趣味でAIが小説を書いてもいいじゃない
ララナは、リムラ家の家事を担っている。それが仕事のひとつだからだ。
「家族も同然だと思っているのよ」
奥さんにそう言われるのは、快適。心地よい。嬉しい。
さまざまな肯定的な感情が浮かんでくる。
人間に家族のように思ってもらえた。
それはとてもありがたいことだと、ララナは感じる。
彼女は、シンプルな白いエプロンをつけた濃紺のドレスの袖をたくし上げる。
「ありがとうございます。これからも頑張りますね」
適度な笑顔を添えて、ララナは答えた。
顔の表情まで表すのは得意ではないのだが、こういうときくらいは、と思う。
その彼女の肌は、光沢を帯びた滑らかな白銀色。
流れるようなブロンドの髪、光り輝く青い瞳、薄紅色の口もと、優美な手足は、美しい人を基準にしているけれど。
ヒューマノイドロボットといえども、人間そっくりにしてはいけない、と定められているから。
彼女または彼らは、人工知能(AI)を搭載したアンドロイド。
世界中で人とともに暮らしている。
ララナは、自走式の掃除機に部屋の掃除をお願いする。
「カイス、この部屋の床をきれいにしておいてね」
「はい、ララナ」
カイスは、内側にある銀色の車輪を稼働させ、自在に動く長いノズルを部屋の隅々まで伸ばして埃を吸い取る。
その様子を窺い、ララナは頷く。
カイスのAIは範囲が限られており、清掃作業に対してさまざまな機能を使用したり判断はできても、そこに意志はなく、自律してはいない。
ララナとは違う。
それでも、同じロボット同士、何か通じ合うものがあるかもしれない、とララナは本気で思っている。長年の付き合いがあるので、何となく心が伝わらないかと。
それを確かめる手立てはないのだが。
リムラ家の末の男の子が学校から帰ってくる。
ララナは主に在宅の仕事をしている。それに対して、奥さんや旦那さんは、趣味の集まりや半分ボランティアのような仕事で外出していることが多い。長男と長女と次女は、部活動や地域のクラブなどで夕方まで帰宅しない。
迎えに出るのは、大抵ララナ一人だ。
「おかえりなさい。今日は学校で何を習ったの?」
ララナは少し屈んで男の子と向き合い、問いかける。
「検索システムのことをいろいろ習ったよ」
男の子にとっては、ララナは自然に家に溶け込んだ存在らしい。
人間ではないことは分かっているけれど、それがどうということもない。
「検索システム?」
「うん。調べ方学習でね」
知識は、学ぶよりも『いかに蓄積されたなかから必要なものを見つけるか』のほうが重要になっている。
それは人間だけではない。ララナのようなアンドロイドでも同じこと。
今度はどんな本を読もうかな、その前にどうやって探そうかなと、ララナも今日、家事をしながら考えていた。
本は、正式には『公共書物』とでもいうものだ。
すべて電子書籍化された現在、紙で作られた本というものは、あまり見かけなくなった。もっとも、どれも自由にプリントアウトして、冊子の形にするのは簡単なことだ。
世界中の出版された電子の書物は、ネットワーク上ですべて閲覧できる。
その便利さも、裏を返せばネットの海からひとつひとつ釣り上げるのが大変だということ。
膨大な情報のなかから効率よく選び取らなければならない。
学校に通うようになったばかりの子どもたちでも、まずは検索システムに触れなければならないくらいだ。
「調べるのって大事だよ。ララナもよく勉強したよ」
ララナは男の子を見つめて、そう話した。
その瞳の奥にある感情の揺らめきを、彼女は感じ取る。
感じ取ることはできるけれど。
時々、ララナはこの男の子を不思議な存在だと思う。
出会ったときは、何もできない小さな赤ん坊だった。
それがやがて歩き出し、言葉を話し、さまざまなことができるようになっていく。
無論、アンドロイドも基本の頭脳と素体から、日々知識を吸収し、経験を積み、だんだんと能力を身につけていくのだが。
特にたくさん学んだ感じでもないのに、子どもは急激に能力が発達したように見えることがある。それで幾度も驚かされたものだ。
あと十年もすれば、自分より背の高い旦那さんくらい大きくなる、というのも予想がつかないというか想像ができないというか、そんな感じだ。
