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過去という今日の僕のこと

作者: 雪餅

 起床、それから外出。そして帰宅──現在私は夕飯を咀嚼している。だがこれもすぐに過去になる。今日起きた出来事は全て、いつかとは言わず、すぐ過去に変わってしまう。これから語るのは、そんな()()()()()()()()()のこと。




 (さかのぼ)るのは午前十時半、ある友人と邂逅(かいこう)した。本屋での出来事だ。新発売の本を手に取ろうとして、お互いの手が重なる──みたいなロマンチックな出会いではなく、会計を済ませた後に店の前でばったりと。彼と会うのは高校卒業以来。いや、正確に言えば高校を卒業してから二日後以来だった。時間にすれば約二年半ぶりとなる。


 彼との思い出は語るに語り尽くせないものである。部活仲間だった期間が大体三年、そして恋人だった期間が二年と三ヶ月。偶然の再会に少し動揺したのは、私だけではなく彼もだったようだ。彼の表情がそれを物語っていた。会わなくなってから二年半経っても、それほど表情筋の発達していない彼の感情をある程度は読み取れるらしい。


 私は少しだけ勇気を出した。


 あれ以来一度も話していなかったが、彼のことを忘れたいと思っていたわけではなかった。だから、近くのカフェで話そうと提案した。


 意外にも彼は私の提案に乗ってきた。その上、近くに美味しいケーキがある店を知っているとまできた。きっと、彼がこっちに来てから一年半が経つ間に新しい恋人でもできたのだろう。そういう考えが頭に浮かんだ。



 それからカフェでは当たり障りのない話をした。話したかったことは沢山あったはずなのに、どうにも上手くその話題に繋げられなかった。

 この一年半をどう過ごしていたのか。どうして私と同じ地方の大学を受けたのか。どんなサークルに入ったのか。大学生活は充実しているのか。新しい恋人は出来たのか……。


 聞きたいことは沢山あった。


 しかし、せいぜい聞けたことは、さっき本屋で何を買おうとしていたのかということくらいだった。

 彼が中学の頃からずっと読んでいる漫画の最新巻を買うつもりだったらしい。私も彼の影響でその漫画を読むようになり、今日はそれを買いに行っていた。そのせいで、はたまたそのおかげでと言うべきか、話が途切れて気まずくなることは無かったものの肝心の聞きたいことを聞けなかったのだ。


