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 直子と太一はバックルームで納品された商品の検品をしていた。

「缶詰類のチェックOKね」

 直子は缶詰類が入った折りコンを奥の保管場所へ移動しようと持ち上げた。

「よっこいしょ」

 想像以上の重さに直子は思わず声が出てしまった。背後に感じた太一の気配に自分の顔が紅潮するのがわかった。力も抜けてしまい、持ち上げた折りコンを床に置いてしまった。

「聞いてた?」

 直子は振り返り、恐る恐る聞いた。

「何をです?」

「何か最近ね、重いものとかを持ち上げる時に、ついね、『よっこいしょ』とか声が出てしまうのよね。これっておばさんぽい? 歳なのかな? やっぱり気を付けた方がいいよね」

 懸命の弁解に少し情けなくなる。太一は「ああ」と笑顔を見せた。八重歯の輝きもどことなく力無い。

「そんなこと無いですって。この間たまたま見たテレビ番組で言ってましたよ。その『よっこいしょ』が大事なんだって、いい感じに力が抜けて、怪我の防止になるのですって。そんなことを恥ずかしがって怪我をするよりもよっぽどマシです。俺は好きですよ。よっこいしょ」

 そう言って太一は折りコンを持ち上げて運んだ。直子は嬉しかった。太一の優しさが。

「よっこいしょ」

 直子も思いっきり声を出して折りコンを持ち上げた。

「太一君」

「はい?」

「優しいね」

「よく言われます」

 折りコンを置いて振り返った姿がそのまま決めポーズになっていた。あまりの格好良さに直子は言葉を失い固まってしまった。

「どうしました?」

「……やっぱさぁ、テレビの事はあのノートに書いてあるの?」

 咄嗟に出てしまったのは、少し意地悪な言葉。しかしそうでもしないと、うっかり「好き」と言ってしまいそうだった。

「TEPPENノート」はあの日以来ガードが堅くなって、見た事が無い。太一にとってあのノートはアンタッチャブルな部分になってしまったようだ。直子も悪ふざけが過ぎたと反省していた。 

「ふう!」

 太一は大きなため息を吐いた。

「そうですよ!」

 太一はバックルームのドアを開けて出て行った。怒っていても颯爽としていた。

「格好良すぎる」

 と言う言葉が「よっこいしょ」と同じ感じで出た。


 直子は発注業務に向けてスナック菓子コーナーの在庫確認をしていた。

「直子さん」

 太一が直子の元へ来た。

「これなんですけど、メッチャ美味いのでもっと取って下さい」

 太一は新商品のスナック菓子を指差して言った。

「そうなんだ。でも1人暮らしだからってこんなものばかり食べて無いでしょうね」

「え?」

 たじろぐ太一にもっとツッコミたくなる直子。しかし太一の後ろに女性客が近付いて来た。

「すいません。レジお願いします」

「はーい。じゃあ直子さん。お願いしますね」

 太一はそのスナック菓子を指差しながらカウンターへ向かった。

 太一が働き出して女性の客層が増えた。これは直子の体感では無くデータで明々白々に表れていた。もっと正確に言うと太一が打つレジの女性客数が増えていた。

 もはやこの店のアイドルになりつつある太一。その様子を体感して直子は焦燥に駆られてしまう。仕事のパートナーという距離の近さが正直とても居心地が良い現状。そこへ土足で踏み入ってくる存在に嫌悪感を抱いてしまう。

 ――もしあの時本当に「好き」って言ってしまっていたら、どうなっていたのだろう?

 現段階では「好き」=「愛しています」ではない。多分ここの女性客達と同レベル。しかしその距離感から誤解を生じてしまう可能性があるかもしれない。

 ――やっぱ、引かれるよね。

 もし太一が言葉通りに受け取り、それを重いと感じられてしまったら、もう一緒に仕事は出来ない。

 しかし太一がする女性への対処の仕方を見ていると、それは杞憂に過ぎないとも感じる。幼い頃からきっと多くの女性達の告白を受けて来たはずだ。年齢は直子が倍でも恋愛の経験値は太一の方が倍以上なのだろう。直子が「好き」と言ってしまっても「よっこいしょ」の時同様、大人の対応で返してくるかもしれない。

(なお)ねぇ」

「うあぁ」

 背後から突然話し掛けられて、思わず店内中に広がる悲鳴を上げてしまた直子。恥ずかしさに首を竦める。

 立っていたのは涼子だった。

「涼子さん」

「久しぶり」

「ビックリした……」

 涼子は直子がコンビニで働く前に勤務していたマッサージ店の店長。年下の店長だったが、年も近かったので仕事以外のこともよく相談しあっていた。メールで近況報告はしていたが実際に合うのは店を辞めて以来初めてだった。

「ご無沙汰しちゃって……」

「何か急に直ねぇの顔が見たくなってね」

「嬉しいわ。もうすぐ終わるから、いつものコーヒーショップで待ってて」

「了解」


 マッサージ店で働いていた時によく利用していたコーヒーショップ。安価が売りのチェーン店。当時ヘビースモーカーだった直子は分煙がしっかりしていたので、この店をよく利用していた。