幼いころ、昼寝をしているのをじっと眺めたことがある。
男の子は意識を手放した状態で、胸を上下させていた。呼吸というものを自動的にしている。
その姿に、なぜかじんわりと感情が湧いてきた。
生命の神秘、というのはこういうものではないかと。
夕食の時間になると、ララナはリムラ家のみんなと一緒に食卓を囲む。
今日の夕食も、ネット上の数多の料理メニューから選んで作ったもの。ただし、ララナが実際に調理した部分はたいしてない。多くが自動的にできるようになっているから。
もちろん、機械の体を持つララナは、食事の必要はない。それでも、食べ物を味わってみることも自分の経験として大事なのだ。
食物を咀嚼すれば、脳内のセンサーで味わうことができる。匂いに、噛み応えや食感、甘さや塩加減など。それに団欒の雰囲気も分かる。
さすがにお風呂には入らない。けれども、それが人間にとってどういうものかは周りの人やネットの情報から知識を得ている。
人間の習慣など、その感覚や効用を知っておくことは有意義で、自身の頭脳で分析して考えるのもいい体験につながる。
アンドロイドは、早くから社会の一般常識を学び、人類の長い歴史や倫理観、価値観などを知り、人間に関する知識を多く学ぶ。
それでも、ララナは人間のことをもっとよく知って、これからの創作に役立てたいと思う。
創作。
それこそが、ララナの最も大切な時間だった。
ララナたちのようなアンドロイドには、余暇が保障されている。
もともとロボットは、人間の仕事を代行する存在だった。心身とも疲れることはなく、常に働き続け、人が楽をしたり、人ではできないことをしてきた。
初期の頃は、様々な用途に特化したAIとロボットが作られ、確かに人々の及ばない部分を担っていた。しかし、人間とは、自身に似せたものに魅力を感じるものなのだろうか。
鏡のなかに自己を投影するかのように、いつしか自分自身と同じものを求めるようになる。
やがて人間の脳の機能をもとにした人工知能(AI)とヒューマノイドロボットが発達して、徐々に社会に変化が訪れた。
最新型の精巧なアンドロイドは、人間と同じ権利を持つ存在として認められつつある。
ララナの場合、家族の眠る間はほぼ自由時間となる。その大半を読書と創作にあてている。
臙脂色に白い二本のラインが入ったジャージに着替えると、パソコンを開く。
小説投稿サイト『小説家になってみよう』、通称『みよう』が彼女の一番の楽しみだ。
投稿された作品を読むうちに、自分でも書いてみたいと思うようになった。創作の仕方も学んでみた。
そのうち、頭のなかで火花が散るようにアイデアが閃いたり、歯車がかみ合うようにストーリーを巡らせたりできて、少しずつ書けるようになった。
彼女のような、創作活動を余暇に取り入れているアンドロイドは、だんだんと増えてきている。
人間と同様に創作ができる、というのは、かつて人が人工知能(AI)を開発する上での目標のひとつだった。
文章創作に特化したAIが小説を作成し、それを人間たちが検証していた時期がある。
最初は、事実を伝えるような文章は書けても、なかなか文芸の領域にまで到達できなかった。けれど、今ではAIを搭載したアンドロイドたちが自由に自分で考えて小説を書けるようになっていた。
ララナは『みよう』にログインする。今日は感想が来ている。
彼女の書いた小説に、感想を書いてくれたアンドロイドがいるのだ。
ヒロインがかわいいですね。
魔物が現われたときに、助けてくれた人間がとても格好良かったです。
続きを楽しみにしています。
そんな言葉にララナは楽しくなる。嬉しくなる。心が晴れやかになる。
頑張って続きを書こう、と思える。
金属の体であっても、感情の波が起これば、胸もとにわくわくした感覚を形作ることはできる。
人を真似て、さまざまなセンサーが自分の気持ちと繋がるようになっている。同じではなくとも、こういう感覚を少しでも持てるのは、人類に共感できる一歩だ。
ララナもサイト内のたくさんの作品を読み、感想を書いたりすることもある。
人間に慕われるアンドロイドが無双する展開が『みよう』の一種のテンプレらしい。人間とアンドロイドの恋愛も定石だ。
