第004話 傷 痕(パスト)
待ち合わせの場所と時間を決めてアークウェット大尉とわかれた俺は、あてがわれた宿舎に着くなりシャワールームに飛び込んだ。小型宇宙貨物船にもシャワールームは設置されているけど、積んでいる水の総量が少ないので毎日浴びることはできない。補給なしでの宇宙空間の長旅は、なかなかに制限が多いのだ。軍にいるときは、母艦の中でいくらでも浴びられたんだけど。
脱衣室で乱暴に衣服を脱ぎ、腕時計をはずして中に入る。右手の義手は、水に濡れても錆びない金属なのでそのままで大丈夫だ。手首やマジックハンドの各関節も、しっかりと防滴処理がなされている。いくら安物だとはいえ、そのあたりはちゃんと調べて買っている。
シャワー室の内壁は、前面がすべて鏡になっていた。これを考えたのは誰だ? 自分のオールヌードなんて見たくはないぞ。
そう思いつつ、なんとなく自分の身体を眺めてみる。
軍を辞めて四か月。毎月切っていた髪は二か月に一度となって、濃茶色の髪の毛は耳にかかるくらいにまで伸びている。髪の毛と同じ瞳の色は、母親の遺伝だ。中肉中背だけど、毎日の訓練があったから体脂肪率は低いほうだ。顔つきは……まあ、女の子が一〇人いれば、そのうちの三人くらいはハンサムと言ってくれるんじゃないのかな。あくまで希望的観測だけど。
首には青玉を埋め込んだ銀色のペンダントがぶらさがっている。そこからもう少し下に視線をやると――左胸から右の脇腹に向かって太くて長い三本の傷痕がある。大きな鉤爪にでも引っかかれたかのような傷痕だ。うん、まあ、実際に引っかかれたんだけどね。でもこれ、もう少し深かったら確実に死んでいたよな。右腕をもっていかれただけで済んだのは、不幸中の幸いと言うべきだろうか。母親の形見であるこのペンダントも、ちゃんと残っていたしな。
まあ、いまさら考えても、すでに終わった話だ……
……俺――アーシェス・F・レーンは、星暦四六七四年、パルメット星系の第四惑星トランで生まれた。トランには地人族の統治する国家、《アルジェノン星邦》がある。五〇〇年ほど前の《大厄災》によって太陽系連合が崩壊して以後、最初に独立した国だ。母親のルナマリア・M・レーンは、そこで小学校の教師をしていた。父親の顔は知らない。物心がついた頃にはもういなかったし、写真が残っているわけでもない。
未婚のまま俺を生んだ母親は、俺を生むとすぐに教師を辞め、俺を連れてこの場所――ヴァンタム星系の第一惑星ファステトに移り住んだ。未婚で子持ちなんて珍しいことではなかったけど、生真面目な母親としては教師という仕事を続けることができなかったのだろう。あるいは、親戚か知人から雑言を浴びたのかもしれない。そのあたり、母親は何も教えてはくれなかった。
惑星ファステトには、トランと同じく地人族の治める《イシュタール共和国》がある。アルジェノン星邦と同じように太陽系連合の崩壊後に成立した国だが、規模的には星邦のほうがずっと大きい。母親はこの国のケルンという町で、小さな図書館の司書として働いた。
身寄りのない町に着の身着のままで引っ越してきたから、俺たち母子は、図書館の隣にあった教会の一室を借りて住んでいた。乳飲み児の俺は、母親と、教会にいた聖人族の老いた修道女に育てられた。自分で言うのもなんだけど少しばかり陰気に育った俺は、教会にいた孤児たちとはあまり仲よくしようとはせず、図書館で一人静かに遊んだ。そこにあった本を読んで毎日を過ごすという、お金はかからないけどとても贅沢な遊びだ。
