第008話 時空震(コンタクト)
「――上部ハッチの気密チェック、オーケー」
声に出して俺は確認する。
こういうチェックは、頭の中で黙々とやってはいけない。声を出し、指差確認することで集中力を高めていく。確認を怠ると、重大事故につながる可能性があるからな。昨日はちゃんと二度寝もできたし、アルコールも抜けて体調は万全だ。
宇宙港の繋留スペースで、俺は自分の貨物船の最終確認をしていた。確認が終わると、いよいよミハイル星系に向けて出発だ。
俺の乗る小型宇宙貨物船は、ラムダック社製のEB三〇四型と呼ばれるタイプで、船名は《トランスキャットⅩⅩⅦ》。トランスキャット社の二七番目の機体というわけだ。面白味は何もない。まあ、気の利いた名前や暗号名をつける自信は俺にもまったくないから、文句が言える筋合いでもないけどな。全体的に白い機体で、側面には会社のロゴマークである黒いネコが描かれている。
貨物船の全長は約五〇メートル。幅は約一八メートル。小型といっても、軍で乗っていた戦闘艇の三倍くらいの大きさがある。もっとも、長さの七割は輸送コンテナが占めていた。この貨物船には、高さ二・四メートル、幅二・四メートル、長さ一二メートルの輸送コンテナが、縦に三列、横に四列、上下に二段搭載することができる。最大で二四基のコンテナを、いちどに運ぶことができるというわけだ。運搬能力としては申し分ない。
余談だけど、この輸送コンテナの大きさは規格化されていて、他の国でも他の種族でも同じ大きさになっている。だからどの宇宙船にでも積載できるし、なんなら地上の船や車、列車なんかにもそのまま載せられる。
無駄な手間や出費を抑えるためのこうした規格化はいろんなものに取り入れられていて、今じゃ他国のミサイルだってそのまま流用することができるそうだ。それは何となく行き過ぎのような気もするけど。
コンテナの後方に配置された長さ約一〇メートルほどの居住スペースには、操縦席や食料庫、仮眠室やシャワールーム、それにトイレなどが設置されている。宇宙空間で船外作業する必要が発生した場合に備えてのエアロックも、この貨物船には完備されていた。仮眠室は少し狭いけど、まあ、寝るだけだから問題はない。
二基の亜空間跳躍エンジンは、居住スペースの両サイドにある。エンジンの長さだけでも優に三〇メートルを超える代物だけど、これがいちばん小さい亜空間跳躍エンジンなのだそうだ。だから、恒星間宇宙船のサイズとしては、この宇宙船は小型と言える。通常航行用のエンジンは居住スペースの下部に二基、亜空間跳躍エンジンの外側に二基搭載されている。船首にはちょっとした武装もついている。もちろん戦闘用ではなく、隕石やデブリに遭遇した際に排除するためのものだ。
聞いた話によると、就航してからそれなりの年数がたっている中古の宇宙船だそうだが、それでも高価いだろうなとは思う。壊したときがちょっと怖い。会社としても、保険には加入っているだろうけど。いや、加入っていると言ってくれ。
後方のハッチから船外に出て、甲板を蹴って宇宙船の前方に向かう。無重力だから移動も簡単だ。輸送コンテナを固定してくれていた作業員と一緒にコンテナ廻りの確認を終えると、左舷のハッチから操縦席に乗り込んだ。
「こちらトランスキャットⅩⅩⅦ、アーシェス・レーン。船体チェック完了、オールクリア」
ヘッドフォンのマイクを使って管制塔に報告する。
『こちら管制塔、了解。出港を許可します。よい旅を!』
そうして俺は、宇宙空間に向かって旅だった。
ヴァンタム星系には三つの惑星がある。
有人惑星はいちばん内側の軌道をまわっているファステトだけで、大気層のない残り二つは無人だ。だから、第二惑星軌道を越えれば、亜空間跳躍しても規定上は問題ない。この規定は亜空間跳躍のインアウト時に発生する時空震が、有人惑星付近を飛びかう通信波に極力影響をあたえないように定められているものだからだ。
