第1話
意識が戻ると、俺は大空に浮いていた。
眼下には夏の入道雲が浮かび、その下には残雪を抱く山脈が堂々と存在を主張していた。そして麓には深い大森林と、それを斬り裂くように雪解け水が流れる支流から大河を作り、海へ流れ込む下流の平地には、人間の住む街が見えた。
(本当に俺、魔素に転生したんだ…)
しばらく雄大な景色を気球に乗って眺めていた気分に浸っていると、ある重大なことに気が付いた。
魔素として転生したけれど、誰も何も教えてくれないことに気が付き、必死に何が出来るのか考える。
すると、魔素としての意識がはっきりと感じ取れ、魔素と魔素…隣同士の自分、つまり近くの自分と遠くの自分が繋がり始めてた。
風の流れ、地底のマグマ、鳥の声、忘れられた遺跡の石ころ、産声を上げた魔物の子、愛を誓う男女、夜の星に願う少年…世界中の全てが、俺とリンクしている…。
(パーフェクトチートじゃね?)
圧倒的ではないか!! 何もかもが自分と繋がり、この世のすべてを把握できるのだ。
さて、例の美少女の元へ…。
あれ? 移動しなくて良いんだ。俺はここにいるが、そこにもいるのだから…。
(期待と不安に胸を膨らませ、いざ、美少女のもとへ!!)
比較的大きな街の郊外にある少しガタがきた一軒家に美少女はいた。
せわしなく働く母親と、朝食を食べているが、心ここに在らずなソワソワしている美少女。
しばらく様子を伺っていると、洗礼式の準備をしていることが会話からわかった。そして、真っ黒な髪にルビーの瞳の少女の名はセリカ。洗礼式ということで、興奮しているみたいだ。
(俺は美少女との距離感について考える。少し遠くから眺めていてもいいし、素肌にまとわり付く…つまり衣服に微量に含まれる魔素として、過ごしても良いのだ)
「セリカ。落ち着きなさい」
(あう!? まるで今の俺を諭すような、母親の声!? うん、しばらくは離れて見ていよう)
「だって…。将来が決まるのよ!?」
「安心しなさい。間違いなく農婦ですよ。聖女様にも、精霊使いにもなれません」
「えーっ!! 嘘よ!? そんなの絶対に嫌よ!!」
「お母さんも、おばあちゃんも、先代からずーっと農婦です」
「知ってるなら…もっと早く教えてよ…。夢見た私が馬鹿みたいじゃない…」
セリカちゃんは、顔を両手で覆い泣き始める。
(そりゃそうだろ。将来の夢がぶち壊されたんだもん…)
娘にきつく言われ、悲しい顔で母親は天井を見る。きっと母親も自分が子供の頃に言われてショックだった事を覚えていて、今まで言うに言えなかったのだろう。
泣き止んだセリカちゃんと申し訳無さそうな母親の…それからの準備は通夜の如く、静かに重苦しい雰囲気で進んだ。
(美少女セリカちゃんの達観した? いや絶望した表情も…ジュルリ…いけるぜ…)
セリカちゃんの父親は? 探してみると畑で農作業中だ。仕事が忙しいのか、娘に興味がないのか、結果がわかっているからなのか、少し冷たすぎだよね?
リボンのアクセントが付いた真っ白なブラウスと、フリルで飾られた青空のようなスカートに着替えたセリカは、少しぶすっとした表情で家を出る。
母親も娘の心情を察して、あえて怒らず手をつなぎ歩く。セリカちゃんの家の周囲はあぜ道と言っても差し支えないが、街の中心に近づくと石畳の立派な通りになる。街の様子は中世のヨーロッパで説明が付くだろう。10分ほどでたどり着いた神殿前の広場には、同じように洗練式を迎える少年少女で溢れていた。
「セリカ。ごめんね。お母さんも…。昔は、聖女様に憧れていたの。家にあるセリカのお気に入りの本は、お母さんの宝物でね。洗礼式の前日におばあちゃんに、どうせ農婦だと言われるまでは…」
セリカは、母親の顔を見上げた。
「ううん。私こそ、ごめんなさい。お母さんも同じだったんだね」
セリカちゃんは母親に抱きつく。そして母親は左手でで娘を包容し、右手でサラサラの黒髪を撫でた。
(気付いたんだね。昔の母親と今の自分が、同じ境遇だって…。負けるなセリカ! お前にはパーフェクトストーカーが付いているさ)