表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花に恋う  作者: 日次立樹
6/7

6.天嶺

 祖母から受け継いだ店のカウンターで、天嶺織は古い本を広げる。店を開けてはいるが、店内に客の姿はなかった。本の黄ばんで穴が開いた表紙、今にも糸が切れて分解してしまいそうな傷み具合に顔をしかめる。祖母が残した大量の書物の整理も早くしなければならないと思いはするのだが、いまだにほとんど手を付けられていなかった。補修の必要な古い本が多い上に、部屋一つにはおさまらない量。内容が内容なので、誰か人に頼むこともはばかられた。結果、それらの大半は埃をかぶってしまっている。


 『まじない屋あまね』は名前こそ怪しげだが、実際のところはただのみやげ物屋だ。しかし祖母はたまに霊能力者の真似事のようなことをしていたらしい。祖母曰く天嶺の家は狐の血を引いていて、不思議な力を持つものが生まれるのだとか。

 まさかそんなことはあるはずがないと言いたいところだが、祖母が霊力めいたものを使うのを天嶺は何度も見ていた。そして天嶺も、自分が普通とは違うらしいことにうすうす気がついてはいる。

 妖怪やら幽霊やら、そういった非科学的なものとはなるべく距離を置きたい天嶺だったが、否応なしに巻き込まれてはその存在を無視できようはずもない。そのため、暇を見つけてはこうして知識を詰め込むのが習慣になっていた。


 からん、と入り口の鈴が鳴る。しかし客ではなかった。商店街の名前の入ったエプロンをつけている武井が手に持ったバインダーを掲げてみせる。

「お邪魔しまーす。天嶺、これ回覧板」


 商店街の回覧板を持ってきてくれたらしい。天嶺がイベントのお知らせや掃除当番の表などをぱらぱらと確認する横で、武井がうわさ話をするのはいつものことだ。どこの店の息子は花屋の娘が好きだとか、定食屋の常連の一人が昇進したらしいとか。一体どこからそんな話を仕入れてくるのか。

 天嶺はうわさにはあまり興味がないので適当に相槌を返すだけなのだが、武井は飽きもせず天嶺に話をする。商店街にいる同い年の連中の中で独身なのが武井と天嶺だけなので、どうも仲間意識があるらしいというのはついこの前知ったことだ。


「天嶺、エイちゃんのこと、聞いたか」

 一通りしゃべり終わると、武井は緊張を押し隠した声で言った。エイちゃん、というのは武井や天嶺の高校の同級生で、先日同窓会の時にゼロ次会と称して天嶺の店の二階に集まった内の一人だ。英という苗字の音読みをとってエイちゃんと呼ばれていた。

 彼にまとわりついていた、かすかに鉄臭さを含んだ甘い花の匂いを思い出す。


「何かあったのか」

「行方不明なんだってさ。同窓会に来た奴はなんか心当たりがあったら知らせろって幹事から連絡があった」

「そうか。あの時は特におかしな様子はなかったと思う。何か思いついたら俺も連絡するから」

 何があったのか予想がついているのに、白々しい反応だと思う。おそらく彼は天嶺の忠告を聞かなかったのだ。甘い匂いがした、などといっても異変だと信じてはもらえないことはわかっていたので、天嶺は何も言えない。


 もちろん武井にも、天嶺が何かを知っていることはわかっているだろう。しかしそれが説明の難しい事情だということも理解していて深くは追及してこない。

 天嶺の家のことには踏み込むな、というのがずっとこの商店街にいる者たちの間では不文律になっている。不思議な力を持っていても祖母や天嶺が普通に暮らしてきたのは、この場所に住む人たちと良好な関係を築いてきたからだ。だから祖母は、商店街の人たちがもし天嶺の力を必要としていて、頼ってきたなら助けるようにと言い聞かせたし、天嶺も祖母の言葉を守ってきた。とはいえ天嶺は祖母とは違い多少人より鼻が利く、妙なものが見える、という程度なので、大したことはできないのだが。

「長居したな。帰るわ」

 武井は慰めるように天嶺の肩をたたいてから店を出て行った。



 カウンターに置かれた本は、あの日英が示した花のページを開いていた。この本は天嶺の先祖が見つけた珍しい植物の特徴を記したものだ。貴重な薬草や毒草のほかに、寄生植物や他の生き物を捕食する肉食植物などが載っている。

 英が示した花は、長い葉が何枚もうねって地面を覆い、中央から細く伸びた茎の先に一つだけついた花が重たげに首を垂れている。細い花弁が隙間をあけて何重かに重なる様子は繊細で可憐な花に見えるが、天嶺には不吉なものにしか見えなかった。花の図の周囲に詳しい特徴が書き添えられている。

 蛇のようにのたうった字を指先で追いながら解読する。

 『月の出る夜に開き、昼になると花が閉じるが、枯れるまでは毎夜咲く』『甘い香りで人間をおびき寄せ、異性に化けて誘う』『咲いている花に触れると葉が動き獲物を捕らえる』『花の色は白いが、人を食べた花は赤く変色する』