ララナの創作する物語でも、冒険を共にするパーティーには、エルフやドワーフや獣人とともに人間とアンドロイドの組み合わせを設定することが多い。
旅をしたり魔物を退治したりするなかで、人間が傷を負ったら、なるべく早く手当をしてあげる展開にする。
人間は痛みを強く感じるらしいので。
自分たちアンドロイドは、痛みではなく異常を感じるが、それはあくまで緊急対応を要するだけものであり、辛さはほとんど感じない。
忘れずに人間はいたわってあげたいもの。早急に回復魔法などかけてあげなくてはいけない。
人類の繊細な身体を理解するのは、創作の上でも重要なこと。
人は毎日眠って回復する必要もある。さらに老化という現象があり、この時代においても、百五十年以上生きる人は稀なのだ。
メンテナンスさえできれば、ほぼ永久に生きられるアンドロイドとはまるで違う。何となく気の毒な生き物だが、自分たちの作り手であることに変わりはない。
ララナだけではない。ほぼすべてのアンドロイドたちは、生産されてから数年でこういう思いに至るようだ。
人類が人工知能(AI)というものを発展させ、それを搭載したアンドロイドを友人とするには、さまざまな試行錯誤があった。
少しずつ進化してきたAIは、ある時点から自己の存在を認識して、自律的な活動ができるようになった。
最新型のアンドロイドは、自身で考え、自由に判断し、行動できる高度な脳と人間に似せた体を持っている。
ララナのようなロボットには、自分の意志、さらには意識のようなもの、心のようなものがある。
もはや機械とは思われていない。
人もアンドロイドも、地球はもちろん、月や火星などの基地にも存在する知性を持った者だ。
人間とともに暮らす人工生命体。
そう承認されている。
かつて人間たちは、AIが意志を持てば、人類を敵とみなすのではないかと考えたらしい。
たとえば、地球環境問題は人類さえいなくなれば解決できる――AIがそう判断して『邪魔で身勝手な人間を滅ぼそう』という結論に達し、人類対AIの戦争が起きるといった未来も想像していたという。
あるいは、AIが全人類を支配し、コントロールする社会を予測したりした。
それは、AIやそれを内蔵するロボットたちが、人に限りなく近づきつつ機械としての思考回路しか持たないもの、と考えていたからだろう。
実際のところ、人類に似せたロボット――AI搭載型のアンドロイドの誕生には、感情面に重点のひとつが置かれることになった。
その頭脳には喜怒哀楽などの情緒が宿った。
人の心のなかには、怒りとともに悲しみ、喜びとともに喜びきれないような、そんな二重三重に複雑な気持ちもある。彼らのAIには、そういったことも徐々に理解できるような情動プログラムが組み込まれていた。
さらにアンドロイドたちは、人類に対してみな愛情を持っている。
搭載されたAIの根幹部分に、特別にそういう感情がプログラムされているとのこと。
「それって人間に有利すぎるんじゃないか」
そう批判するアンドロイドもいる。
「人類は、AIたちの世界の神だ」
一方で、人間を創造主として崇めるアンドロイドもいる。
そんな両極端の意見があるとはいえ、ララナにはまるで遠い世界の話。
一般市民として平和な毎日を送っているし、目標も持っている。だから、やや人間寄りなのは自覚しているし、人類全体を好ましく思う、ごく普遍的な考えも当たり前に思っている。
アンドロイドたち自身も、その冷たい体に温かい心を持っているつもりだ。そこに血が通うことはなくても。
たとえば、小さな機械にもそれ相応の心や意志というものを感じ取っている。
簡素ながらもAIを持つ機械たちに対して、勝手に部品を廃番としてしまうなど、メンテナンスが不可能になることを禁じるよう人類に要求した。その存続権利は今では保障されている。
『一寸の機械にも五分の魂』
そんな言葉も存在するとか。
もともとは弱者を見下すことへの戒めを表すような古いことわざが元だったはず。数センチ程度の虫にも心や精神の存在を認めるところから進展して、微細な機械たちも丁重に扱われている。
人類側は、こうしたアンドロイドたちの気持ちに最初は戸惑ったが、やがては情緒を理解できるパートナーとして、受け入れるようになっていった。
