タクシー運転手の過去
「また騙しましたね。新規のお客さんかと思ったのに」
運転手は引きつった笑顔でリュウを見た。
「騙したとは人聞きの悪い、俺も客には違いない。お前の家も沈んでいるから呼んでやったのに」
今回もリュウのポケットからユウが叫んだ。
「家が沈むとは、どういうことですか?へんな冗談はやめてください」
「ここから街を見てみろ」
リュウはユウの言葉に合う仕草をしながら麓の街を指さした。運転手は怪訝な顔でゆっくりとタクシーを降り、リュウの指さす方向を見た途端、大きな目が飛び出そうなくらい驚いて叫んだ。
「どうしたのですか?街が水浸しではないですか。あ、私の家にも水が流れている!」
「そう、街では大変なことが起こっている。俺たちと一緒に、街の人を助けに行くぞ。早く車を出せ!」
ユウの言葉に合わせ、リュウは運転手よりも先にタクシーに乗り込んだ。
「し、しかし街にタクシーを乗り入れることは禁止されていて・・・」
「そんなこと言っている場合か。車があったほうが何かと便利だろ、さっさと運転しろ」
運転手は言われるままに運転席に座り、車を動かした。
「そういえばトモはちゃんと送り届けたのだろうな」
「は、はい。アン様の元まで送りましたよ。お礼にチップまで頂き、仕事ぶりを褒めていただきました。もしかしたらお城の専属運転手になれるのでは、なんて思っています」
運転手は笑顔で饒舌に語り、フロントガラスにトモの映像を映し出した。車内をさらに快適にするためとサービスの一環として、車内から到着までを映像として残すことにしたというのだ。希望者には後日、映像を渡すからということで、割引券と引換券を渡しているという。運転手のサービス精神には呆れるほどだが、ここまで一生懸命になれるのもすごいことで、何が彼をそうさせるのか、リュウには理解ができなかった。
「見てください、これがあればお子様を一人乗せても、安心でしょ?これをリアルにお届けできれば、親御さんをさらに安心できるから、どうやってサービスにしようかと、今考えているところなのです」
映像にはトモがサッカーの試合を見ている様子が写っていた。選手が立体的に映り、トモの目の前で迫力のあるプレーをしている。大はしゃぎでプレーを見ていると、目的地に着いたのか、運転手が車を止め、サッカーの映像が消えた。トモは不機嫌な様子だったが、ドアが開き、トモが車から降りると、画面は外に切り替わり、美術館にいたアンに引き渡されるトモの姿が映り、二人で美術館の中へと入って行った。どうやらトモは無事、アンの元へと送られたようだった。
「いかがですか?私のサービスと仕事ぶりは。こう言っては何ですが、サービスで私の横に出る運転手はいませんよ」
そう言って映像を切ろうとしたとき、ユウが言った。
「ちょっと待て」
映像は人がいなくなった美術館の入り口を映していた。そこの前を通ったのは、ヨシだった。
「この人ですよ。私に運転手の仕事を紹介してくれたのは」
「ヨシが?何のために?」
「何でもバスでやってくる人があまりに多く、本当はバスの運転手をしてほしいが、車が足らないのでタクシー運転手をしてみないか、と。これは王様直属の仕事だから賃金もいいし、タクシーだと成果次第でチップももらえるかもしれないと」
「そういえばそんな話があったな。俺がいなくなったから、あいつが一人でやっていたのなら、申し訳ないな」
ユウは珍しく、元気のない声だった。運転手は車を走らせる間、備え付けのディスプレイでトモの映像を見せてくれた。なるほど、これなら子供を乗せても安心かもしれない。よくもこんなサービスを思いついたものだとリュウが感心をしていると、ユウが話し始めた。
「そういえばお前、以前は何仕事をしていたのだ?トモの面倒を見るのも上手だから、子供でもいるのか?」
「私ですか?私は・・・」
運転手が言葉を詰まらせたので、何か事情があるのかとしばらく返事を待っていたが、どうも様子がおかしい。坂を下っているというのに、スピードを制御することもせず、道右往左往して崖の下に落ちそうだ。
「おい運転手、どうした?安全運転でいけ」
ユウが大声で叫んでも運転手の耳に届いている様子は感じられない。運転手は表情もなく、ただハンドルを握り、呆然自失のように見える。スピードが上がり、このままではがけ下に落ちてしまう。リュウは咄嗟にCDプレイヤーを止め、叫んだ。
「おい、応答しろ!お客様が待っているぞ!」
その声に反応するように、運転手はブレーキをかけ、車を止めた。リュウは崩れ落ちるように、シートに深く背中をつけ、深呼吸をした。
「どうした、運転手?体の具合でも悪いのか?」
運転手はハンドルの手をかけたまま、顔だけ後ろを向いたが、大きな目を半分閉じて、遠くを見ているようだった。
「申し訳ありません。安全第一なのにこんな運転をして。実はわからないのです」
「わからない?」
「はい、自分が以前何をして、どんな家庭で暮らしていたのか。お客様に聞かれて、確かにどこかで子供と暮らしていたような気がするのですが、思い出せない。それに前はもっと違った仕事で、確かどこかの場所でみんなと何かをしていた気がしますが、思い出せないのです。覚えているのは先ほどの人からこの仕事を紹介されて、やってみたら思いのほか楽しくて、毎日没頭するうちに、自分がどこの誰だか思い出せなくなったのです。しかも今までそのことにすら気づかず、お客様に聞かれて初めて、自分が何も覚えていないことに気づいたのです」
「でもお前はさっき、水浸しの街を見て、『自分の家が沈んでいる』といったではないか。ということは家の場所は覚えているのだな?」
「はい、どこかはわかりませんが、遠くから見たときに自分の家があることはわかったのです。お願いします、私も連れて行って下さい」
運転手の思いもよらない言葉に、リュウは何と答えたらいいのかわからなかった。さっきのように危ない運転をされても困るので、正直、タクシーに乗り続けるのは気が進まなかったが、歩いていける距離でもなく、運転手を見捨てるわけにもいかないのなら、このまま乗り続けるしかない。
「安全運転してくれよ」
リュウは思わず声をかけると、運転手は帽子を深くかぶり直し、真剣な顔で答えた。
「当然です、私は優良ドライバーですから。先ほどは大変失礼しました。自分でも情けなくらい、反省してますので、サービス向上のため安全運転とすばらしい映像をお約束します」
「いや、安全運転だけでいい。俺たちは街の様子を見たいから、どうかゆっくり安全運転で街へ行ってくれ」
「かしこまりました」
運転手はそういうと、背筋を伸ばし、ゆっくりと坂道を下って行った。




