1.4 魂の取引
ここまでのナカメグロー側からの申し出をまとめると、私はもちろん王子や男爵令嬢も熟知した呪師が私と入れ替わって、男爵令嬢と他の貴公子を近づけつつ、王子と私の関係修復につとめるというもの。
荒療治ではあるものの、夢が覚めるまででも試してみたい選択ではある。
― 一通り、あなたのオファーはわかりました。それで、あなたは私に何をしてほしいのかしら。
― うん、簡単だよ。基本的にマリアンヌ様がマリアンヌ様でいてくれたら、多分うまくいくと思うの。
― よくわからない精神論はいいから、もっと具体的に指定していただけないかしら。
このナカメグローの呪師が私の屋敷に努めていたなら、思わず暇を出していたと思う。呪師としての腕は一級なのだろうけれど。
― うん、ごめんね。あのね、私フィギュアスケートをやっていたんだけど、みんなの期待が重すぎて、見ている人の批判も怖くなって、だんだんスケートが怖くなっちゃったの。でもスケートに全部捧げてきたから、家にこもってもすることがなくて・・・スケートはわかるよね?
― ええ、運河が凍ったときなどに、スケート遊びをしたことはあるけれど。フィギュアとはなにかしら?そもそも、見ている人が嫌なら人払いをすればいいでしょう?
― えっとね、スケート版の社交ダンスみたいな感じかな。だから一人で滑るわけじゃなくて、人前で滑るの。ペアでも踊るけど、私はソロで踊っていたの。
― 氷上に一人なんて確かに寂しそうな絵面ね。パートナーがいなかったのかしら。氷の上の社交ダンスと聞くとなかなか粋に聞こえるけど、ダンスで大事なのはコミュニケーションでしょう?
― ううん、フィギュアスケートは、芸術表現が大事で、パートナーよりも見ている人をワクワクさせるのが第一なの。それでマリアンヌ様は堂々として華やかだし、みんながなんて言おうと自分の道を貫けるでしょう?私は評判が気になっておどおどしているうちに自滅しちゃったけど、マリアンヌ様が私と入れ替わってくれればそんなことにはならないと思って。
社交ダンスを代わるのなら妥当な提案だったけれど、氷の上で一人となると勝手が違う。
― あなたの他力本願な願いはよくわかりましたけど、群衆を沸かすために一人で踊るなんて、おひねりで暮らす旅芸人みたいで公爵家の人間としてはあまり気が進まないわ。
― ううん、確かにプロの人もいるけど、私は競技としてやっていたから、あくまで一番美しくて、一番難しいスケートを極めるのがゴールだったの。マリアンヌ様をスポンサーに頭を下げさせたりしないから大丈夫。私も技術だけはあったし、マリアンヌ様は芸術的なセンスがあるから、マリアンヌ様の魂と私の体なら大丈夫だと思うの。
芸術、と言われるとちょっと興味が出る。凍った湖の上で舞う姿を想像して、妖精の踊りのような幻想的な美しさを思い描いた。
― それなら面白いかもしれないわ。でもあなたの呪詛で意識だけ入れ替わったところで、あなたの技術を引き継げる保証などないわ。
― じゅそって何?体はトレーニングしてあるんだ。私、技術だけは一級品ってコーチに言われているし、感覚で残っている部分はあると思う。私は大会で緊張していつもうまくいかなかったけど、マリアンヌ様なら大丈夫。
大丈夫って、色々怪しい上に根拠もなさそうだけど、それでも試してみる価値はありそうね。
― わかりました。もしうまく行かなければ元に戻れるのかしら?
― うーん、でもマリアンヌ様の状況を改善するには学園に入学してからも地道な取り組みが大事だし・・・
― 結果が出せないとなったら潔く諦めるのが大事よ。半年たって成果がなかったら解消しましょう。
― まって、半年じゃまだ10月だよ、フィギュアのシーズンはそこから山場なの!せめて12月末まで粘って。マリアンヌ様の学園でもクリスマスパーティーがあるからそこまでで。
― そう、じゃあとりあえず8ヶ月ね。こまめに情報交換はできるのかしら。
ー たぶん・・・
相変わらず頼りない呪師だったけど、夢の中で気が大きくなっているのかもしれない。でも私は近頃ではないくらい前向きになっていた。
未来は見通せない。それでも今の状況も、これから私に襲いかかる運命も、決していいものではなかった。
失うものがないわけでもない。でもゆっくりと坂を転がり落ちるよりは、思い切って地面を蹴ってみたい。
― お受けしようと思うわ。詳細を詰めましょう。
― ほんと!? やったあ!
はしゃいでいる呪師の声を聞きながら、私は辺境の地ナカメグローでの暮らしに思いを馳せた。