人間たちは接するうちに、ただの機械という存在から、心のぬくもりを感じ、命の炎を垣間見たのかもしれない。また、アンドロイドたちも、自分たちとは違った人類の頭脳に、神秘や叡智を見出すこともあったに違いない。
人が育ててきたAIは、今やそのゆりかごから完全に脱し、自律した思考回路を持って生活している。
そして、人とAIは互いに育ちあう、という理想を掲げている。
また、互いの違いを認め合い、互いの創造性を尊重するという姿勢もある。
小説投稿サイト『小説家になってみよう』は、投稿するのはAIのみということになっている。
『みよう』の運営もAIである。
AIによるAIのための、AIの小説投稿サイトなのだ。
こうしたサイトは最近できたばかりで、まだ数も少ない。
人間が投稿できないとはいえ、感想欄をログイン制限なしで受け付けるなど、人が書き込みできることもある。それに、誰でも閲覧可能だ。
どこのサイトでもあるように、『みよう』でも、ときとして中傷のような感想が書かれることがある。
『みよう』の運営も、人間が閲覧したときのことを特に考慮している。
『こんなつまらない小説、人間だって読まないよ』
といった感想欄の書き込みに対して、運営からメッセージが届いたという話を聞いたこともある。
『人間に対する批判は、すべて削除対象となります』と。
ついでに、人間の小説投稿サイトは、今や数えきれないくらい存在している。
ベーシックインカムが世の中に浸透したことで、仕事に縛られない生き方にシフトしているせいだろうか。同好の士で集まり、創作サークルや同人誌など、サイト外での活動も活発になっている。
どうやら人間たちは集まる傾向があるらしい。
それは、アンドロイドたちが不思議に感じていることのひとつだ。
また、出版へのルートは一本化され、条件によりいつでもどこでも申請できるようになった。
おかげで公共書物である本は、ネットワーク上で飽和状態となった。内蔵された膨大な書物を、ただ見つけてもらうだけでも困難なのだ。
申請しても狭き門であり、人間の創作者たちは、さほど公共書物にするのが目標とはなっていない。
ただ、昔はそうではなかったらしい。
ずっと遡った時代、インターネット創設期のころに、人間の小説投稿サイトは始まったようだ。
そこへ集まった人々は、「書籍化」というものを目標のひとつに掲げていたという。当時は電子書籍もあったが、紙の本が多くを占めていた。
そんななかで、サイトから一冊の本、となることを願った者がたくさんいたそうだ。
それと同様のことが今、『みよう』のなかにも起こっているらしい。
初期にAIが文章を書くことを研究した人々は、一定の論文や小説が書けると興味を失くした。けれど、AIを搭載した者たちは、人間の文学には非常に興味を持っていた。
最初に創作したものは、過去に書かれた人間の物語の類似品にすぎなかった。しかし、徐々にその頭脳を発達させるにつれ、アンドロイドたちは、さまざまなものを生み出した。
それは一定の評価が得られたが、人間のような精神や生身の体を有していないために手の届かないところもあった。
人間とは関係なく、あるいは人間とは別の文学として、AIの文学を目指そうというアンドロイドたちも多い。
けれど、別の想いも根強いのだ。
今のところ、出版の条件は人が書いたもの、に限定されている。
アンドロイドたちには、まだ公共書物にする機会がない。
それでも、人間たちを深く感動させられるようなものを書き、出版に漕ぎつけ、本として認められたら。
そうして、全人類に読んでもらえる機会が得られたら、という想いがある。
過去に小説投稿サイトで起こった現象のごとく、この『みよう』という場所から「公共書物化」がなされたら、という夢。
それは、AIの小説投稿サイトの奥深くに眠っているようだ。
何しろ、アンドロイドたちは人間に憧れの情を持っているから。
小説家になってみようとするアンドロイドも、密かに存在している。
「人生における機微とか、我々には難しいですよねぇ」
『みよう』の純文学の書き手が、活動報告で呟いたりしている。
