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瓶の中身

「生きている?どういう事だ?」

「こいつは使う人の感情を読み取って、形を変える。だから自分が出られると信じていれば、錠前に合う形になり、そうでなければ形を変えない。だから決めろ、自分は必ず出ると」

「信じているさ、俺だって出たいもの」

「『出たい』ではない『出る』んだ」

「どっちも似たようなものだろ?」

「いや違う。出て当然なら『出る』だし、出られないと思っているなら『出たい』だ。心の奥底の感情は言葉では変えられない、変えるきっかけになることはあっても」

 リュウは心の中で「出るんだ、絶対に出るんだ」と呟きながら、ヒロやケンの顔を思い出した。連れてきたトモやユウの事を思い、鍵を差し込み、右へ回すとカチャという音がした。鍵が開いたと確信したとき、目の前にタクシーが止まり、出てきたのはいつもの運転手ではなく、イチだった。

「まだそんなことをしているのか。お前は絶対にここから出ることはできない。今まで何人もここへ入れたが、出てきたやつはいない」

 イチの弄ぶような嫌味な笑顔を見た途端、手にしたカギはそれ以上、動かなくなり、反対に回して錠前から抜き去るのが精一杯だった。

「ほら見ろ、この鉄格子の鍵は俺が持っているのだ。俺はこの館も管理する権限をもらったのだ。出るには俺の許可がいるが、誰も出したことはない」

「ここには他に何人閉じ込められているんだ?」

「さあね、忘れたな。でもここにいつ奴らは、個室でひっそりと死んでいくんだ。だから誰にも会わなかっただろ?あの部屋で弱ったころ、お前は意識を取られ、忠実な下僕になる。お前のように生きのいい奴はきっと、多くの子供たちを管理できるだろう。そうなったら、俺の手下にしてやらなくもない」

 イチは大声で下品な笑いがリュウの耳を通り、心を冷やし、鉄格子を握る手の力を奪った。リュウは力なく座り込み、固い岩肌の刺すような感覚に対抗する気力も奪われていた。そんなリュウの様子を気にすることもなく、イチはトランクから荷物を降ろすと、出窓に置き、去っていった。

「負けたな。あと少しだったのに」

 ユウがポケットから囁いた。

「あいつが戻ってきて、変なことを言うから気が散ったんだ」

 リュウは力なく反論した。

「それは違うな。お前はあいつの言うことを信じたんだ。お前は友達に会いたいと言いながら、頭では無理だと決めてたんだ。部屋を出るときと同じで、出られなという思いが勝っただけだ。鍵はそれを感知して、お前の望む通り、出られなくしたというわけだ」

「そんなことはない」

「そんなことはある」

 心の中を見透かされた恥ずかしさと、思いやりのない言い方に頭にきて、リュウはユウを婆さんがいた部屋の岩肌に向かって投げつけた。カツーンという機械的な音に我に返ったリュウは、急いでユウを探したが、見つからない。

「ユウ、悪かったよ。どこにいる?」

 とんでもないことをしてしまった。自分の悪い癖だ。カッとなるとすぐに後先考えずに行動してしまう。今、ユウがいなくなったら、一番困るのは自分なのに。少し前、あれほど探してやっと会えたユウを今度は自分で遠くへやってしまった。

「ユウ、どこにいる?頼むから出てきてくれ」

 リュウはぶつけた壁の辺りを探してみたが、どこにも見当たらない。壁の近くには婆さんが受け取った荷物が所狭しと並んであるから、もしかしたらその間に入っているのかもしれない。リュウは箱を開け、一つ一つ中身を確認してみた。

 何せビー玉ほどの大きさだ。見落とさないようにしないといけない。リュウは箱の瓶を取り出しては、戻しを繰り返しているうちに、ある事に気が付いた。赤色の瓶ばかりが残っているのだ。確か初めてここへ来て、婆さんを手伝った時には緑と黄色があった。リュウはひと箱に3色の瓶を均等に入れた。そのほうが楽しく、綺麗だったからだ。しかし今は赤色ばかりが残っている。ということは緑と黄色のみ誰かが持ち去ったという事か。

 しかし、そんなことはどうでもよかった。今はユウを探すのが先決だ。もし転がって岩の隙間や、水たまりにでも落ちていたら、彼はどうなるのだろう。

「ユウ、ユウ!」

 リュウの叫び声は洞窟の中を響き渡り、返ってくるのがユウではなく自分の声ということに、情けなさと苛立ちを感じていた。今までは近くにいたら、声をかけてくれたのに、なぜ今回は黙っているのか。


 リュウは鍵を開け損ねた絶望感と、ユウを失った喪失感に苛まれ、横たわってしまった。ショックなことがあると人は寝込むと聞いたことがあるが、その通りだ。ヒロもずっと眠っていたから、あいつも何か辛いことがあったのだろうか。だとしたら何だろう・・、そんなことを感じながら、ふと赤い瓶を手にした。そういえばユウが瓶の中身は感情だと言っていた。本当にそんなものがこの中に入っているのだろうか。瓶を振ってみたが、音も重量感もせず、空のような気がした。とはいえ感情に音も重さもないから、入っていると言われれば、そうかもしれない。

