、その子に邪魔者扱いされて、置き去りにされて、帰ってきたのだといいます。
その手には幾多の傷跡が滲んでいて。
「文字通り、血の滲むような努力を重ねたんだと思う」
そんな言葉に、私は息を呑みました。しかし、その次の一言で、言葉を失います。
「けど、わたしが同じように努力しても同じようにはならなかったんだ」
きっと、やれることはすべてやったのでしょう。けれど、同じように強くなることはなかったのです。
「何日経っても、何週間やっても、何ヶ月やっても……その子に追いつくことはなかった。少しはできることが増えたけど、それでもだめだった。わたしのプライドはどんどんとすり減っていったの」
もちろん試行錯誤はしました。けれど、どれほど心をすり減らしても——成長の幅はわずかで。
「それでもう、自棄になっちゃって。——一度、崖とかから飛び降りて、死の淵を味わえば少しは違うんじゃないかとすら思った。……いや、違うな。死という希望に縋りたかったのかもしれない」
目を細めつつ、しかし真面目に話すマーキュリーさん。
「……けど、なんで生きてますの?」
少し失礼かもしれない、とは言ってから思い至りました。
しかし、彼女は柔和に微笑んで答えました。
「ほかでもない、その幼馴染に止められちゃったんだ」
「皮肉、ですわね」
「思いっきり喧嘩した。そのときに、あの子に言われたんだ」
一区切り、彼女は息を思いっきり吸って、叫ぶように言いました。
『——生きてる限り、運命なんて変えられるじゃない! 簡単に諦めようとするな、バカっ!』
なんだかよく知っているような声でした。
「あ、クリスちゃん、来てたんだー」
「ええ。いいニュースがあってね! それより、何の話してるの? 聞かせなさいっ!」
どうやら本人登場らしいです。
「なんでもないよぉ。皇女様の人生相談してただけ」
「その割には、私の話ばっかりに聞こえたけど?」
「あはは。……いつからいたの?」
「さっきから」
「……そっかぁ」
親友に嫉妬されていた、なんて事実。きっとクリスさんは気にしないんでしょうけれども。
「でもね、あの言葉のお陰で、魔法学校もなんとか合格できたんだもん。クリスちゃんには感謝しかないよ」
「ふんっ。……そんなの、あんたの実力を出し切ったからに決まっているでしょ。私はその手助けをしたに過ぎないわ」
「さすが、首席様は言うことが違うね」
「ありがとっ」
「皮肉だよ?」
マーキュリーさんの頭をぐりぐりするクリスさんを止めつつ、私は少し考えを改めました。
——簡単に諦めようとするな。
もちろんそんな考えを持つこと自体、簡単なことじゃないけれど。
「シャルちゃん。——諦めなければ、きっと希望は拓けるんじゃないかな。少なくとも、わたしはそう信じるよ」
マーキュリーさんのそんな言葉で。
——もう少しだけ足掻いてみようかな。
少しだけ、そんなことを思えました。
「そういえば、いいニュースってなぁに?」
マーキュリーさんがクリスさんに尋ねます。
「あ、忘れてた」
「忘れないでよぉ」
笑い合う二人に、私もつられて笑い——。
「ソーヤに伝言を頼まれたのよ。——シャルを活かす道が見つかった……かもしれないって」
——固まりました。
沈黙に包まれる室内。「え? 私なにかやっちゃった?」と戸惑うクリスさんをよそに、マーキュリーさんが私に向かって笑いかけました。
「ほらね。——希望、見えたよ」
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