小さくても図書館だから、そこにはいろんな本があり、俺は我を忘れて読みふけった。文学・地理・科学・天文・政治・哲学・動植物――さまざまな分野の本が偏りなく用意されていたけど、俺が興味をもったのは歴史と神話だ。地人族がどのように発展してきたとか、西暦の時代には戦争ばかりしていたとか、宇宙暦の時代はどうだったとか、読んでいるだけでわくわくした。
神話にしてもそうだ。この宇宙には七つの「人類」がいて、その数を優に超えるだけの神話がある。「世界は竜が創った」などという荒唐無稽な神話もそのひとつで、まあ、これは眉唾だな。ほかにも、宇宙には《光の民》と呼ばれる種族がいて、太古の昔には《パルヴァドール文明》だか《パールバディー文明》だかが栄えていた、なんていうのもある。その遺跡までどこかに残っているらしい。かつての地球にもアトランティスだかムーだかという古代文明があったらしいから、まあ、どの種族も似たようなものだな。
母親が死んだのは、俺が一二歳のときだ。いわゆる急死だった。父親の名前はとうとう教えてはくれなかった。俺のミドルネームである「ファルターク」に何か意味があるのかもしれないけど、考えても答なんて出ないから、もうずいぶんと前に考えるのはやめた。
母親の死後も、ずっと教会から学校に通った。小さい孤児たちの面倒を見るのと、自分たちが食べるだけの野菜をみんなで育てるのが日課だった。だけど四年後に図書館と一緒に教会も閉鎖されてしまい、俺は食うためと食わせるために軍に入隊した。
イシュタール共和国宇宙軍だ。
士官学校では、四年間、みっちりと鍛えられた。陰気でひょろひょろだった俺にも、それなりに筋肉がついた。二〇歳で少尉を任官する頃には、小さかった孤児たちも自活できるようになっていたから、そのあたりはひと息ついた感じだった。
宇宙軍第一八航空戦闘連隊に配属されて宇宙戦闘艇のパイロットになったのは二二歳のときだ。そこで上官として知り合ったのが、ミランダ・アークウェット大尉というわけだ。そのときはまだ中尉だったけどな。
「アーシェス・F・レーン少尉です。本日付で第三飛翔中隊に配属されました。よろしくお願いいたします」
上官に敬礼すると、第三飛翔中隊の副官をしていた彼女は返礼しながら、
「こちらこそよろしく頼む。アーシェス・F・レーンか。ミドルネーム持ちに会うのは久しぶりだな。よし、きょうからお前をファルタークと呼ぶ。それでいいか?」
いいも悪いも、上官には逆らえない俺だった。そのころはまだ初心だった。
そうして五年後、つまり、六か月前にその事故――いや、事件はおきた。
その日、俺たちの部隊、通称『ミランダ中隊』は、ヴァンタム星系のはずれにある小惑星帯でいつもどおりの演習をしていた。一八機の戦闘艇で構成される第三飛翔中隊は、アークウェット大尉が中隊長となってからはミランダ中隊と呼ばれていた。本人がそう呼ばせていたんだけどな。ミランダというファーストネームを、彼女は相当気に入っているらしい。何かにつけて呼ばせようとしてくるものな。中尉になっていた俺は、なぜだか彼女に指名されてその副官をやっていた。
演習は、小惑星帯の中で九機ずつの敵と味方に分かれて戦闘訓練をするという、まあ、ある意味決まりきったものだった。ルージュコメットという愛称がつけられた真紅の愛機を駆って《紅組》の指揮をとるのがアークウェット大尉で、逃げ回っている《白組》の戦闘艇を、ホワイトローズと名づけた白い機体で指揮するのが俺だった。
途中までは何事もなく、演習は順調にすすんだ。お互いに二機の戦闘艇がペイント弾で撃墜されていたけど、まあ、それも想定内だ。え、俺? 俺はもちろん軽快に逃げ回っていたよ。大事な愛機をペイント弾で汚されたくはないからな。あとで掃除するのが面倒なんだ、あれは。