 コーヒーショップの店先に自転車を停めながら直子はウィンドウ越しに涼子の席を確認した。涼子と目が合い手を振った。

 注文を終え、受け取ったコーヒーカップを持って席に向かう直子。

「待った? ごめんね」

「ううん、こっちこそゴメンね。急に」

「こっち側の席に来るのは久しぶりだ」

 席に座り直子は言った。喫煙席にはコンビニで働き出してからは座っていなかった。

「止めたんだ」

 涼子は吸っていたタバコを消しながら言った。

「病気したからね」

「ごめん。席移ろうか?」

「ううん。平気。それでどうしたの?」

「うん?」

 この妙な間で直子は涼子が会いに来た理由の察しがついた。涼子は直子にマッサージ店に戻って欲しいのだろう。直子がいた頃から店は人手不足だったので、多くの客をこなしていた直子が抜けたのは痛いはずだ。

「……元気しているかな? と思って」

「やっと心と体も回復してきました」

「良かった」

「私の方こそ、ごめんなさい。一度店の方に挨拶に行こうと思ってはいたの」

「気にしないで……」

 直子は涼子がなかなか言い出せないでいるようなので、パスを送った。

「お店の方はどう?」

「忙しい。やっぱ人手が足りないの」

「そう……」

「ねえ、直ねぇ。またうちに戻ってきてくれない?」

 直子の予感は当たった。直子の答えはNOと決まっていた。

「えっ、無理無理」

「直ねぇみたいにバリバリやってくれる人がいないと店が回らないの」

「別に好きで仕事を多く取っていたわけでは無いから」

「そうだろうけど……」

「あの頃はお金が必要だった。ただそれだけ」

「でも……」

「また体を壊したくないから」

「……そうだね。わかった……」

 涼子はコーヒーの入った紙コップを口に運んだ。表情はまだ冴えないままで何か含みを持たしていた。

 ――その話をしに来ただけでは無いの?

「さっき見てて思ったんだけども、直ねぇうちの店にいた時よりもずっと雰囲気が明るくなった」

「そう?」

「うん。安心した」

「まあ、今の仕事選んだ理由って、ただ楽そうだから。その辺じゃないの」

「それだけかな?」

 涼子は思わせぶりな顔で言った。

「何? 感じ悪い」

「あのイケメン君でしょう。あんな子といつも一緒にいられたら、それこそ毎日がバラ色ね」

「太一君?」

「太一君ていうんだ。私ファンになりそう」

 涼子は前のめりになって聞いてきた。磁石の反発のように直子はその分後ろへ下がった。

「昼、働いてるんだ彼」

「あの歳でもう自立しているの」

「えらーい。学校は?」

「夜学に通ってるの。だからか知らないけど毎朝遅刻でね」

「仕方ないって、若いんだもの。いくつ?」

「十六。私の半分よ。最初ショックでね……」

「射程範囲内でしょ。狙えるって」

 遮るように涼子が言った

「よしてよ」

「仕事そっちのけで見とれていたくせに」

「ち、違うって」

「どうだか? 直ねぇでもあんな顔するんだ。一緒に働いていたときには見たことのない表情だった」

「え? どんな?」

「デレデレ」

 涼子は両目尻を下げながら言った。

 直子は体の奥の方から恥ずかしさが込み上げてくるのを感じた。昇と健人にも見透かされていたし、自分の脇の甘さに落ち込んだ。

「マッサージとか言って体触ったりしてない? 元プロだから上手いのよ、とか言ってさ」

「おぉ、その手があったか」

 直子は頑張ってオーバーアクションでおどけて見せて自分を保っていた。

「マジ? それってセクハラですからね」

「じょ、冗談だって……」

 涼子があまりにシリアスな表情で言うので、直子もシャレにならないような気がして焦った。

「いいや、そうとは聞こえませんでした」

「勘弁して、本当に言われるまで気が付かなかったの」

 涼子の表情がまた曇った。

「……それもちょぴり、ショックだわ」

「なんで?」

「直ねぇの中ではうちで働いていたことが、もう完全に消去されているんだね」

 ――かもしれない

「ほら、図星でしょう。顔に出すぎ」

「……あの時はお金のためだけに働いていたし。剛のショックを払拭するために一心不乱だった」

 正直、剛を失った後、マッサージ店で働いていた時は感情なんて存在しなかった。日々の仕事をこなしていただけだった。


「吾朗さん来たよ」


 一瞬涼子の発した言葉の意味が理解できなかった。

「嘘?」

 吾朗は剛の父親。

「久々に私が相手したわ」

 涙を滲ました涼子の目に、今日直子に会いに来た本当の理由がわかった。

「ごめん」

「どうしたの?」

「彼に剛君のこと話しちゃった」

 その言葉は直子にとって、通過電車が近付いて来るホームで背中を押されたような恐怖であった。

「どうして?」

 自分でもビックリする位に声を尖らしていた。

「最近直ねぇに会えないって、色々聞いてきてね。つい……」

「そう」

「言い訳するわけでは無いけど…… 薄々気付いていたみたい。吾朗さん」

 ――かもしれない。

「今日来たのはその事を伝えたかったから」

 頷く直子。

「ゴメンね」

「……大丈夫」

「じゃあ、行くね」

 立ち上がり去っていく涼子。

 しばらく去って行く涼子の姿を眺める直子。姿が見えなくなってもそれは続いた。

 そして自分の太くなった掌を見つめた。


 次の日昼休憩を取るためにバックルームに入った直子。携帯電話を取り出した。

 吾朗からの着信履歴が入っていた。

 直子は悩んだ。返信をするかどうかで休憩時間の全てを費やした。



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