 リュウは軽く蓋を回してみた。思いのほかしっかりと閉じられているので、開くことはなかったが、半ばヤケクソで蓋を回してみると、ガチっという音と共に瓶の蓋が開いた。

「わっ!」

 自分で開けておきながら驚くのもおかしいと思い、顔を近づけて匂いを嗅いでみるが、無臭だった。やはり中身は空なのではないだろうか。思い切って蓋を取ってみると、中身はやはり空っぽだった。何だ、ただの空き瓶か、期待をして損したなと蓋を閉め、箱に戻そうとしていたら、だんだんと気分が晴れてきた。


 リュウは大きく背伸びをした。そうだ、何をメソメソしているのだろう。メソメソしなければならない理由なんて、どこにもないではないか。ユウはきっと近くにいるし、呼べば出てくるだろう。奴が戻ってくるまでに、何かできることはないだろうか。きっとたくさんあるはずだが、その前にここから出よう。

 胸にぶら下げていた鍵を握りしめ、鉄格子に向かった。この鍵をひねれば、鍵が開く。そしてユウやケンたちにも会えるだろう。ヒロにも会える気がする、そうなると楽しいことばかりだ、きっとうまくいくに違いない。

 リュウは家の鍵を開けるように、力を抜いて鍵を回すと、カチッという音とともに、錠前が外れた。あまりにもスマートだったが、今のリュウには当然のことだったので、気にもならない。鉄格子を開け、外に出ると、眼下には街が広がっていた。街のあちこちにある木々がやたらと黄色がかっていて、ここはイチョウが有名な場所なのかと思うほどだった。所々に赤色と緑の葉っぱは見えるが、大部分は黄色なのだ。

 遠くの小高い岩窟群に建ってある、尖った屋根がお城だろう。岩窟群の麓にある、四角い建物が美術館で、街の真ん中にある大きな湖がバランサーだ。しかしあんなに大きかったかな。前に行った時には、地面と湖面の境がはっきりとしていたが、今では水が溢れているように見える。

 街の建物一階部分が水に浸かっているということは、やはりおかしい。これはどうしたものかと、目を細くして遠くを見ようとしたが、限界がある。確かめるためには近くに行くしかないが、ユウはどうなったのだろう。先ほどの高揚感は潮が引いたように消え、代わりに不安感が込み上げてきた。館から出たとはいえ、これからどうしたらいいのか。ユウはきっとまだあの部屋にいるだろう。それならば迎えに行ったほうがいいのではないだろうか。


 リュウは館に向かって歩き始めた。鍵をかけなければ、いつでも出られるだろうから、戻る訳ではない。ユウを探しに行くだけだ。そうだ、ターボのお母さんにも扉が開いたことを教えてあげよう。そうでないと冷たい奴だと思われてしまう。そんなことを考えながら、鉄格子の前まで来たとき、ユウの声が聞こえた。

「おいおい、せっかく出られたのにまた逆戻りか?」

「ユウ?どこだ?」

「ここだよ、お前のすぐ近くだ」

 リュウはズボンのポケットが動いているのに気が付いた。急いで手をいれると、そこにはビー玉に入った魚姿のユウがいた。 

「ユウ!お前今までどこにいたんだ?」 

 リュウはビー玉を目の前にして、大きな声で叫んだ。

「大きな声を出さなくても、聞こえているさ。俺はずっとお前のポケットの中にいた」

「じゃあ、なぜもっと早く出てこなかった?心配したぞ」

「誰だって、いきなり投げられたら頭にくるだろ?困らせてやろうと思って黙っていたんだ。そのおかげで、収穫があった」

「収穫?」

「ああ、お前のお陰でイチが運んでいた瓶の効果を観察させてもらった。お前も身をもってわかっただろう。赤色の感情が中に入ったから、お前は喜びを感じて、鍵を開けることができたんだ」

「瓶の中身は空だったぞ」

「バカ、目には見えないが、お前も中身に触れた途端、前向きになっただろう?凄い効き目だな、どこかのエナジードリンクよりもよっぽど効果がある。それに他の色がなかったということは、きっとどこかに運んでよからぬことを考えている奴らがいるということだ」

「よからぬことって何だ?」

「そんなこと、俺が知るかよ。とにかく早く城に戻って、王様に報告だ。それから早く、元の姿に戻してもらわないと」

「元に戻れるの?」

「おいおい、怖いことを言うなよ。どうやったら戻れるかなんて、俺も知らない。でも戻してもらわなくちゃ、ずっとこのままなんて、ぞっとする」

 確かにずっと閉じ込められているなんて不幸以外の何物でもないが、ユウの口調はそれほど悲観的ではなかった。ずっとトモの水槽に入れられ、魚だと思われていたなんて、不謹慎だが面白すぎる。リュウは思わず笑ってしまった。ユウはそんなリュウを気に留めることもなく、大きな声を出した。

「今度こそ、お迎えが来た。一気に城まで行くぞ!」

 坂道を登ってくるタクシーは、今度こそ例の運転手のタクシーだと確信した。




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