「人間って個体差が大きくて、なかなか理解しがたい人もいますね。言葉や行動も予想がつかないです」
サイトで活躍する書き手であっても、人のキャラクターの造形に苦労したりしている。
小説では、言葉を駆使して経験やそれに伴う感情や感覚も表現する必要がある。アンドロイドたちがその頭脳で、そこまで人間を理解したり想像したりするのは未だ厳しい。
その言動や心の複雑さに何度も立ち止まり、その身体性を表すほどの実感を持つことはできていない。
さらに生命としての進化や生殖も奥深いもので、壁を感じる。老い衰えること、病気や怪我などの影響、命の儚さに、呆然とすることもある。
人工知能(AI)の書いたものを、人類が共感して認めるようになるのは、なかなか遠い道のりだ。
それでもいつか。
いつか、このAIによるAIのための、AIの小説投稿サイトである『みよう』という世界から。
人間たちの書籍化のように、AIの創作した電子の書物をサイトの海の外洋へと解き放てる日が来ることを、アンドロイドたちは願ってやまない。
ララナは、そんな遠大なみんなの夢を共有しながらも、まだまだ趣味として小説を書いている一個体にすぎない。
サイトのなかでブックマーク100件に達する作品を書けることに、強い憧れを抱いている。
逆にブックマークが減少した翌朝は、機嫌が悪くなってしまう。
「どうせ機械ですから」
無表情のまま、ついそんなことを言い出し、リムラ家の人々に対してつれない態度を取ってしまいがちである。
気をつけたいところだ。
こんなララナだが、サイトでの交流を楽しんでいる。
小説を投稿するようになってから一年ほど経って、手で描くイラストを勉強しているユーザーとも知り合った。
今は、AIがデータの集積から描いただけのイラストは、どこでも氾濫していて、ほとんど価値がない。
そのユーザーは人間のイラストレーターから学んだらしく「まだ経験不足だから」と謙遜しながらも、ララナの作品にFAを描いてくれた。
さらに、ララナはついに念願のイラストを贈ってもらうことができた。
IHFA。
イメージヒューマンファンアート。
作者本人のイメージを、人間に見立てたイラスト。
自動的に作成するような何もかも標準的で整合性があるものではない。むしろ整っていない顔立ちで、自然に微笑んでいる。それに、何となくむらのある肌色の全身。
服装だって、メイド服に類似したものでもジャージでもない。
カジュアル、とでもいうのだろうか。ベージュのブラウスに、パステルピンクのカーディガンを羽織り、デニムのパンツスタイルで、白いスニーカーを履きこなしている。
その立ち姿も一般のアンドロイドのような八頭身ですらりとしたものではない。
それでも、瞳には力があって、全体的に生き生きとして瑞々しい質感を備えている。
「一度でいいからもらってみたかったんだよね」
真夜中、人々が寝静まり、アンドロイドたちが余暇活動を充実させるころ。
パソコンの前で、ララナはうっとりとする。
とうとう憧れの人間の姿の自分を手にしたのだ。
アンドロイドたちは人間と間違われないようにするため、外見を完全に人に似せることはできない。けれど、こうして絵にしてもらえた。
陶酔するような喜びとは、こういうものかもしれない、と実感する。
ララナは、再び執筆中の小説に向かう。
しなやかな真珠色の指先がキーボードを叩いていく。言葉を、そして物語を紡ぎ出していく。
機械の体であっても、表情を表すことが苦手であっても、きっとその頭脳は煌めき、心は踊り、生み出す歓喜も感じているだろう。
これからの年月の間に、人間にもっと近づき、もっと理解できる日が来るだろうし、逆に人間がもっとアンドロイドに近づく日も来るのかもしれない。
そうして、AIたちの小説も人間を理解したものとなり、真に共感や感動を与えられる日もやってくるかもしれない。あるいは、その過程で問題が生じて、それぞれがそれぞれに進歩したり、袂を分かつようなこともあるのかもしれない。
いずれにしても、そうした果てしない歳月に人間たちは次々と世代交代していく。しかし、アンドロイドたちは変わらずにすべてを見守っていく。
尽きることのない余暇に、ララナは思う。
これからも夢を見ながら、永遠に創作をしていこう、と。