 そのまま時間だけが経っていき、彼が腕時計を気にし始めた辺りでようやくひとつを切り出せた。


「あ、サークルとかでもう時間やばい?」

「いや、今日は午後からバイト。あと一時間ちょっとはいれる」


 バイトか。どこで働いてるんだろう。そうお思うと、またひとつ聞きたいことが増えた。


「そうなんだ。どんなバイトしてるの?」

「ファミレス。ここからそんなに離れてないからまだ時間は大丈夫」

「へぇ〜。今度食べに行こうかな」

「何回も来たことあるでしょ」

「え?」


 今までで彼が接客しているところなんて見たことがなかったから、そんな素っ頓狂な声を出してしまった。


「俺ウェイターじゃなくて厨房の方だから」

「ああ、そういうこと」


 そういえば彼は料理が得意だった。料理が苦手な私とは違って、一人暮らしでも美味しい料理が食べられる彼を少しだけ羨ましく思った。

 少しだけ沈黙が流れた。私はとても気まずいと思ったが、彼はそうでもなさそうな顔をしていた。


「そっちはバイトとかしてないの?」

「してるよ。塾講やってる」

「あー、っぽいね」

「っぽいかな」

「っぽいよ。うん」

「あんまり言われた事ないけど……」

「いや、面倒見よかったじゃん。俺のテスト勉も付き合ってくれてたし」

「それは……彼氏だったし」

「付き合う前からだよ」

「そうだったっけ」


 彼は、「そうだよ」と言わんばかりに澄ました顔でカフェラテを飲んだ。それから付け加えるように彼は言った。


「あれは本当に助かってた、ありがとう」

「どうも」

「あと気になってたんだけど、まだ続けてるの?剣道」

「あー、やめちゃった。そっちは?」

「続けてる。部活でやってるよ」

「部活なんだ。キツくない?」

「高校の時の方がきつかったかなぁ」

「そうなんだ。なら私も続ければよかったかも」

 彼はかもね〜と軽く相槌を打って続ける。

「今は何してるの?」

「友達にバンド組もうって言われてからそれ系のサークル」

「へぇ。ピアノやってたしキーボードとか?」

「ついでにボーカルかな」

「ライブとかするの?」

「たまにするけど」

「そうなんだ」


 そう言って彼は、何かを考えるようにまた一口カフェラテを飲んだ。


「どうかした?」

「いや、別に……」


 彼がその言葉を言う時は、大抵言いたいことを我慢している時だった。告白のタイミングを図っている時もそんな感じだった。今思えば懐かしい。


「そっか」

「……あのさ」


 少し間を置いてからの一言に心臓が跳ねた。


「何?」


 息を吐く。そして吐くよりも長く息を吸って口を開く。そのほぼ一瞬の内に行われた動作がやけに長く感じた。


「あ、いや。ちょっとトイレ行きたくて」


 はぐらかされてしまった。そのまま彼はトイレに行った。彼が戻ってくるまでの時間は、嫌に長く感じた。


 彼が戻ってきてからはまた取り留めのない話をした。付き合っていた頃を彷彿とさせるような、そんな感じの会話のテンポだった。そんな会話が楽しくないわけがなくて、あっという間に時間が過ぎた。そうして彼がバイトに行く時間になったので店を出た。




 バイト先までは電車に乗っていくらしいので駅まで見送ることにした。それについて彼は嫌がっているように見えなかった。そして別れ際に言葉をかける。


「じゃあ頑張ってね。付き合ってくれてありがと」

「こちらこそ」


 多分、今聞いてはいけないんだろう。だがどうしても、サークルの話の後何を言いかけたのかが気になって聞かずにはいられなかった。だから去り際に尋ねてしまった。


「何か言いかけてやめてたやつって……良かったの?」


 少しだけ、ほんの少しだけ彼は固まったように見えた。


「え、いや。別にトイレ行きたかっただけだから」

「そう……。ならいいや」


 あくまで彼の内に留めておくつもりらしい。そんな彼が、私よりも年下なはずなのに私より幾分も大人に見えた。


「じゃあ、そっちも色々頑張って」

「うん、ありがと。じゃあね」

「んじゃ」


 二度目の別れはあっさりとしていた。卒業の二日後とは違って、とってもあっさりと。


 駅前で一人取り残された私は、何をするでもなくそのまま帰路についた。一つ下の友人のことを考えながら。



 あの日、付き合い始めたことも、あの日、別れ話をしたことも、全ては過去になったはず。彼との思い出は全て過去にしまったはずなのに、一年半ぶりに偶然にも今日再会して、また別れて──過去がまるで今にあるように、手を伸ばせばまた掴めるもののように思えて仕方がなかった。


 おもむろにスマホを取りだして、ずっと非表示にしていた彼とのチャットを開いた。スタンプで終わったままの止まっていた時間に再び息をかけるように。だが、きっと彼のスマホではこの時間は止まったままなのだろう。


 結局、今恋人がいるのかどうかは聞けなかった。何を言いかけたのも聞き出せなかった。彼が恋人の関係を終わらせる話を切り出した時の気持ちは知っている。だからたぶん、いつかやり直そうと思えばやり直せるんだろう。そんな希望を抱いてはその話をする勇気を捨ててきた。


 忘れられない過去が、まるで今この瞬間であるように。感情が滑走路の上にいるみたいに、飛び出しては引っ込んでを繰り返している。今日別れたあとから、ずっと同じことばかり考えていた。


 もう考えるのをやめよう。そう思った頃には、腹の音が鳴るような時間になっていた。


 だから、彼の中で今日のことはもう過去になっているであろうと無理やり結論を出した。私もそれを模倣して、過去という今日の私は胸にしまっておこう。

 彼の中でも、ただの()()()()()()()()()のことになっていることを信じて。

体験談を脚色しつつ、象ったお話です。

読んでいただいたあなたの未来に幸あれ。

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