だけど俺は、第三惑星軌道の先にある小惑星帯を通過するまでは亜空間跳躍しないようにしている。亜空間跳躍中に小惑星帯に突っ込んだら怖いという感覚が、俺の中にまだあるからだ。理論上、亜空間跳躍中は別の空間にいることになるので、通常空間の障害物は航行にまったく影響を与えないんだけど、なんとなく怖い。自分で亜空間跳躍エンジンを操作するということに、まだ慣れていないせいだ。軍にいるときは母艦の中にいればいつの間にか亜空間跳躍していたし、戦闘艇にはそもそも亜空間跳躍エンジンなんてついていない。
通常航行エンジンの最大速度は光速の二パーセント。秒速に直すと約六〇〇〇キロになる。音の速さが秒速約三四〇メートルだから、それに比べるととてつもないスピードなんだけど、それでも小惑星帯を越えるまでに一四時間ほどかかってしまった。うん、宇宙は広い。
地人族たちが亜空間跳躍航法の完全実用化に成功してから、すでに一三〇〇年以上がたっている。驚いたことにその原理は、他の種族が使っている亜空間跳躍航法とほぼ同じものだったそうだ。地人族が、それまで不可能とされた亜空間跳躍航法を生みだしたのは、火星という惑星の氷の下から見つかった宇宙船の残骸がヒントになったらしいけど、やっぱりそれは他の種族の宇宙船だったんだろうな。
そんなことを考えていたちょうどその時、操縦席の警告音がけたたましく鳴り響いた。
なんだ? 何が起こった⁉
《――前方に巨大な時空震を感知。距離、約二〇光秒》
女性の声を模したAIコンピュータの合成音が報告してくる。時空震? 何かが亜空間跳躍アウトしてくるというのか?
俺は、大急ぎでブレーキのペダルを踏み込んだ。二〇光秒なんてあっという間だ。このままだと時空震に巻き込まれてしまう。
まもなく、前方の空間が揺らめいたかと思うと、何もないところに突如として巨大な光体が出現した。やがて光はだんだんと小さくなっていき――その場所に大きな浮遊物が残されているのを操縦席上方のスクリーンがとらえた。
なんだ、あれは?
スクリーンを見つめる俺の瞳に映るのは、細長い長方形をいくつも重ねたような物体。上部は平らで、並んだ長方形の中央やや後ろには小高い山のようなドームがある。下部は、ごつごつとした岩のようなフォルムをしている。AIコンピュータがはじき出したのは、全長約二〇キロ、幅約一五キロ、高さ約八キロという数字だった。大きすぎて、全体の形がつかめない。
もしかして、あれが大尉の言っていたモビィ・ディックなのか?
貨物船を操作して、俺はその物体にゆっくりと近づいていく。スクリーンを拡大すると、平らな上部はガラスか何かで出来ているのだろう、内部が少し透けてみえる。巨大な温室といった感じだ。
内部の様子を確かめようとしたが、暗すぎてよくわからない。小さな建物らしい影がいくつか並んでいるような気もする。小高いドームの中にあるのは……シルエットからすると樹木みたいだが、樹木だとするとかなりの大木だ。そのまわりにも何本か低い木のようなものがある。森にでもなっているのだろうか?
物体の下方にまわりこんでみる。やっぱり岩のような表面をしているが、ところどころにアンテナのようなものが生えている。
それにしても大きい。この物体はいったい何だろう。どこかの国が造った宇宙船だろうか。いや、宇宙船というより、スケール的にはもはや人工の小惑星だよな。
突然、トランスキャットⅩⅩⅦの船体がガクンと揺れた。
《――重力波を検知、捕捉されました。牽引されています》
まずい。
俺はエンジンを逆噴射して、その場から離れようとした。
無駄だった。重力波に引っぱられた船体が、しだいに速度を増してモビィ・ディックに近づいていく。ダメだ、脱出しなきゃ!
なんで? 左舷のハッチが開かない。え、上部も? いやいや、ちゃんと点検しただろう⁉
目の前の光景が、スローモーションのように流れていく。トランスキャットⅩⅩⅦの船体が、ごつごつとした岩のような表面に猛スピードでぶつかって潰れていく。輸送コンテナに積まれていた荷物があっという間に散乱する。メキメキとかバリバリといった激しい振動が、船体を通じて伝わってくる。
どこかで爆発音がした。したように思った。真空なんだから音は伝わらない。
そうして俺の身体は、眩しいばかりの光と激しい熱波に包まれて……
――星暦四七〇一年、七ノ月一八日。
アーシェス・F・レーンの肉体年齢は、二七歳で停止した。