第007話 呪 文(カフェインレス)
翌日。
昨夜、宿泊しているというホテルまでアークウェット大尉をタクシーで送り届けたあと、宿舎に戻った俺はそのままベッドに倒れこんだらしい。目が覚めると昨日の服のままだった。
とりあえずシャワーを浴びて、スウェット生地のラフな服装に着がえると、ソファに坐って壁に掛かったTVをつける。そういえば朝食がまだだったなと時計を見ると……もう正午をとっくに回っていた。
アークウェット大尉はちゃんと宇宙連絡艇に乗れただろうか。
確認してみようかと端末を手にとったけど、連絡するとなぜか負けのような気がして、持っていた端末を脇に放り投げる。昨日のうちに買っておいたサンドウィッチを冷蔵庫から取り出し、コーヒーを淹れてまたソファに坐った。
TVでは、どこかの国で政変がおきたと、アナウンサーがしきりに伝えてくる。流れているテロップを見ると、《レゴラス首長国連合》の文字があった。森人族の大国だ。
何とかという名前の代表首長が暗殺されて、暫定的にその実弟が実権を握ったらしい。暗殺犯はまだ捕まっていないという。こういう場合は、その実弟とやらが案外黒幕だったりするんだよな。無責任なことを思いながら、俺はサンドウィッチを頬ばる。
不味くはないけど美味しくもなかった。
レゴラス首長国連合のあるヴルーム星系は、お隣と言えばお隣の星系なんだけど、距離にすれば三〇〇光年以上離れている。五〇光年を三日で飛ぶ小型宇宙貨物船を使えば、二〇日ほどかかる計算だ。いや、途中で補給が必要になるから、小型宇宙貨物船で行くというわけにもいかないな。大型の貨物船が必要になる距離での出来事だ。
サンドウィッチを食べ終えて残りのコーヒーを飲みほすと、TVの画面が次のニュースに切り替わった。
アルジェノン星邦とグリュンヴァール公国との戦争の話題だった。
この二つの国は、二〇年も前から戦争を続けている。どちらも地人族の国だけど、ここからはレゴラス以上に遠く離れている国だ。星邦は俺が生まれた国ではあるけど、赤子のときに母親と一緒に出国したから、思い出なんてものは一切ない。
グリュンヴァール公国には行ったこともない。ラファエル星系を中心とした公王制の国家だと聞いているけど、知識としてはそのくらいだ。
にしても、地球というたった一つの惑星に棲んでいたころから、地人族というのはつくづく戦争の好きな種族だなと思う。西暦の時代は戦争の時代だった、なんて一文は、宇宙暦に書かれた小説を読んでいるとゴロゴロと出てくるからな。
まあ、どちらも俺には関係のない星系のニュースだということで、とりあえずは片付けてしまおう。人の生死がかかっている問題ではあるけど、だからといって俺がどうこうできる問題でもない。戦火がこの国に及ばないかぎり、俺の業務にはあまり影響も出ないしな。
そう考えてみると、宇宙の大きさに比べたら、人間が一生のうちに行動できる範囲というのも案外狭いものだよな。
銀河系の直径は一〇万光年。その厚さは一〇〇〇光年。
そこには、二〇〇〇億個の星があると言われている。
七つの「人類」の生存圏が銀河系の何割を占めるのかは知らないけど、半分だと仮定しても、そこにある星の数は千億にもなる。それに比べたら、俺が行動できる範囲はほんのひと粒の砂みたいなもんだ。
補給なしでの小型宇宙貨物船の航続距離は一二日が限度だから、ここヴァンタム星系を中心にして半径二〇〇光年ほどの球体でしかない。それが今の俺の行動範囲だ。
その範囲におさまる星系の数は、有人だと三つだけだ。まあ、拠点を移動すれば球体もあわせて移動するけど、二五年以上、この星系で暮らしてきたからな。離れようかという意識もあまりない。母親の墓もファステトにあるんだし……。
――お前はこれからどうするんだ?
ふいに、アークウェット大尉の昨夜の言葉が呼び覚まされる。
このまま小型宇宙貨物船で行くべきか、それとも大型貨物船の免許をとるべきか。
いや、違うな。
そもそも運送人を続けていくべきかどうかという視点から、これから先のことを考えていかないとダメなのかもしれない。
軍にいるときは何も考えなくてよかったのに、ひとつ狂うとすべてが狂ってくる。
「さーて、どうしましょうかね、大尉」
思わずアークウェット大尉の横顔が頭に浮かんでしまった。いったいどうしてだ?
きっと、身体にまだアルコールが残っているせいだな。もう一度寝るとしようか。
……コーヒーを飲んでしまった。よかった、カフェインレスだ。
とりあえず、昨夜のお礼だけでも文字通信しておくか。全部ご馳走になってしまったものな。ちゃんとしておかないと、次に会ったときに何を言われるかわからない。
クワバラ、クワバラ――。
どの種族の言い伝えかは知らないけど、雷撃よけの呪文らしい。
そうして俺は、放り投げた端末をもう一度手にとった。