異変に気づいたのは、俺の組の部下。気づいたときにはすでに手遅れで、部下の戦闘艇は左右に引き裂かれて飛散した。直前に脱出していたから、なんとか部下は無事だった。
何が起こったのか判明したとき、俺たちは全員が文字通り青ざめた。
いったい誰に想像することができただろう。体長四〇メートルほどもある隻眼の巨大な翼竜が、小惑星帯を寝床にしていたなんて。
竜のような頭、コウモリのような翼、鷲のような肢。蛇のように長い尻尾の先には鏃のようなトゲまでついていた。赤銅色の鱗をもち、宇宙空間でも生きていられる巨大な怪物――それが翼竜。大きな口からは赤い舌がのび、俺たちにむかって炎を吐いてきた。頭のてっぺんから尻尾の先までは一〇〇メートルくらいありそうだった。翼を拡げたときの横幅も約一〇〇メートル。翼竜がここまで大きくなるなんて、いままで聞いたことがない。
アークウェット大尉がすぐさま母艦に連絡して演習を中止し、俺たちは撤退を決めた。いくら戦闘艇の性能がよくても、演習用の模擬弾で勝てる相手じゃないからな。だけど、逃げる前に俺たちにはやらなきゃいけないことがあった。そう、翼竜の尻尾に叩き落されて脱出した部下の救出だ。何機かの戦闘艇に巨大な翼竜を引きつけさせて、俺は部下の救助にむかった。
宇宙空間を漂う部下の姿は、救難信号のおかげですぐに見つかった。
戦闘艇の操縦席ハッチを開け、椅子を蹴って宇宙に飛び出す。背中に取りつけた小型のバーニアを操作して部下に近づき、部下の身体を抱えて戦闘艇に戻ろうとした刹那、
『――逃げろ、ファルターーーク!』
ヘルメットの無線機に大尉の悲鳴が響いた。猛スピードで、赤銅色の翼竜がこちらに突っ込んでくるのが見えた。俺はとっさに、抱えていた部下の身体を全力で後ろに放り投げ……そのあとのことは憶えていない。
気づいたら、病院船のベッドの上だった。
翼竜の翼の先に生えた三本の鉤爪が俺の身体を引っかき、右手を切り飛ばしていた。肋骨も何本かやられたけど、内臓までには届かなかったらしい。やっぱり、運がよかったと言うべきなのだろう。
俺が放り投げた部下は、放り投げられたことで難を逃れていた。一緒にいたら、タイミング的には二人とも潰れていたそうだ。
アークウェット大尉からあとで聞かされたところによると、隻眼の巨大な翼竜は、駆けつけた母艦の集中砲撃によって何とか追い払うことができたらしい。俺と部下は何人かの隊員に救助されて母艦に運ばれ、意識のない俺は応急処置が処されたうえで、病院船に移送されたようだ。
見舞いに来てくれた部下――俺が助けようとした薄桜色の髪をもつ森人族の部下は、俺の前で顔をくしゃくしゃにして泣き続けた。何度も何度も頭をさげて、感謝と謝罪をくり返した。
いいよいいよ、そんなに気にしないでくれ。部下を助けるのは当然だし、部下でなくても当然だ。本当は、もう少しかっこよく助けられたらよかったんだけどな。
その後地上の病院に降ろされ、二か月後に退院した俺は、アークウェット大尉に辞表を出して軍を辞めた。大尉は慰留してくれたけど、この右手だともう戦闘艇の操縦はできないものな。
「――そうか、わかった。だが、私としては納得はしていない。いつかお前とまた宇宙を駆けめぐりたい。そのときまでこれは私が預かっておく。いいな、ファルターク」
彼女は俺の軍服の胸ポケットにあったサングラスに手を伸ばし、俺の顔をまっすぐに見つめてきた。
そうして俺は、軍が紹介してくれた今の運送会社に就職したというわけだ。
給料は……うん、皮肉なことにちょっとだけ上がったよ。