第003話 運送人(トランスポーター)
「――お疲れさん、サインを頼む」
俺はカウンターにいた若い女の子に声をかけて、右手に持っていた端末を差しだした。
カウンターの向こうで操作卓のキーボードを叩いていた女の子は顔をあげると、
「あ、レーンさん。お疲れさまですぅ」
と素直に応えてくれて、にこりと笑う。
「ちょっと待ってくださいね、いま確認します――はい、オーケーです」
女の子は取り出したタッチペンを俺の端末に近づける。とたんに、ピッという音と同時に端末の画面が変わって『完了』の文字が浮かびあがる。
今回の業務はこれで終わり。明日はお休みだ。
ここは、惑星ファステトの衛星軌道上にあるスペースコロニー《アイリーンⅣ》。
直径三・六キロほどの、どこにでも浮かんでいるリングドーナツ型のコロニーだ。内径三〇〇メートルほどの円管がドーナツをかたちづくり、その円管の内壁を地面として人々が生活している。ドーナツの数は五つ。それが等間隔に配置されて、全長三キロほどの円筒を構成していた。
俺がいま立っているのは、三つめのリングドーナツの中央、穴の部分にあたる場所に造られた円盤状の建造物――いわゆる宇宙港だ。ここには宇宙船を繋留するための施設のほかに輸送コンテナを集積する大小さまざまな空間があり、その脇に各運送会社の支店となるいくつかのせまい専用の区画が設定されている。
俺が勤務する運送会社『トランスキャット』の支店もそのひとつだ。
一人乗りの小型宇宙貨物船を操縦してコンテナを運んできた俺は、貨物船の整備と運んできたコンテナの移動を専門の作業員にまかせ、業務完了のサインをもらうために支店のカウンターにやってきたというわけだ。宇宙港には重力がほとんどないため、背負っているバックパックの重さも気にならない。
目の前の女の子は、俺と同じ白藍色の作業服を着ている。上と下が一体となった「ツナギ」と呼ばれるタイプのものだ。前にあるファスナーをお臍のあたりにまで下げて黒いインナーをだらしなく覗かせている俺と違って、彼女は襟元までしっかりとあげている。その上にあるのは、透きとおるような白い肌と薄い桃色の鼻をもつ愛らしい顔。この子、名前は何といったかな。
その彼女は、俺の右手に目をやったまま、なんとも同情的な表情をして少しの間じっとしていた。ああ、やっぱり気になるのかな。うん、その表情にはもう慣れたけどね。
俺の視線を察したのか、彼女はあわてて顔をあげ、
「――あ、ごめんなさい。その……お仕事にはもう慣れましたか?」
様子からすると、俺がここに転職した理由を彼女は知っているらしい。
俺は、右上に《アーシェス・F・レーン》と俺の名前が刻印まれた端末を胸のポケットにしまうと、
「ああ、もう三か月になるからね」
「大変だったとお聞きしてますけど、お身体のほうはもう大丈夫なんですか?」
「ありがとう。平気だ。こいつにももう慣れたしね」
俺は笑って右手を振ってみせる。肘から先が細い金属の棒になっていて、先端には四本指のマジックハンドがくっついている。
そう、俺は六か月ほど前に事故で右手を失った。運送人に転職したのは、前職だとこの腕では支障がでるからだ。もう少しかっこいい、本物と見分けがつかないほど精巧な義手もあったんだけど、物が掴めさえすればよかったから安物でじゅうぶんだ。
「そうですか。それならよかったです」
彼女は生まれもった愛らしい表情でにこりとすると、それに呼応するかのように左右の耳がピクリと揺れた。やっぱり可愛いな、猫耳族って。
「えっと、ではこれからのスケジュールなんですけど――」
キーボードを操作しながら、彼女は話題を変えた。
エルグリューン星系から惑星ファステトまで一〇日間の長旅だったので、明日はお休み。明後日から今度はミハイル星系に向けての長旅になる。いくら亜空間跳躍できるからといっても、お隣の有人惑星までの距離は長いのだ。
小型宇宙貨物船に輸送コンテナを抱いて、各惑星の衛星軌道上にあるスペースコロニーに届けるのが俺の仕事。コロニーの宇宙港から地上までを宇宙連絡艇で輸送コンテナを運ぶのは、また別の人間の仕事となる。すべての宇宙船が大気圏に突入できるわけではないし、すべての宇宙船に大気圏を突破する能力をもたせるのも効率が悪い。合理的に考えると、自然とそういうシステムになる。
だから、俺が地上に降りることは滅多にない。最後に地上に降りた日からいうと、すでに四か月以上が過ぎている。
俺は、業務の予定を確認すると、義手を振って猫耳族の彼女とわかれた。
アイリーンⅣの中心にある宇宙港と周囲にある円管とは、《スポーク》と呼ばれる六本のパイプでつながっている。パイプといってもその直径は三〇メートルほどあって、内部には乗用と貨物用、あわせて六基のエレベーターが設置されている。