 植物の名も書かれていたようだが、その部分は虫食いがあって読めなくなっている。『月下美人のよう』と添えてあるのは祖母の字だ。祖母もこの花を見たことがあるのだろうか。


 本当はここに書かれていることを英にも教えるべきだったのだろう。しかし天嶺の家にある本の知識を外に持ち出すことは禁じられていた。その多くが覚え書きのようなもので書かれている内容が正確とは言い切れないことや、たとえ本当であっても普通の人には到底信じてもらえないものであることが理由だ。


 英はこの花に食われたのだろうか。それとも、と心の中で呟いて、本の下敷きになっていたはがきを引き出す。

 天嶺宛てに今朝届いたばかりのそれには差出人の名前がない。宛先の住所すら正確ではなかった。天嶺というそう多くない苗字と店の名前が書いてあったから届いたのだろう。白紙の面にボールペンで殴り書きのようにどこかの地名が書かれていた。


 英が行方不明になったのに合わせたようなタイミングで届いた不自然なはがきが、無関係である可能性は低い。

 はがきに書かれた場所に行くべきかどうか、天嶺は迷った。英のことは気になる。しかし、不用意に関われば天嶺にも危険がある。なにせ人喰い花だ。一応天嶺は英に忠告したのだ、これ以上踏み込む必要はないのではないか。


 祖母は天嶺に商店街の人たちがもし天嶺の力を必要としていて、頼ってきたなら助けるようにと言い聞かせた。そしてそれより大事なこととして、そういったことに自分から関わらないこと、深入りしすぎないことを言い含めた。人より多少能力があるからといって過信して踏み込めば危機を呼び寄せ、引き際が見極められないことは命にかかわる。

 祖母の言葉はもっともだ。だから天嶺は英にも最低限の忠告しかしなかったのだ。だけどもし、天嶺がもっと強く言っていたら、という考えが頭を離れない。英が行方不明という知らせに天嶺は動揺していた。

 このはがきが英の出したものであるなら。彼が天嶺に助けを求めているのなら。天嶺は立ち上がり、店のドアにかけた開店中の札を裏返す。

 とうとう、天嶺は祖母の言いつけを破ることを決めた。



 真っ昼間だというのにどこか薄暗く不気味な道を、ざくざくと足音を立てて登っていく。連休が終わったばかりの平日だからかもしれないが、あまりの人気のなさに心細くなってくる。山を登り始めてから、まだ誰にもあわないのだ。ところどころに休憩所が設けられていたが、使われている形跡はほとんどなかった。

 頭上で突然ばさりと音がして天嶺は首を縮めた。どうやら鳥が飛んで行っただけらしいと分かりほっと息をつく。


 やがて道が途切れたが、行き止まりにしてある柵を乗り越えたような靴跡があった。

 天嶺はその先に草をかき分けて進んだような跡があるのを見つけた。さらに薄暗い草むらの奥を見透かそうとして目を細める。草むらの奥からは熟しすぎた果実のような、どろりと甘い匂いが漂っていた。深呼吸をして、天嶺は柵の向こう側に入り込む。

 足場は悪いが、誰かが最近ここを通ったことは確かなようだ。踏まれて折れた枝や滑ったように落ち葉がずれて地面が露出している部分があった。そのまま匂いの元をたどっていくと、やや開けた空間に出た。


 そこに広がる光景に天嶺は背筋を凍らせた。そこには赤い花が地面を覆いつくすように咲いていた。今は昼間だから花は萎んでいるのに、それでも広場全体が赤いと感じるほどの花がそこにあった。

 本に書かれていたことを思い返す。人を食べた花は赤く染まる。では、この花すべてがそうなのか。犠牲者は一人や二人ではないだろう。

 いっそこのまま逃げ帰ろうかと思ったが、まだ英を見つけていない。天嶺はポケットからライターを取りだし、すぐに火をつけられるように片手に握っておく。植物なのだから燃やせば何とかなるはずだといい聞かせた。風が吹いても花たちは微動だにせず、それがかえって不気味だった。


 英らしき人物はすぐに見つかった。断言できないのは、顔がわからなかったからだ。花畑の端に転がっていたのは白骨だった。残っている服から英と似た体格の男だと判断する。服はまだ比較的きれいで、ここにきて何日もたっていないだろうと思われた。それが白骨化しているなど、明らかに通常の死に方ではない。これが、花に誘われた人間の末路だということだろう。その彼の周りを取り囲むように赤い花びらが散っていた。

 仰向けに転がっている男のポケットから茶封筒がのぞいていた。天嶺がそれを引っ張り出すと、はらりと白いものが地面に落ちる。それは地面に散っているものと同じ形の花びらだった。

 手紙は誰に宛てたものということもなく、独白のように書かれていた。はがきの字と癖が同じなので、英が天嶺に読ませるつもりで書き残したのかもしれない。地面に落ちた白い花びらを拾い、封筒の中に入れる。さすがに、花びらだけで人を襲いはしないだろう。それを持って、天嶺は花畑を立ち去ろうとする。


 とん、と背中を誰かにたたかれた気がして、天嶺は振り返った。しかし当然、そこには誰もいない。ただ花が沈黙していただけだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