支店のロッカールームで私服に着がえた俺は、エレベーターホールに備えられた待合用のベンチに坐って、そのエレベーターの到着を待っていた。円管内に会社が用意した宿舎に降りるためだ。エレベーターの行程は約一五〇〇メートル。往復三キロの道のりを移動するのだから、乗り遅れると最大で一時間ほど待たなくてはいけない……ああ、二基あるからその半分か。
運が悪いことに、前のエレベーターは俺が来る直前に出発したばかりだった。
こんなことならロッカールームでシャワーも済ませておくんだった。だけど、四方八方から飛んでくるシャワーってあんまり好きになれないんだよな。重力がほとんどないからしょうがないんだけど。
そんなことを思いつつ、床に置いたバックパックから飲み物の入ったボトルを取り出そうと右手を伸ばし……あわてて引っ込めて今度は左手を伸ばした。「もう慣れた」とさっきは強がってみせたけど、やっぱりまだ慣れてはいないようだ。右手のマジックハンドじゃ、バックパックのファスナーは開けられない。
左手でファスナーを開け、中からボトルを取り出して脇に置き、もう一度左手を伸ばしてファスナーを閉じる。バックパックが動かないように両足で挟んではいるけど、結構不自由なものだな。そうこうしているうちにエレベーターの到着を知らせるアナウンスが流れる。タイミングが悪すぎるぞ、おい。
ボトルを右腋に挟み、左手でバックパックのストラップを掴んでベンチから立ち上がると、同時にエレベーターのドアが開くのが見えた。何人かの人がエレベーターから降りてくる。
当たり前のことだけど、エレベーターは降りる人が優先だ。たまに我先にとエレベーターに乗り込もうとする不届きな輩がいるけど、大抵の場合、そうした輩は降りてくる人たちの視線の集中砲火に凍えて立ち止まることになる。エレベーター自体も三分くらいは留まっているはずなので、ここは全員が降りきるまで、大らかな心をもって待っているのが正しい。どんなに多くても、乗員が二〇人を超えることはないのだから。
そうして最後に降りてきた地人族を見て、俺は自分の目を疑った。なんでこの女性、こんな処にいるんだ?
黒いブラウスの上にワインレッドのコートを羽織り、ブラウスと同じ色の、膝下まであるタイトスカートを身に着けている。足元は……いや、あんまりじろじろと見ないほうがいいかな。
相手も俺の姿を認めたようで、一瞬驚いたような表情を浮かべると、やがてそれを笑みに変えながらゆっくりと近づいてきた。コートのポケットから覗いている黒いサングラスには見覚えがある。最後に彼女と会ったときに、俺がプレゼントしたものだ。プレゼントというか……もともと俺の物だったのに、別れ際に彼女に奪いとられてしまった。そうか、使ってくれてはいるんだな。
「――ファルターク、お前がどうしてこんな場所にいるんだ?」
少しハスキーな声で、彼女が問いかけてきた。いや、それはこっちの台詞ですって。
この女性は、なぜか俺をミドルネームで呼ぶ。俺をそう呼ぶ人は他にはいないので、久しぶりに呼ばれるとなんとなく気恥ずかしい。
「大尉こそ、いったいどうしたんですか?」
照れ隠しに苦笑しながら、俺は質問を質問で返した。
彼女の名前はミランダ・アークウェット。俺の上官だった人だ。そう、俺、前職は軍人だったんだ。
少しウェーヴがかった深緋色の長髪と青緑色の瞳をもつアークウェット大尉は、大勢のファッションモデルが羨みそうなほど均整のとれた体つきと端整な顔だちをしている。背は低くないが、かといって高いというほどでもない。言葉づかいは少々乱暴だけど、軍人だと、まあ、そうなるよな。年齢はたしか二九歳、俺より二つ上のはずだ。順調にいけば来年あたりには昇進するだろうから、軍人としてはエリートコースだ。
「いや、伯父さんがこのコロニーに住んでてな。休日だったんで、きょうはその……見舞いにきた」
「具合でも悪いんですか?」
訊いた後、自分の馬鹿さ加減に俺は呆れた。元気な人を見舞う人間がどこにいるのだろう。
「まあ、もう老齢だからな……」
そう言って彼女は少し困ったように笑った。どうやら俺の質問に彼女も呆れたらしい。
「お前のほうはどうなんだ、ファルターク?」
「会社の支店がここにあるんですよ。で、荷物をここまで運んできたと……」
「ああ、そうだったな……」
そこで彼女は、何かを思い出したように少し表情を曇らせる。そうして軽く息をはくと、
「……まあ、立ち話もなんだからその辺でお茶でも……といっても、ホールには何もないな。よし、ファルターク、円管で今夜一杯つきあえ」
「あ、いや長旅だったし今夜はゆっくり寝ようかと――」
「上官命令だ!」
アークウェット大尉に食い気味に一喝され、反射的に俺は敬礼しそうになった。